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書いてきたことで…(166/365)

最近は、僕のnoteを見てくれている人が増えてきた。

有り難いことである。

投稿をシェアしているインスタのストーリーとかにちょこちょこリアクションしてくれる人もいる。

多少は「アイツは毎日書いているヤツだ」と、認識されてきたらしい。

こんな僕の毎日の備忘録であり、時々ネガティブな事も綴るnoteを見てくれている人に感謝だ。

ありがとうございます。

中には、noteのアカウントまで作ってくれた子もいたりして、嬉しい限りである。

別に僕の文章を読まなくても、文章に触れるきっかけになれたのなら、それほど嬉しいことはない。

やはり自分が好きな事に対して、人が興味を持ってくれるのは嬉しい。

自分がその一助になっているとしたら、尚更だ。

 

と、嬉しい事もある一方こんな事もあった。

何のときだったかは忘れたけど、とにかくみんなで何かしているとき「それ今確認する必要がある?」という事を、僕がちょろっと確認しに行った。

普通なら「え、今?」となるだろうが、ちょうど前日に「何か気になったらすぐに解決したい」という事を書いた記事を上げていたので、みんな「イシダイは確認せんと気が済まんからなー」と言ってくれていた。

もし、そんな事書いていなかったら「変わったやつやなぁ」となっていたのかもしれないが、「僕はこういう人間です」というのを表現してきたお陰で、分かってくれた。

noteは日記の日もあるが、基本は僕が感じている事をそのまま残そうというのを意識しているので、これは書いてきたことによる副産物である。

おそらく人が言う普通とかとは違う感性を持ち合わせている方だと思っているので、そこを理解まではしてくれなくても知ってくれているだけで随分と楽になる。

 

また、シェアハウスのみんなも僕が毎日書いているという事を知ってくれていて、見てくれている人もいる。

その分、会話なんかしてたら「これ今日のネタにされるやーん!」と冗談交じりに言われる。

別にそれがどうってわけではないけれども、見られているとなると下手な事も書けないな、と良い意味で自分への戒めにもなっている。

しかし、それで書きたいことを書けなくなっては意味がないので、書きたいことを書くとうのはブラしたくない。

 

書いてきたことで徐々にではあるが、身の回りに変化も起こってきた。

それはすごく小さなものかもしれないが、書くということをやってきたからに他ならない。

別に誰かの為にとか、どうなりたいとか思って書いている訳ではないけど、結果的にそうなっているのなら嬉しく有り難いことだ。

しかし、書いているのはあくまで自分が”好きだから”でしかない。

それが精神的な”豊かさ”に繋がっているから書いている。

 

 

読んでくれている方、改めてありがとうございます。

自己満ですが、これからも書いていきます。





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