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個人的には退屈という印象が拭えない『楽園』

吉田修一の短編『犯罪小説集』から2つのエピソードを映画化した『楽園』。
映画化が発表された時に原作本を買って、公開を心待ちにしていたが中途半端な映画という印象がぬぐえない。

監督は『64ロクヨン』の瀬々敬久であり、キャストにも綾野剛、佐藤浩市が名を連ねている。それに吉田修一の犯罪小説の映像化作品は『悪人』『怒り』『さよなら渓谷』とどれも見ごたえがある。ゆえに吉田修一原作映画に外れはないと高い期待値を持っていたわけだが実際観てみるとやはり長ったらしくてつまらない。

『楽園』は長野県の小さな町で起こった少女失踪事件と、集落での大量殺人事件を描いたサスペンス映画だ。

少女失踪事件の方は、綾野剛演じるある青年が犯人なんじゃないかといううわさが町に出回り、町の人間が彼を追いかけるうちに青年は自殺してしまって、真相がわからなくなる話である。

「本当にあいつが犯人だったのか?」というテーマは『怒り』にも通じる。そして、もう一方の大量殺人事件の方は、出戻りで集落に戻ってきて養蜂に励む佐藤浩市演じる中年男が主人公。最初は人気者だったが、集落の老人たちのカンに触れ、町人からの陰湿な嫌がらせを受けてしまう。次第に精神が崩壊し、町人たちを皆殺しにしてしまうむごい話だ。

おそらくだが、吉田修一は、殺人事件ではなく村社会を描きたかったはずだ。
しかし、映画版では村社会の恐怖を、村側の人間の視点で描きすぎている。

私は田舎出身なので村社会の窮屈さや異常さがわかる。どこの家の誰の息子がどこの会社に入った、どこのどこさんがどこのスーパーにいた…つまらない町のうわさがすぐに広まる。

公共事業は癒着そのものだし、地方企業はこぞって町で威張り散らす。町おこしはアイデア自体が古く、人を呼ぶ努力もしないし、市議会議員はどこの誰だかわからない。幼少期からそんな田舎が大嫌いだった私には本作の町がそこまで腐敗した村社会に思えなかった。

佐藤浩市演じる出戻り男が受ける理不尽な屈辱はもっと過激でもいいはずだ。メインは少女失踪事件だが、閉鎖的な町という感覚も弱いので犯人が町以外にいる気さえしてしまう。『悪人』『怒り』とは同列に置けない。吉田修一の小説の特徴でもある醜くても力強い人間描写が薄いのも残念だ。褒めるべき点は、上白石萌音の主題歌くらいだ。


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