見出し画像

国語 物語文 子供の<面白い>をひっくり返せ!「保護者登場」

前回・前々回の「ヒント帳」では、保護者と共に討論会を行うという保護者参加型授業の実践を紹介した。

今回は、直接教室に来ていただくわけではないが、アンケートによって得られた保護者の考えを学習に反映させる保護者参加型授業を紹介する。

教科は国語。
3年生の教材文「いろはにほへと」(今江祥智 作)を用いた実践である。
なお、この主教材「いろはにほへと」及び副教材「ばけくらべ」(松谷みよ子 作)は、この実践時には「光村三年上」に掲載されていたが、現在は載っていない。

実践のねらいと手だて

物語の<中心的な場面>を子供が自分から読もうとする授業を目指して構想した実践である。
子供たちに確かな読みの力を育みたいという教師の願いは、時として授業を、教師の読みを押し付けるものにしてしまう。
教師が「この場面こそが大切」と考え、用意しておいた発問に対して子供に答えさせる授業だけをしている限り、子供たちの自ら読む力はいつまでたっても育たないだろう。
そこで、「いろはにほへと」を教材に、子どもが自ら進んで、物語の表現や構成、<中心的な場面>を読み取ろうとする授業づくりに取り組んでみた。

その主な手だてとして、次の三つを用意した。

①単元を貫く言語活動を「面白いと思うところや大切だと思うところが聞き手に伝わるような読み聞かせ会を開こう」とした。
②読み聞かせ会を合計三回行う計画にし、その方法を工夫してみた。特に、保護者の読み方を教材として扱い、それを検討する場を設定した。
③場面と場面との関係や登場人物について必然性のある学習問題で読み取れるように工夫した。

なぜ「読み聞かせ」か

「読み聞かせ会を開く」という言語活動にしたのは、以下のように考えたからである。
自分たちが語り手となって読み聞かせをするので、それをよりよいものにしようと願い、子供たちは読み聞かせる物語の中で特に伝えたいところを意識するはずだ。
そして、その「特に伝えたいところ」を「ここにしよう!」と選択するために、その根拠・理由を明確にしなくてはならないことから、物語をただ平板に読むのではなく、意欲をもって詳しく読み取ろうとするであろう。そうでなくては、「読み聞かせ」をする際に、「大切にしたい場面」が決められないであろうと考えた。

単元の展開

そこで、単元を次のように展開した。
 
まず、私が「ばけくらべ」の読み聞かせを行った。読み聞かせへの意欲を湧かせるためである。
読み聞かせの方法として、自分が面白いと思ったところや大切だと思ったところを速さや強弱、間などを工夫して読んだことも説明した。その後への布石である。
すると、子どもたちも「自分たちも読み聞かせをやってみたい。」という。
その声を受けて、「面白いと思うところや大切だと思うところが聞き手に伝わるような読み聞かせ会を開こう」という単元を貫く「学習課題」を決定した。

次に、場面と場面との関係や登場人物の気持ちの変化を読み取っていった。

初めに、順番を替えた挿絵を正しく並べる活動を通して、各場面の出来事と場面と場面のつながりをつかませた。
 
その後、アニマシオン「ここだよ」を行った後で、それを発展させ、自分の担当した人物の行動や人物像、気持ちの変化を個人で読み取らせた。

そして、それをフリートーク的に出し合うことで互いの読みにずれがあることに気付かせた。そこから「問題」を生み、その「問題」を学習課題として全体で読み解いていった。

例えば第一場面では、八木五平のかっちゃんへの態度を巡って、「小さな子をつきとばしている。こわい人だ」「笑って行ってしまったから優しい人だ」と意見が分かれたため、「八木五平は、なぜ笑って行ってしまったのか」が学習課題となった。
その結果、「『いろはにほへと』がかっちゃんを守ってくれた」という意見に多くの子が納得し、その後の読み進めのための視点にもなった。

その他には、「ご家老は、家来が自分の馬にぶつかったのになぜ許したのか」や、「との様は、笑ってばかりいるのん気な人か」などが、学習課題になった。

子供の<面白い>をひっくり返せ!「保護者登場」

展開は、いよいよ「保護者の読み」を要請する。

第一回目「読み聞かせ会」(二~三人のグループ内で相互に読み聞かせをし合う)では、それまでの各場面の読みを生かして、読み方を工夫したいところを選択させた。
すると、子供たちが選んだ場面は、「何かにぶつかった人物」の会話文や行動の描写、殿様の笑いなど、「滑稽」な場面がほとんどであった。

これは、私の予想通りであった。
なぜなら、この学級の子供たちは、まだ教室という場で私と一緒に、<中心的な場面>という視点で物語を読んだ学習経験がなかったからだ。

もちろん、仮にその経験がある子供たちだとしても、結果は同じだったと思われる。
<面白いと思うところや大切だと思うところ>を探させても、子供たちが必ずしも<物語の中心的な場面>を意識するとは限らない。結局は、「滑稽」な箇所を選んでしまいがちだ。そこが<笑える面白いところ>だからだ。

何とかそんな子供たちに、自分から進んで<物語の中心的な場面>を発見させたい。

そこで、「読み聞かせ会」の第二回目は、家庭で自分の保護者に対して行うという計画に、あらかじめ決めておいた。
そして、保護者の方々には、この「いろはにほへと」の中で「最も心に残ったところ」を、アンケートを使って回答していただいておいた。

保護者の読み方から考える子供

いよいよねらいとする授業開始である。

「家の人に読み聞かせをするのだから、家の人が感動したところを工夫する必要があるよね」と必然性をもたせた上で、

家の人は、なぜそこが最も心に残ったのか

を考える場を設定した。

アンケートの結果を子供たちに提示した。
保護者の方が選んだ箇所は、次の二つに集中していた。

ア 『おくがたには、こんなにうつくしい文字がないように思えました。』

イ 殿様が隣国との戦を避ける場面
 
「大人」ならではの選択である。
どちらも、この物語の「主題性」の強く感じられる場面だ。
だからこそ、「家の人は、なぜそこが最も心に残ったのか」を考えることを通して、子供たちが、

・物語には<中心的な場面>と考えられるところがあること

・この「いろはにほへと」では、どうやら保護者の選んだ箇所が、<中心的な場面>であると考えられること

に気付かせることができると考えたのである。
新たな「物語の読みの視点」の獲得をねらったとも言える。

教師が教えるのでなければ、保護者が教えるのでもない。保護者の「感想」の集約から、子供に気付かせようとしたのである。

子供たちは、次のように考えた。

アについて
「戦が避けられたおくがたのうれしさがよく分かるところだからではないか」
「『いろはにほへと』がいろいろな人を守ってきたことが分かるところだからでは」

イについて
「『いろはにほへと』がみんなを助けたところだから」
「『いろはにほへと』の人を守る力の大きさが分かるところだから」

それらの考えをまとめると、
「いろはにほへと」の文字が、人の命を守ったところが、この物語の「面白いところ」「大切な場面」であり、そういうところが、<物語の中心的な場面>である
となった。

さらに「習得」

この授業を受けて、学校で「読み聞かせ」の練習をした後、第二回「読み聞かせ会」をそれぞれの家庭で行わせた。

保護者の方々にはさらにお願いをして、第二回「読み聞かせ会」の感想を自分の子供に向けて書いていただいた。
上記の「まとめ」の理解の強化を図ったものである。
1時間の授業で習得できる内容ではない。

「様子がよく分かるように読めたね。最後、おだやかな気持ちになれました。」
「かっちゃんの言った言葉が子どもらしくて上手です。最後のページの奥方とお姫様のやりとりのところは、優しくゆったり読めて、お話がまとまったように感じました。」
などの感想をいただいた。

これらの感想から、子供たちが保護者の選択した箇所を意識して取り組んだ様子が伺える。
子供たちにとって、上記「まとめ」の習得を振り返る材料になったのではないかと考えている。

直接教室に来ていただかなくとも、アンケート調査によって「保護者参加型授業」を実施することも可能である。

そして「活用」

さらに、この単元には続きがある。
第三回「読み聞かせ会」を学校で行っている。
今度は、自分で選んだ本の読み聞かせを互いに行わせた。
その物語の<中心的な場面>を探して、そこを意識した読み聞かせに挑戦させたのである。
もちろん、全ての子が、主題に迫る的確な場面を選べていたとは言い難かったが、大切なのは、その子の読み方である。
そして、この学びで獲得した<中心的な場面>という視点で、その後の物語の読解をしていくことであると考えている。