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平成の怪物(187/365)

あのワインドアップから放たれるストレートが好きだった。

 

スマホを触っていると、衝撃のニュースが速報で飛び込んできた。

「松坂大輔 引退」の二文字。

”平成の怪物”と呼ばれた野球ファンならずとも多くの人が知っているであろう選手だ。

「松坂世代」なんていう言葉も生まれるくらい、一時代を築いた選手。

ちなみに、僕も自己紹介をする時は「名前の漢字は松坂大輔のダイスケです」と説明するくらい。

 

高校三年時の甲子園では春夏連覇を果たし、夏大会では準々決勝でPL学園との延長17回の死闘を一人で投げきり、翌日の準決勝では右手に巻いていたテーピングを自ら取って9回のマウンドに上がりサヨナラ勝利を呼び込むと、決勝ではノーヒットノーラン。

ここから松坂伝説が始まる。

プロに入ると1年目から開幕ローテに入り、オールスターにも選出され、16勝を挙げ最多勝のタイトルと新人王とベストナインにも選ばれた。

あのイチロー選手との初対決では3打席連続三振を奪い「プロでやれる自信から確信に変わりました」なんていう名言もあったりする。

WBCでは日本のエースとして2度の世界一を経験し、メジャーに行くとレッドソックス時代にワールドシリーズを制覇。

言い出したらキリがないけど、パッと思いつくだけでもこれだけの成績である。

ちなみに、甲子園とルーキイヤーなんて僕は2歳とか3歳だから知るはずないんだけど、動画などで何回も見たりした。

 

ソフトバンクファンの僕にとっては、やっぱりホークスの大エース斉藤和巳さんとのエース対決が見応えがあった。

そして一番印象に残っているのは、当時はホームランテラスがなかった広い福岡ドームで松坂投手から一試合3本のホームランを放った、これまた”平成唯一の三冠王”松中信彦さんとの対決。

しかも3本目はサヨナラホームランだったから、色濃く覚えている。

打たれても抑えても見る者をワクワクさせてくれるピッチングだった。

 

日本球界に復帰してからは思うような成績は残せていなかったが、2018年に中日で6勝を上げた時は多くの野球ファンが復活を喜んだ。

しかし、その後は肩の故障や頚椎の手術などを経て手先のしびれなどが抜けないとのことで、引退表明に至ったらしい。

晩年は怪我に苦しめられ、全盛期のようなピッチングはできず、とやかく言う人々もいたが、その栄光は色褪せることはない。

欲を言うと、最後に一軍のマウンドに立つ姿をもう一度見てみたいというのが野球ファンとしての願いだったり。

 

とはいえ、お疲れさまでした。

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