ISHIYA私観「平成ハードコア史」第4章〜#16 鉄アレイ PART Ⅱ
第1章から第3章まで、昭和や平成に起きたことなどついて触れて来たが、平成という時代も西暦2000年をまたぐ頃になると、ハードコアの世界でも様々な出来事があった。
あまりにも多くの出来事があるために、遅々として書き進める時代が進んで行かないのだが、この第4章では新たに世界に飛び出していった日本のハードコアや、多くの経験を積んだハードコアの人間たちが、どのような変化を遂げていったのかということも含め書き進めて行きたいと思っている。
海外との交流が進むに連れて、来日バンドも多くなり、日本のハードコアシーンが国際色豊かになっていった時期でもある。
世界の中の日本のハードコアという観点も、この第4章には登場するだろう。
他にもまだ書けていないことや、思い出す話もあると思うので、今しばらくお付き合いを願いたい。
売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第4章も購入していただけると幸いだ。
第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。
「#16 鉄アレイ PART Ⅱ」
平成28年である2016年の4月に、DEATH SIDEと鉄アレイにより始まった企画「BURNING SPIRITS」が、遂にアメリカ・ニューヨークのマンハッタン・ソーホー地区にあるLe Poission Rougeというライブハウスで行われることとなった。
このときの鉄アレイは、平成21年である2009年からGr.として加入したKEIROと、平成25年である2013年からヘルプとして加入していたBa. TATSUYAに、不動のメンバーであるVo.RYOとDr.KAKIという、現在のラインアップであった。
俺にとって、BURNING SPIRITSにとって、日本のハードコアにとって、鉄アレイというバンドの存在は、私観ながら平成史と名乗っている以上最重要かつ必要不可欠なバンドである。
平成における日本ハードコアの中心を担った存在であり、現存する東京のハードコアシーンの中心バンドの中でも、GAUZE、THE TRASHに次ぐ活動歴を誇る日本を代表するハードコアパンクバンドである。
鉄アレイに関しては第1章 #2、第3章 #3、#11、#20のほかにも、このコラムにはことごとく登場するが、その活動は順風満帆だったわけではない。
BaであるTATUYAは現在正式メンバーであるが、この2016年のアメリカツアー時にはヘルプメンバーであった。
しかしTATSUYAがヘルプで参加したときの鉄アレイの素晴らしさは、それまでの鉄アレイをさらに昇華させたかの如く、新しい鉄アレイを感じさせてくれる素晴らしいものであった。
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!