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本当のヨガを探しに、聖地インドに行ってきた話

人生で一度は訪れたいと思っていた、ヨガの聖地であるインドに行ってきた。

もちろん一人ではなく、とあるヨガスクールのインドツアーをネットで知り、そちらの一味に交ぜていただいて行ってきた。
スクールに行ったこともなく会員でもない完全にアウトサイダーだったのだが、私はインドへの好奇心を抑えることが出来ず、

「ひとりでもなんとかなるハズ!」

という気概だけを頼りにインドツアーに申し込んだのであった。

旅の目的

以前、こんな投稿をしたことがある。

自由な名前が付けられ、多種多様なスタイルや学び舎の異なる先生方が存在するヨガに、若干辟易し難民気味になりながらも、本当のヨガをずっと探し続けているワタクシ。その本当のヨガを探しに、ついに日本を飛び出し、ヨガの聖地であるインドに行くことを決めた。
インドでとある流派のヨガを学び、そのヨガを伝えていらっしゃる日本人の先生や門下生の日本人の先生方にヨガを習ってきて、先生方のヨガにまつわる言動を少しは理解できるようになってきたので、今度はその方々のフィルターを通さずに、現地に自らの意思で足を運び、直に自分の目で見て・聞いて・感じ体験したものを自分にインストールしたかったのもあった。
もう何年もヨガの練習を続けているけれど、ヨガを知れば知るほど、勉強すれば勉強するほど、「ヨガって何?」という問いにいつも戻って来るからだ。

ヨガとは何かという問いに対して、一般的に「サンスクリット語の "Yuju(ユジュ)" が語源となっていて、くびきをつけるという意味があるんですよ。」とか「(それが転じて)心と体を結ぶ・繋ぐこと。」などとよく言われ納得したことにしているが、よく考えてみれば、分かるようで分からない。ピンとこない。

くびき(軛、衡、頸木)とは、牛、馬などの大型家畜(輓獣:ばんじゅう)を犂(すき)や馬車、牛車、かじ棒に繋ぐ際に用いる木製の棒状器具である。

出典:Wikipedia

ヨガとは?を誰かに、例えばこれを子どもに説明をしようとすると、とても難しいことがよくわかる。心とは…?体とは…?すぐに厳しいツッコミが入るだろう。大人はこうこうこういうものとわかったつもりでいるけれど、目に見える肉体や感情がそれなのか…?そしてそれらを繋ぐとは…?考えれば考えるほど、うまく説明ができない。
ヨガの古典書や文献等を読んではみるものの、ヨガは抽象的な表現がよくなされるので未だに理解できないことがたくさんある。
いまわかっているのは、何やらヨガは目に見えるものではなく、目には見えないものに思いを馳せているということ…。宇宙、自然、神、身体観…実にヨガを様々な視点や世界から捉えている。古代からミクロ視点とマクロ視点は存在していたということがよくわかる(笑)。ヨガというものを生み出した人の頭の中の壮大さに、自分の小ささを感じるばかりである。

だから最近は潔く?諦めた。きっと答え探しは一生続くのだ。
私を含め、現代人はすぐに具体性とかわかりやすさを求めてしまうのだが、ヨガは自分の実生活、さらに大きく言ってしまえば自分の人生そのものに落とし込み、ヨガの教えを胸に秘めながら毎日ひとつひとつを丁寧に噛みしめ、味わい、飲み込み、自分の血や骨、肉となるまで学んでいくことでしか理解ができないものと最近は思うようになった。もしかしたら、自分の肉体を手放すまで時間がかかるのかもしれない。壮大なヨガの世界に足を踏み入れてしまったのだとつくづく実感している…。

続く。