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京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼⑥ 天上天下 唯我独尊

摩耶夫人の右脇腹から誕生された釈尊が、すくっと立ち、 東西南北に七歩ずつ歩み、右手で天を左手で地を指して、 天上天下 唯我独尊(テンジョウテンガ ユイガドクソン) と、唱えたと云う話は、あまりにも有名である。
生れてすぐ歩き、話す、超人さは、さすが釈尊と驚くが、 無論、釈尊の偉大さを強調し、作られた伝説。であろう。

ただ、この「唯我独尊」の意味、少し誤解があるようだ。
このままだと「この世で、いっちゃんエライのは、ワテやデ~」と、少々傲慢に聞こえるが、そういう意味ではないようだ。


釈尊は、二十九歳で出家してから六年間の苦行をされ、 三十五歳で悟りを開き、仏陀(目覚めた人)となられた。
そして、八十歳で入滅されるまで、インド各地へ赴き、 数多くの人々に、法(真理)を説かれたと、云われている。
それも、聴く人のおかれた状況や気質、理解度に応じて、 法を説く「待機説法」である。
“人を見て法を説け”と云う諺があるが、その通りである。

だが、この相手に応じて法(真理)を説くと云うのは、中々、 どうして、簡単で無い。我、凡人はつい「我」が出てしまう。
独善的に、人に教えてやるんだ、な~んて態度を取らずに、 常に相手の立場や気持ちを考え、自尊心を損ねること無く、 良い方向へ“気づき”を与え、改善を行う。

素晴らしい! 本に書かれたような、優れたコーチング・スキルである。
こんな事ができるのは「仏」さんのような人だ!  (ん?)

まぁ、兎に角。釈尊が云われた、唯我独尊の「我」とは、 釈尊の事では無く、「人間、一人ひとりの尊厳」を表して いるようだが、他にも色々な解釈があり、断定はできない。

しかし、私には「人間の尊厳」と云う捉え方が、腑に落ちる。
さらに、この解釈に、凡人の勝手な想像を入れると‥

天の上も、天の下でも、人は皆、それぞれ平等に、尊い命 を授かった、尊い存在である。
故に、私(釈尊)は~ 「人々を苦しみ(四苦八苦)から救う法を、わかり易く伝え~ 八の正しい道を実践する事で、六道の輪廻から抜けて~ 七番目の、涅槃の世界へと、人々を導く使命を持って~ 本日、只今、ここに誕生しました~、マル」 と、七歩、歩み、手を挙げ高らかに、宣言をされている。

そんな御姿にもみえるのだが‥(無論、学術的根拠は無い)

ルンビニ公園の巨大誕生仏

さて戯言は、この辺にして、インドの旅を続けるとしよう。
インド仏跡巡礼⑦へ、続く

※六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)

(2014年3月7日 記)

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