石ころマメ生

元小学校教師。こけつまろびつ41年間教壇に立つ。国語科教育の研究団体会員。失敗の日々を…

石ころマメ生

元小学校教師。こけつまろびつ41年間教壇に立つ。国語科教育の研究団体会員。失敗の日々を重ねながらも「子供たちに教えてもらったこと」を全国区で複数回発表。その他の「教えてもらったこと」を省察し、明日の教室の笑顔に繋がるかもしれないと考え「ヒント帳」改め「リフレク帳」として発信中。

マガジン

  • 運動会指導の新しいコツ

    運動会は学校全体で取り組む行事です。 そのため、教師は、子供を「集団」として見てしまいがちです。 その結果、「ひとり」を置き去りにする指導に陥りがちです。 また、運動会には「勝ち負け」があります。 そのため、教師は、学級集団を「勝つ」ことで高めようとするいびつな感情を抱きがちです。 その結果、ますます「ひとり」の内面に目が向けられなくなりがちです。 そうした指導にならないための「新しい指導のコツ」を集めました。 どの子も、どの学級も育つことを願う「指導のコツ」です。

  • 変わらない学校を変える

    学校はなかなか変わらないと言われています。その典型が「校則問題」です。なぜ、学校は変わらないのか。そもそも、なぜ変わらなくてはいけないのか。どうしたら変われるのか。よく目にする教育学とは少し異なる視点で考えてみました。教師も子供も「幸せ」になる「学校の働き方改革」も射程に入れています。

  • 小学校 最初の出会い 30分間の学級開き創り

    その年の一年間の教育は、初めの1時間で決まります。  その1時間をどのように展開したらいいのか、教師にとって最大の悩み所であり、腕の見せ所です。  この学級、この先生でよかったと子供が思い、明日も登校してみようとどの子も思う出会いの1時間を目指す指導の工夫をまとめました。  教師が自己紹介をすればいいとか、ICT機器を使えばいいとかだけ考えている先生、ぜひお読みください。

  • どの子も「できる=楽しい」体育のために教師が変わる

    バスケットボールの指導はバスケットボールを使用しなくてはいけない。跳び箱指導は跳び箱でなくてはいけない。教師は、そんな固定観念に無意識のうちに規定されがち。しかしそこからは、子供が楽しく学び「できる」ようになる体育指導のアイデアは生まれてきません。体育教師の発想を変える指導の工夫を集めました。

  • どの子も書ける・書くことを好きになる日記指導のアイデア

    子供が日記を書けないし書きたがらない。そんな悩みを抱えている教師や保護者の方も少なくないでしょう。しかし、それは事実でしょうか。子供が書けない、書くことを厭う原因は書き方がわからないからです。ただ書かせるだけではそうなっていしまいます。こんな実践的な日記指導のアイデアはいかがでしょうか。

最近の記事

  • 固定された記事

石ころマメ生の「きのうの教室から明日の教室への「ヒント帳」改め「リフレク帳」です!

 プロフィールにも記したように、40年以上に渡って小学生から「先生」と呼ばれてきました。  「先生」であろうとして、こけつまろびつの毎日でしたが、先輩や同僚、様々な方たちに学び、やってこられました。  何よりも、子供たちが助けたり教えてくれたりしました。    国語科教育についての研究団体に参加し、勉強もしました。全国区での実践発表が複数回、実践論文が複数編あります。どれも「子供たちから教えてもらったこと」です。  その他にも「子供たちから教えてもらったこと」があるので

    • 警鐘!読書に関する調査

      2023年度の国語世論調査の結果が公表された。(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_02.pdf) その中の、08年度から5年おきに実施している読書に関する調査では、今回、1カ月に読む本(電子書籍を含む。雑誌・漫画は除く)の数に関して、「読まない」と回答した人の割合が62.6%であったという。これは、調査以来、初めて半数を超えた数字であり

      • 「夏休みの思い出」を聞くのはもうやめよう

        いくつかの新聞やテレビのニュース番組で、夏休み明けの教室模様が報道された。 そこでは相変わらず、「夏休みの思い出」を尋ね、そしてそれに答えている子供の姿が報じられていた。 「またか」、「まだなのか」と、落胆を禁じ得ない。 以前にも、この「リフレク帳」で述べた。 「夏休みの思い出」を問われる子供の気持ちを、どうして教師は想像できないのだろうか。 語りたくない、語れない子供のいることが、なぜわからないのだろうか。 教室には、様々な家庭環境で育っている子供がいるという事実を教師

        • 「学テ」の結果をどう活かすか?

          文科省が令和6年4月に実施した全国学力・学習状況調査(以下、「学テ」)の結果が、7月29日に公表された。 この学テに対して、働き方改革の推進を背景に、悉皆方式ではなく抽出校方式への変更や中止そのものを求める政治的言説を目にすることがあるが、それでは教育そのものについての議論が深まるとは思えない。 それでは、学校現場の教師は、「よりよい教育の実現」という視点から、学テにどのように向き合ったらいいのだろうか。 ダニエル・カーネマン(2012)は、『ファスト&スローあなたの意

        • 固定された記事

        石ころマメ生の「きのうの教室から明日の教室への「ヒント帳」改め「リフレク帳」です!

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        • 運動会指導の新しいコツ
          10本
        • 変わらない学校を変える
          12本
        • 小学校 最初の出会い 30分間の学級開き創り
          6本
        • どの子も「できる=楽しい」体育のために教師が変わる
          16本
        • どの子も書ける・書くことを好きになる日記指導のアイデア
          9本
        • 小学校1年生 はじまりの ものがたり
          6本

        記事

          さあオリンピック開幕!学習に活かそう

          パリオリンピックが開幕します。 私は担任教師時代、冬季オリンピックを含めた2年に一回のこの時をいつも心待ちにしていました。 なぜなら、子供たちの目を世界に向けさせる国際理解の学習の絶好の機会になるからです。 もちろん、国際交流や国際関係について子供たちの視野を広げる機会は他にもありますが、マスコミの取り上げ方も含め、子供の気持ちにとっての身近さという点でオリンピックに勝るものはありません。 今、地球規模課題についての学習を行うことは、絶対に必要です。 オリンピックがそのた

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          再び「子供を絶対に自殺させないために」

          私は昨年のこの時期、「リフレク帳96」として、「7月の指導は『9月1日』を念頭に置いて 子供を絶対に自殺させないために」という題名の記事を投稿した。 今回も全く同じ趣旨の投稿をしたいと思う。 理由は言うまでもなく、最低でも夏休み明けの子供の自殺者数を0件にしたいからだ。 文科省のホームページによれば、「令和5年の児童生徒の自殺者数は507 人(暫定値)と昨年と同様に高い水準」であったという。 (https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/s

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          ペーパーテストはこう活かせ! 若手教師へ

          ほとんどの小学校では、単元末や学期末にペーパーテストを用いていることと思います。 そして、その目的は成績評価のためである場合がほとんどでしょう。 教師の中には、「評価の手段としてペーパーテストを使いたくない!パフォーマンス課題で子供の生きて働く学力を調べたい!」と考えている人もいるでしょうが、「学年で足並みを揃えて」などと言われると、使わざるを得ないのが現実でしょう。特に若い教師の場合は。 また、ペーパーテストで高得点を取れる子供を育てることが社会的に求められていることも事実

          ペーパーテストはこう活かせ! 若手教師へ

          教育実践に理論をどう活かすか

          教師は、科学的な研究成果を活かして実践の質を高めようとしたときに、「こうすればああなる」という思考方法をしがちではないでしょうか。 「エビデンスのあるこの方法を用いれば、子供は、学習は、ああなるはずだ」と考えて、その知見を用いているように思います。 活かそうとするものが、演繹的に導かれた教育理論であっても、その事情は変わらないでしょう。 しばしば、「真面目な教師」ほど、こうした傾向が見られるようにも思えます。 しかし、結果として「理論通りにいかない」ことが多いはずです。 そ

          教育実践に理論をどう活かすか

          教師の仕事術 お菓子缶と仕事組合せ

          これまでのこの「リフレク帳」で何度か用いてきた『教育効果を可視化する学習科学』(ジョン・ハッティ、グレゴリー・イエーツ 原田信之ほか訳 北大路書房 2020,pp.383-393)に、自我消耗(ego depletion)に関しての記述があります。 自我消耗とは、感情や本音を押し殺すことで考える力が摩耗する現象を指します。 例えば、社会的相互作用の場面において、自分と他者の行動が円滑に噛み合わないことのよって強いストレス感じたときにエネルギーを消耗してしまい、次のタスクへの気

          教師の仕事術 お菓子缶と仕事組合せ

          どの子にも対話的な学びを実現するために

          6月の半ばを過ぎました。学校によっては運動会もやり遂げて、4月から取り組んできた子供への指導が形となって見え始めていることと思います。 しかしその一方で、現行指導要領で強調されている「対話的な学び」の実現が、なかなか順調に進まないという悩みを抱えている教師もいるのではないでしょうか。 一見、活発な議論であっても、個に着目すると、形式的な交流に終始していて思考の広がりや深まりが見られない子供が存在している。そしてその状況がなかなか打破できない。そんなことはありませんか。 そも

          どの子にも対話的な学びを実現するために

          有能な教師は手振りを使う

          私は以前、このnoteにおける「リフレク帳(ヒント帳)98」で、算数学習での「手」と「オノマトペ」を使うことの有効性について述べました。 1年生の算数の加法・減法を例に、「手」と「オノマトペ」を用いることで、「足す」「引く」などの概念理解が進みやすくなること、それによって、やがて手を使わずとも、「足す」「引く」ことの意味を文章問題や現実の場面から読み取れるようになるという実践知をお伝えしました。 その際に、「オノマトペ」を使うとなぜ効果的なのかのということについての理論的

          有能な教師は手振りを使う

          拙速な宿題改革が子供の学力を低下させる

          古い学力観を否定し、新しい学力を育むことを称揚する動きが活発化している。 こうした議論では、「古い学力」とは「読み・書き・そろばん」であり、知識を量として捉える学力観を指している場合が多い。そのため、「繰り返し学習」という方法も、子供の主体性を奪うという理由から否定されることが多い。 これは宿題を見直すことにもつながり、「新しい学力観」に立つ宿題へと移行しようとする動きが散見される。 その動きを「宿題改革」と呼ぶならば、「宿題改革」では「自分に合った内容に取り組む」という考え

          拙速な宿題改革が子供の学力を低下させる

          論理的思考の指導はここが肝心!

          PISAテストの影響やメディア教育の必要性から、学校教育における論理的思考(批判的思考)の指導が求められて久しいが、足元の議論が不十分であるために、子供を混乱させたり、確かな論理的思考力を育てられずにいたりする現状はないだろうか。 日本語が論理的ではないことは、つとに知られている。 山中桂一氏の『日本語のかたち 対照言語学からのアプローチ』(東京大学出版会 1998)によれば、日本人の根源的な心性あるいは思惟方式にその深因が求められるという。 日本人は議論を好まないともよく

          論理的思考の指導はここが肝心!

          運動会指導は実践知を検討する格好の場!

          運動会に向けての指導に精力的に取り組まれている学校が多いことでしょう。 運動会は学校行事であることから、学年全体や全校での合同体育における協業的指導の時間が多く取られると思います。 この時間こそ、教師相互の「実践知」を検討する格好の機会になると考えます。 特に「若手」教師にとっては、よい「学び」の場になるはずです。 教師が実践を行う際に用いる「知識」には、「理論知」と「実践知」があるといえるでしょう。 「理論知」とは「研究」によって導かれる演繹的知識であり、「実践知」とは

          運動会指導は実践知を検討する格好の場!

          子供の問いから始める読むことの学習への疑義

          子供の問いから始めていいのか?国語の読むことの授業において、単元の導入部で子供の感想や疑問から問題を作り、それを問いていく方法を推奨する文章やその実践報告を近年よく目にする。 恐らく、学習者中心の授業へのシフトが声高に語られているせいだろう。 確かに日常の読書生活において、問いを立てたり疑問を感じたりしてそれを明らかにするために読み進めるということを私達が行う場合はある。 その意味では、教室において物語的文章や説明的文章を、問いを設定して読むことは、読み方の一つであるとは言

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          「子ども理解」を見直そう

          「子ども理解」は「正しかった」か?学校現場もまた新年度がスタートし、約一か月が経過しました。 大型連休を迎え、ほっと一息というところでしょうか。 新しく出会った子供たちとのこの一か月を振り返り、改めて子供を見つめ直している時かもしれません。 ではここまでの間に理解した子供の姿、それは「正しい」でしょうか。 その「子ども理解」は、実は「まちがい」ではありませんか。 さて、「まちがい」と今言いましたが、それは、子供の行動や発言などの記録や記憶のミスであるとか、行動や発言からの

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