なぜ成長しなければならないのか?

・企業は成長しなければならないわけではない。
・しかし、発展や変化は、人間が人生を楽しむ上で重要な要素である。安定や秩序は大切だが、停滞やマンネリに傾いていくこともある。
・現在の「成長」は「金銭換算できる経済価値の成長」に偏っているところに問題がある。
・家庭教師に外注するのと、子供の勉強を親がみるのと、どちらが豊かかは分からないが「金銭換算できる経済価値」のみに囚われると、前者の方が絶対的に良いということになる。
・企業がESG指標を導入してきているように、個人もESG指標的なものを導入してもよい。年収だけでなく、仕事のやりがい、余暇の豊かさ、人間関係の豊かさなど、総合的な指標で人生を捉えてよい。総合的な指標で捉えなおせば「成長」も悪くないものになってくる。

・企業も「社会の一部」であるため「社会全体の豊かさの総和の成長」に貢献を意識するとよい。
・例えば、旧来の財務指標のみの観点だと、人件費は「コスト」であり、コストを下げると「利益」が増える。高利益企業となれる。しかし、人件費を高めて、社員という人間の幸福度が高まれば「社会全体の豊かさの総和の成長」に寄与することにもなる。
・成長そのものが悪者なのではなく、どんな観点・指標での「成長」なのかが問題だ。


成長ということ。

「企業は成長しなければならない」という前提は、社会的に強く共有されていると思います。

上場企業や、そのグループ会社の社員ともなれば「前年より業績を良くする」「成長する」ということは金科玉条、大前提の大正義、のようになっていたりするかなと思います。

しかし、この「成長という正義」に疑問を持つ意見は、以前よりもずっと多くなっていると思います。そういう観点から書かれた書籍なんかも増えていると思います。

古くは「成長の限界」(1972年)があり、その観点は社会的に存在はしていたものの、成長する、拡大する、豊かになるということによる「幸福の実感」が大きくて、あくまでマイノリティの意見だったものが、最近は成長と幸福の重なりの実感が減っていて、実生活レベルにおいても「成長はホントに金科玉条なのか?」と疑問に感じている人が増えてきている、ということかなと思っています。

実際には「絶対に成長しなければならない」ということはなくて、例えば「売上100億円、利益10億円を、30年間継続している」というような企業が存在しても、別に問題はないわけです。

何パーセントの成長をするか?ということに正解はありません。
非上場の企業であれば「私たちは、今の売上・利益・給与に満足しているので、これ以上の成長を求めません」という選択肢を選ぶこともできます。

そのような企業が上場していたとしても株主が「安定した配当」を求めるのであれば、それも成り立つでしょう。

投資家が「株を買う」というときに、基本的には「株価の上昇が見込まれる」か「配当が見込まれる」という2つの観点があると思いますが「株価の上昇が見込まれる」というときには「この会社は、今は売上高10億円程度だけど、いずれ100億円、1000億円となると思われるし、その際には、今100円で買った株は、1000円、10,000円と高くなっているだろう」と思って買うわけですね。

この「成長の期待値」によって投資(資金)を集めて、事業を成長させていく、と1200いうのが投資を受ける(や、上場する)ということの基本的な意味合いです。

「社会全体が成長を求めているかいなか」という観点から考えてみます。

工業(モノ)が豊かさの象徴だった時代には、成長はとても大切なものでした。
10軒に一台しかなかったがマイカーが、一家に一台になり、みんなが豊かさを享受する。

このときに「車の販売台数」は成長して、「車の販売総額」も成長します。

ここで価値と価格の問題が出てきます。

社会的に、本質的に重要なのは「価値」です。
「価格」とは、ある意味では、ほとんど意味のなさないものであることはこの後見ていきます。

さて、一家に一台車を所有するようになったとします。
新車の販売価格は300万円です。

5年後、次の新車を購入すると、走り心地や機能、デザインなどの【価値】は上がっていますが、価格は300万円のまま、ということはあります。

価値は上がっていて、価格は上がっていないのですから「価格的成長」を求めることが本質的に重要でないことは明白です。

さらに、人口減少フェーズにおいては
1台300万円の新車×購入する4000万世帯=1200億円
だったものが
1台300万円の新車×購入する3000万世帯=900億円
と減ることは、とても自然なことです。

人口成長とGDP成長が密接な関係にあることはもはや常識に近くなっている気がしますが、人口増大をよしとしない世界においては「売上の成長」「GDPの成長」といったことは、絶対正義にならなくなってきます。

■サービス業の価値と価格

■「成長しなければならない」わけではない

売上が増えなくても、利益が増えなくても、収入が増えなくても「価値が増える」ことはありますし、豊かになる、より幸せになる、ということはあります。

今は世界観の過渡期なので、かなり混乱した状態にあると思いますが、
物凄く単純に

「家庭教師に毎月10万円の月謝を払って、子供の勉強の面倒を見てもらう」
ということと、
「親が子供と机を並べて、一緒に勉強する」
ということ。

これがどちらが豊かで、幸せで、価値があるのか。

私の結論は「人による」です。

しかし「価格」「GDP」「売上」といった指標からすると絶対に前者に軍配が上がることになります。

これが、今の世の中のおかしさなのです。

売上、利益の成長「だけ」を追い求める社会はそろそろいい加減に卒業したいところです。

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