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京から旅へ/インド仏跡巡礼⑤ルンビニ「マヤ堂」

「マヤ堂」は、白亜の建物である。

釈尊の生母、マヤ夫人がお奉りされているお堂だが、2003年5月に
新しく、造り直されている。

新マヤ堂は、旧マヤ堂の下から発掘された、釈尊生誕の地を示す
マークストーン(アショカ王が布石)と、それを囲む遺構(レンガで
作られた基壇)の上を、スッポリと覆って建てられている。

遺構の上には、渡り廊下が架けられ、直近で見学ができる。

数年前にルンビニを訪れた人に聞くと、その時は、マヤ堂のすぐ横で
バスを降り、そのまま、お堂に入って見学ができたらしい。
さらに、建物の屋上にも上れて、周りの景色が見られたと言う。

だが今は、ルンビニ公園の入口広場でバスを降り、そこで二人乗り
“リキシャ”に乗り換え、運河に沿った1.5kmの地道を10分程走り、
降りてから、また10分程歩いて、やっとマヤ堂の門へ辿り着く。

約2km。京都なら八坂神社からドンドコ歩き、清水寺に着く距離だ。

マヤ堂の門から中は、外で靴と靴下を脱ぎ、参道を裸足で歩く。
“リキシャ”に乗り始めた頃、想定外の強い雨が降り、衣服が濡れた。

参道にも水溜ができている。裸足で歩くなど事前に“聞いてないよ”
と、思ったが、聖地にいる事を理解し、靴を脱ぎマヤ堂へ向った。

まだ、観光気分のヌルさが抜けてないな、と、少し情けなくなった。


ところで“リキシャ”とは、人力車の事。
明治初年(1869年)に日本で発明された人力車は、籠より早く移動し、
馬よりコストが低い為、全国に普及し、明治から昭和初期まで、大い
に利用されていた、が、

1870年代半ばからは、中国を初め、東南アジア、インドへも輸出され、
各国でも、主要な交通手段となっていたようだ。

インドの街中で、良く見るリキシャは、嵐山と同じく、車夫が曳く。だが、
この公園では二人乗りの客席を自転車に繋ぎ走る。それも全速力だ。

この日は、既に12台のリキシャが待っていて、二人ずつ分乗した。

自転車をこぐ若者は誰もが細いが、素晴らしい脚力で、競って走る。
重い男達を客車に積み、ガタガタ道も見事なバランス感覚で、疾走。

だが、頼みもしないのに、勝手に競争して1着になると、チップ込みの
運賃にもかかわらず、さらにチップを請求してくる。抜け目がない

そこは無視して、サッとやり過ごす。逃げ足なら、負けないのだ^^。

さて、マヤ堂だが、室内は撮影禁止の為、お見せできない。が‥

マークストーンの前では、熱心な仏教徒たちが列をつくっている。
自分の順番がきて、石の前に立つと、深く頭を垂れ祈りを捧げる。

或る者は、朽ちたレンガの壁を撫で、また或る者は、壁に額をつけ、
繰り返し経を唱えている。

壁には、ビルマの信者によるものか、小さな四角い金箔が、所々
に貼られている。 人々の周りには、荘厳さが深く、漂っている。

室内は意外に明るいが、私には何かズーンと、空気が重く感じた。
ここまで来て、仏教への向き合い方の違いを、思い知らされる‥

目の奥が軽く痺れ、折角のマヤ堂だが、見学もそこそこに退散したく、
私は自然光が招く、背後の出口から、外の世界へと身を投げ出した。

スルッと迎えた外気はまだ、靄に包まれ、少し、湿り気を帯びていた。

インド仏跡巡礼⑥へ、続く

(2014年3月3日 記)

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