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インドで見て聞いて体験してきたもの(瞑想編)

今回は、いよいよ「インドで見て聞いて体験してきたもの」シリーズの本題であるヨガの実践のうち「瞑想」にフォーカスして認めていく。

インドに行ったのは9月。ずっとこの記事を書きたかったのだけれど、2ヵ月もの間ずっと筆が進まずにいた。インドでのことを自分の「実」になるまで今の今までずっと咀嚼し続けていたのだが、なんだか飲み込むのに勇気が要って未だ咀嚼中…。もしかしたら、これからもずっとそれが続くのかもしれないし、飲み込むのにかなりの時間がかかるのかもしれないけれど、インドに行って2ヶ月経った今この瞬間に自分のなかにあるものを認めていこうと思う。

泊まった部屋の写真。
とてもシンプルなつくりだった。

ヨガの実践は朝5時から瞑想をすることからスタートする。朝5時にスタートするということは、それよりも前に起床して身なりを整える必要があるから、「毎朝4時起き」を課して臨んだ。早いなぁと思うかもしれないけれど、私はあさヨガや今年の夏に始めたサマータイム生活のおかげで遅くとも6時には起きる習慣が出来上がっていたため、すんなりと毎朝4時起き生活をすることができた。

サマディホール内。畏れ多くてあまり写真を撮れなかったけど、勇気を振り絞って?サッと撮った一枚。

瞑想はサマディホールという場所で行われる。ホールに入るとそこは静寂の世界。自然な外の光だけを頼りに中に入り、誰とも会話をすることなく一人静かに座りを整え、マントラとともにスワミ・シヴァナンダジに祈りを捧げる。約1時間、自分に意識を向け集中させ続ける静かで贅沢な瞑想の時間が続いていく。
途中何度か足を組み替えたり、意識が別の世界に飛んでしまうことがあったりするなど、自分の未熟さを痛感しながらも、身体の状態や呼吸の流れ、五感やチャクラ等の瞑想のポイントを静かに眺めるということは、自分のことを客観視するとともに「私はいまこうやって静かに座りながらも、たしかに肉体は動いているし、なにより生きているのだな…」ということを実感する、不思議な感覚だ。
そして、いつかこの肉体や呼吸には必ず終わりを迎える日が来る…ここ最近インドから帰ってきてからはそんなことも同時に考えるようになった。表裏一体。誰一人として例外はなく皆いつかは肉体を手放す日が来る。インドでスワミ・シヴァナンダジを前にしてそれを日々強く意識するようになった。それゆえに、今日も私をこうして生かしてくれているものに感謝をするとともに、一瞬一瞬を大切に丁寧に生きねばならないと改めて心に誓ったのであった。

続く。

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