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京から旅へ/インド仏跡巡礼④釈尊生誕の地「ルンビニ」遺跡公園
四大聖地の一つ。釈尊生誕の地「ルンビニ」は、ネパールとインドの
国境から、約25km離れた,ネパールの西南部、タライ盆地にある。
ルンビニは、釈尊の母、摩耶夫人が出産のため、里帰りする途中で
休憩した、美しい花々が咲く「ルンビニの花園」があった場所だ。
夫人が園で、沙羅双樹の花が咲く、枝に手を伸ばした時、夫人の右脇
から釈尊が生れ、天が祝水を与えた「聖なる場所」と、伝わっている。
古代より巡礼の絶えぬ聖地だったが、やがてインド仏教がヒンドゥー教
に飲み込まれると共に、訪れる人も減り、人の記憶からも忘れられた。
風化した聖地は、虎や毒蛇の棲むジャングルとなり、所在は不明に‥
だが、1869年、ドイツの考古学者フューラーが、紀元前にアショカ王が
建てた“釈尊生誕の地”を示す石柱を発掘。幻のルンビニは蘇った。
![](https://assets.st-note.com/img/1662188945420-rRHyWagobO.jpg?width=1200)
さらに時を経て1967年。国連のウ・タント事務総長がルンビニを訪問。
酷い荒廃さに落胆し、ルンビニを遺跡公園に再興する事を提唱。
そして、アジア13カ国による委員会を設置。プロジェクトは動いた。
マスタープランの作成は、日本の建築家、丹下健三氏である。
ルンビニは、少しづつ時をかけ、遺跡公園へと整えられて行った。
そして30年後。1997年、ルンビニは、世界文化遺産に登録される。
宗教的、考古学的に極めて、世界的に重要な聖地と認められた。
現在の遺跡公園は長さ3.76km、幅1.6km。南北に縦長の広大な敷地
を塀で囲み、内部を全面緑地化し、北、南へゾーン分けされている。
グーグルマップの航空写真で見ると、不揃いの畑が延々に広がる
大地に、長方形の箱庭をはめたような、不釣り合いな感じではある。
箱庭の中央には人口運河(南北1.5km、幅20m程)が、造られている。
![](https://assets.st-note.com/img/1662189036439-i456TiESO2.jpg?width=1200)
運河が始まる北ゾーンは、博物館や宿泊施設が建ち、運河の終わる
南ゾーンは、マヤ堂やアショカ王の石柱、産湯に使った池がある。
さらに縦長の運河をグルッと囲み、幅10m程の地道が通っている。
その北と南を繋ぐ地道(往復3km強)を、リキシャが客を乗せ力走する。
長い地道のさらに外側の緑地帯には、ネパール、インド、ミャンマー、
ベトナム、チベット、タイ、中国、日本等、各国の寺院が点在している。
このプロジェクトも様々な問題で、思うように、進まなかったようだが‥
敷地が広すぎてか、何となく公園の整備としては、未完成な感じだ。
最近、100mの巨大仏の建立や、高級ホテル、会議場の建設など、
中国の資本を入れ、大規模に観光地化する動きも出ているようだ。
各国の思惑もあり、世界文化遺産でもあり、難しい問題ではあるが‥
熱心な仏教徒だったウ・タント氏が、再興を願った聖地「ルンビニ」は、
今や観光客だけでなく、巡礼者も多く訪れ、静かに祈りを捧げている。
![](https://assets.st-note.com/img/1662189061550-2xcUsLpLU6.jpg?width=1200)
諸行は無常とは云え、この釈尊「生誕の地」は、
これから、どんな形で「生れ」かわり、変化していくのだろう‥
インド仏跡巡礼⑤へ、続く
(2014年3月3日 記)
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