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ピアノ

最寄駅にストリートピアノが置かれてしばらくになる。
ほの暗い地下鉄駅の構内に、象牙色のグランドピアノは突如として現れた。それがその場所に似つかわしいかどうかなどを考えさせる間も与えないまま、それは生の音色を深く響かせて、心を揺さぶりはじめた。

朝も夕も、ほぼ途絶えることなくピアノを弾く人がいる。そのいずれもが玄人はだしの演奏を聞かせ、こんなにもピアノを弾けるひとがこの町にいたのかと驚かされる。足を止めて旋律に聴き入る人も少なくない。わたしはといえば、いつもいつも先を急いでいて、こめかみや後頭部にピアノの音色を受け取りながら、足は止めずに改札を通り過ぎる。
それでも、これまでとは違う。ピアノが現れる前とは。

手にした端末からも、街のモニターからも、音楽は流れてくる。職場でも駅前のスーパーでもどこでも、常に音楽と呼べるものは聞こえている。日本という国はほんとうにやかましい国で、電車内のアナウンスも発車ベルも、のべつ耳に入り鼓膜の休む時はない。であるのに、駅に降り立ち階段を昇ってピアノの聞こえはじめるところまでくると、不思議と聴覚は穏やかにふうと息をつく。それまで聞こえていたどんな音とも、生の楽器の音というのは違うのだ。

華やいだポロネーズも、感傷を帯びたノクターンもショパンもブラームスも、古い駅の壁に天井に床に反響して、肩にふりかかる優しい雨のように、わたしに降りてくる。パーカーのフードを襟元からのぞかせた彼やスニーカーでペダルを踏むあの人が、グールドになりアルゲリッチになって鍵盤を叩いている。

わたしはピアノが弾けない。
幼いわたしに、母はピアノを習わせてくれたけれど、わたしにはレッスンを楽しむ能力さえ無かった。先生は厳しくもおおらかで素敵な方だった。出来のわるいわたしに、気分転換をと思われたのか、先生のお嬢さんとともにちょっとした工作をさせてくださったりもした。こちらはとても楽しかったが、わたしは実に不真面目な練習をしない生徒で、ピアノについてはまったく進歩も何もないままに終わった。
ひとつ忘れずにいるのは、いちばん最初のレッスンのとき、自分の両手を紙の上に置いてその周囲を鉛筆でなぞり手の形を描きなさいと言われたことだ。弱い筆圧で描く手の形は、ゆらゆらと揺れる線で情けないものだったが、それは自分の手というものを意識する最初の出来事であったかも知れない。ピアノ譜が読めるかどうかもおぼつかないのに、今もその揺らいだ手の形は映像として脳裏に残る。

駅を行き交う人々が、ピアノの存在に慣れて、その周りに人だかりのできることも少なくなってきた。
ある休日、ひとりの女性が象牙色に向かって和音を響かせていた。そのすぐ近くにベビーカーがある。もののけ姫のテーマを弾いていた。とても上手だった。髪をハーフアップにしたその女性の後ろ姿が、理由もなくわたしの胸に迫る。ピアノを思うさん弾く自由を謳歌しているようにも見えた。お母さんであることを求められる日常を、ほんの短い間想像して、わたしは階段を降りる。ホームが近づき、ピアノはいつの間にか聞こえなくなる。




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