いなくなった明治の巨大魚
きょう、水産関係記事の資料集めで、見つけた昭和の冊子。
宮城県中部の地区ごとの漁法を解説したものだが、少し驚いた。
地元以外の方は、何のこっちゃ?と、思うかもしれないけれど、知っていただきたい大切なこと。noteに残しておきます。
同じ本に、漁以外にも釣りの方法が書いてあり、昭和時代には、40~60cmのイシナギが半日で20本前後!釣れたという。
イシナギ。釣り人垂涎の巨大魚。もちろん、釣り上げたことはない。魚市場で何となく見たような記憶があるだけだ。
イシナギ。あとりえポルカドッツさんより拝借
こんな、時にはメートル級の化け物が、明治から昭和の時代の石巻地方では、半日に20本も釣られていた?
これは、自分だけが聞いたことがなく、今も漁師や釣りの上手い人たちはゲットしているという話なのかな?
とも考えたが、おそらく違う。
今は石巻地方の海で簡単に獲れる魚ではなくなっているはず。
そういえば何年か前、取材で80歳代の遠洋漁業の元乗組員に聞いた言葉がある。
イシナギとは直接関連はないが、ずっと忘れられない。
「昔はな…。目とヒレが付いているものは、何でも獲ってこい!とか、当たり前のように言われたよ。商品にならないとなれば、それを港に着く前に捨てるんだぞ」
漁師の威勢の良さや、ポジティブさを表すセリフではない。
狙った魚ではなくとも、幼魚でも、金になるならば何でも漁獲しろ、
ということらしい。
稼ぐため仕方がないとは思う。
きれいごとを持ち込むつもりも否定もしない。
ただ、自分は今、地元のスーパーに行くたびに考えてしまう。
イカが2本で○○○円?
サンマは1尾○○○円?
そして思い出すのが、あの漁業者の言葉の続きだ。
「最近のニュースを見れば、韓国や中国、台湾の船に横取りされるとか、やれ海水温が高くなって、とか言っているが、単純な獲りすぎだよ。魚がいなくなった原因は。」
自らの過去と話をしているかのように、
白いひげをさすった無表情で語っていた。
全て獲ってしまえば、なくなってしまう。
当たり前のことでも、長い時間をかけて、大人数で取り掛かると、常識という新しい当たり前が生まれる。そして状況に気づいても止められない。
また、テレビのニュースや新聞の「豊漁」という見出しの多くには疑問符が付くことも知ってほしい。
「嘘だ!」とまでは言わないが、
サンマ初水揚げ 今年は豊漁○トン!なんてワードは、(昨年に比べて)とか(記者の短い経験の中で)とか、謎の行間の注釈があるもんだ。
おなじみ秋山家は、自分の親父も祖父も「板子(いたご)一枚下は地獄」の漁師稼業。こんなことを書くのは、おかしいのかもしれない。ただ、現状の豊かにみえる海の恵みには、様々な無理が存在することも確かだ。
水産都市と言われる土地で、情報を発信する立場の自分。
何も考えず海鮮丼をお勧めしてきた自分の勉強不足を感じる秋の日。
ローカルでもグローバルでも、大切なのは考えるのをやめないこと。
カラフルなバッジをつけてSDGsを語る前に、身近な歴史を知る必要がある。
まあ、美味しければ、いいんだけどね笑
とも言いたいけれど、未来の石巻人は、幻のアイナメとか、希少なホタテとか、言う状況にになりかねない。
大好きなふるさと。石巻市雄勝町の海。
しかし、水産業イケイケ時代の30年ほど前には、この海の水面に油の層が流れていたこともあった。養殖などのエサの改善、技術・モラル向上で海は、昭和に比べて格段にきれいになっている。特に沿岸部で人口減少が進んだ震災後は顕著。キラキラと透明で、魚も海草も、ウニやホヤ、貝類も生き生きとしている。もちろん、地元の方の大変な努力は言わずもがなですけれど。
ただ、言いたいのは、きれいさと豊かさは違うということ。
人にとっての豊かな海とは。
豊かさとは。
何を持続させて、何を残す?
それは誰が決める?
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