見出し画像

初回こそ力を入れて勉強し、いい点数を取ることの大切さ

訪れていただきありがとうございます。

資格試験や受験に関連する記事をいくつか書き、マガジンにまとめようと思っています。

二記事目となる今回は、【初回こそ力を入れて勉強し、いい点数を取ることの大切さ】について。

本マガジンの内容はあくまで持論ですが、もしよろしければ読んでみてくださいね。



(なお、初回の記事で、簡単ですがこれまでの経緯を綴っていますので、こちらも併せてお願いします。)


さて、タイトルの内容についてお話しします。

そう思ったきっかけ

1 司法試験予備校の経験談

本マガジンの初回の記事でも書いたように、ロースクール生の頃、私には“自信”が圧倒的に欠如していました。それは、周りの生徒との知識量や勉強量の差ゆえというよりは(もちろんそれもあったと思いますが)、性格が一番の原因です。

学生時代から今日までずっと私自身が改善したいと思い続けている思考パターンのひとつは、「自信が持てない」こと。
自信を持つためには根拠があった方がいいのと同じように、自信を持てないのならその理由や根拠が必要だと思うんです。そうでないと、その原因を取り除くための適切な努力ができないから。
自信が持てないのは必ずしも悪いことではなく、そういった思いや弱さが成長させてくれることもありますが、そのためにはその原因をきちんと知っておくこと。これが近道だと思います。


しかし、私の場合は「自信が持てない」明確な理由があるわけではありませんでした。
先ほど述べたように、知識量や勉強量の差の部分については、正しく着実な努力を重ねることで解決できるかもしれません。
けれど、私の自信のなさはそういったことよりむしろ性格的なもので、自分にできるわけないと決めつける呪いのようなものだったのです。


そういった思考パターンから抜け出せないまま、ロースクールを修了しました。




ロースクール在学中または修了後、多くの人は司法試験に向けて予備校で答練や模試を受けるのですが、私は一度目の受験までの間に、こうしたものを受けたことがありませんでした。
数名の友人とゼミを組んで答案を書いたりはしましたが、予備校に通ったことはなかったのです。
予備校に通わなかったのは、いい点数が取れなかったら嫌だからとか、模試の判定が悪かったら余計自信をなくすからといった理由からでした。
もっとしっかり知識をつけて、万全の状態で受けたいと思ったのです(そんなことは無理なのに)。


そうして、一度目の司法試験は不合格になりました。


不合格になった後、一年間ロースクールの自習室を借りて、翌年の司法試験に備えることにしました。
そのタイミングではじめて、予備校に通って答練を受けることにしたのです。


ロースクールを修了すると、もうロースクールの授業を受けることはできません。そうすると、新しい裁判例だったり論点を把握することが難しくなるのと、定期テストも受けられなくなるので誰かに答案を見てもらう機会がなくなってしまうこと、ずっと自習室にこもって勉強するよりは週に一度くらいは違う環境で勉強したいと思ったことなどが理由です。

もちろん、この時も、悪い点数だったら余計に自信をなくしてしまうという不安はあったのですが、不合格になった直後だったので、今がどんな状態であれ0からスタートを切るつもりで頑張ろうと思っていました。


初回の答練の内容は選択科目と憲法と行政法でした。
もちろんどの科目も、得意だと思ったことも好きだと思ったこともありませんでした。少し緊張しながら答案を作成したのを覚えています。

答練後も、できたという実感もなく、答案が返却される日まで「嫌だなーどうせ点数悪いし……」と思っていました。



翌週、答案が返却された際は、誰にも見られないようにさっと鞄にしまいこんで、トイレの個室でこっそり点数を確認したのです。


はじめは、誰かの答案と間違って返却されたのかな?と思ったくらいです。
予想していなかった点数も嬉しかったですが、一番嬉しかったのは添削者からのコメントで、それはこのような内容でした。


字がとても美しいこと、7頁まで書ける筆速があることは、他の受験生より大きなアドバンティッジがあります。書き方の形式面もとても良いです。解釈もしっかり書かれています。なのに、よく書けているのになぜ合格者ではなく受験者の側にいるか。
答案の内容を問題文という箱の中からとり出して書くことより、頭の中に入っている自分の箱の中からとり出して書くことを優先しているように思います。頭の中の在庫も価値はありますが、陳腐化した在庫よりも価値があるのが問題文の具体的な事情です。
規範、解釈は受験生全員が頭に在庫として持っているので差がつきません。あなたの場合、ここのところは十分ですが、新鮮な問題文の事情をいっぱい使うところまで手が回っていないのだと思います。
答案の形式、書き方の枠組みより重要なのは、実質、中身、心、個別事情です。ここに気が回って書けるようになれば、あなたは合格します。


思い返せば、答案作成中は、自信がないからこそ頭の中だけで考えようとしていたと思います。

「どの規範だっけ。どの解釈だっけ。裁判例はあったっけ? あぁ、知識が足りない……。」

思い出すことに気を取られ、肝心な問題文の事情は後回しになっていました。それは自信のなさ故だと見透かされたようで、ハッとしたのです。


それでも、いくつかの点で褒めてもらえたことは予想外でしたし、欄外までコメントを書いてくださったこと、そして何より『あなたは合格します』の言葉が心に深く突き刺さりました。
合格するわけないと決めつけていた私に、合格と私自身を結びつけてくれた宝物のような言葉。
この言葉は受験当日までずっと私を支えてくれました。

そして、初回答練の答案返却日に配られた紙面に、成績上位者として私の会員番号が載りました。


この経験が、その後の私の受験生活を大いに左右したと確信しています。

(別記事で改めて書きますが)添削者のコメントが心の支えになったこと、
アドバイスどおり問題文の具体的事情をたくさん拾うようにしたこと、
初回の答練が成功体験のようになって、次回からもいい成績が取りたいと勉強量が格段に増えたこと。


その結果、どんどん点数は上がり、毎回のように成績上位者に載ることができたのです。
こうなると、勉強量はますます増え、勉強が楽しくなり、少しずつ自信もついていくといったように、すべてが良い方に循環していきました

私は刑事系科目に苦手意識があって、答練でも公法系や民事系科目に比べると少し点数が低かったのですが、勉強すること自体が楽しくなってくると刑事系科目の勉強も苦痛ではなかったですし、刑事系科目が原因で落ちるのは嫌だ!という思いも働いて、「苦手科目をなくす」ことを目標に勉強した結果、総合的に点数が安定するようになりました。はじめからいい点数を取った科目だけでなく、苦手科目の力も底上げしてくれたのです。


だからこそ言いたいです。

初回のテストでいい成績を取れば、その後の成績や過ごし方、メンタルまで相乗効果で良くなる可能性がぐっと高まります。
初回のテストこそ、力を入れて勉強するのはいかがでしょうか。

2 その他の経験

実は他の場面でも、同様の経験をしたことがあります。
これまた自信がなかった初回の論文試験でいい点数を取り、先生に褒められたこと(司法試験の論文ではありません。)。

このときの添削も嬉しくてずっと手元に残していたのですが、いつかの断捨離の時に捨ててしまいました。
確か「自分には無理だなー」と思っていた大学に十分手が届く出来という趣旨のコメントだった記憶なのですが、このときも相当驚いた後、嬉しさが襲ってきて、それ以降、勉強を怠ることはありませんでした。

このときも、初回にいい点数を取ったことが、信じられないくらいの力と勉強習慣を与えてくれたのです。


おわりに

今回は、経験を基に初回のテストの大切さについて書いてみました。

なんだかちょっと自慢ぽくなって嫌な感じだなぁと思った箇所もあるのですが、その懸念を優先して濁して書いても意味がないと思ったので、なるべく事実と当時の思いに忠実に書いたつもりです。

これはあくまで持論ですし、私の場合はたまたま「初回」にいい点数を取ったことが良い結果を生んだので、初回の重要性について書いたのですが、これが3回目、5回目、10回目だったら、そういう内容の記事に(一度でもいい点数を取ることの大切さ、といったように)なっていたかもしれません。
何回目であろうが、成功体験というのはその後の成績や生活、メンタルにいい影響を与えてくれるのではないかと思います。


それから、この記事の内容は資格試験や受験を想定していて、語学試験などには必ずしも当てはまらない気がします。


試験勉強みたいなものから離れてもうずいぶん経ちますが、仕事をしていくうえでの勉強に終わりはないですし、努力を重ねる楽しさを思い出して頑張っていけたらなぁと自分に期待しつつ、終わろうと思います!



読んでいただき、ありがとうございました。




最後まで読んでいただき、ありがとうございます。