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教育実践に理論をどう活かすか

教師は、科学的な研究成果を活かして実践の質を高めようとしたときに、「こうすればああなる」という思考方法をしがちではないでしょうか。
「エビデンスのあるこの方法を用いれば、子供は、学習は、ああなるはずだ」と考えて、その知見を用いているように思います。
活かそうとするものが、演繹的に導かれた教育理論であっても、その事情は変わらないでしょう。
しばしば、「真面目な教師」ほど、こうした傾向が見られるようにも思えます。

しかし、結果として「理論通りにいかない」ことが多いはずです。
その結果、「自分は能力が低いのだ」と感じてしまう教師もいることでしょう。たたでさえ、彼・あなたは、「真面目な教師」なのですから。

さて、その結果は本当に「能力」の問題でしょうか
理論通りにいかない理由には、次のことがないでしょうか。

◯理論と実践とは異なるものである。
一般的抽象的な理論知を求めるのが研究であるのに対して、実践とは個別的具体的なものです。二度と同じことが繰り返されない一回性こそが実践の特徴なのですから、常に同じ結果になることを説明する理論をそのままの形で適用することは、本質的に不可能なのです。
また、実践を成立させている要因は抽象化された単一の理論だけではありません。実践は複雑な要因が入り混じって生成し変容していくものです。一つの理論だけで実践をコントロールすることも不可能なのです。

私は、このnoteの「リフレク帳」で、ここ数回、学習科学の知見を整理した『教育効果を可視化する学習科学』(ジョン・ハッティ、グレゴリー・イエーツ著 原田信之ほか訳 北大路書房 2020)で述べられている考えを根拠として用いてきました。それは、本書が理論をそのまま実践に適用することのもつ無意味さを十分に踏まえているからです。本書の「訳者あとがき」でも、原田信之氏が次のように記しています。

メタ分析研究や学習科学研究の成果であるエビデンス(根拠)やそれに従って書かれた本書の学習に関する数々のガイドラインを一つの有力候補として参照しつつ、各学校・各教師においては、個別の生徒の状況、教育活動が行われる学校・学級といった場の特性を考慮し、学習のよりよい成立条件を考える必要があるということは、ぜひ伝えておきたいことである。(中略)示されたデータや知見と向き合いつつ、最適な改善のための参照データとして、自らが置かれた諸条件や子どもたちの現実と照合させることが重要なのであって、本書を学ぶことで直ちに風邪が収まるような処方箋が得られると期待することは、著者の趣意にも沿わない。

(前掲書,p.492)

本書がこの立ち位置から書かれているからこそ、参照する価値があると私は考えています。

◯使おうとした理論そのものが誤っている場合がある。
彼・あなたが用いた理論が、実は<誤り>の場合もあります。
その典型的な例として、「学習スタイル(LS)」に関する理論があります。
人間には生まれながらにしてもっている情報を処理するときに好んで使う学習スタイルがるという考え方です。学習スタイルの分類モデルとしては、「視覚学習者」「聴覚学習者」「運動感覚学習者」の3分類に分けるものが、よく知られているのではないでしょうか。この数十年、こうした子供それぞれの学習スタイルに合わせた指導をすることで学習効果が大きく高まる、という理論研究が盛んに行われ、実践でも広く推奨されてきたように思います。

しかし、今ではこの理論が誤りであったことが、定説となっています。

子供によって好む学習スタイルがあることは事実なのですが、それに教師の指導を合わせることによって学習効果が高まるという明白な根拠は、まったく存在しないのだそうです。このことは、前掲した『教育効果を可視化する学習科学』でも明言されています(pp.275-288)。また、次の二冊においてもはっきりとこの「学習スタイル(LS)」に関する理論は否定されています。

『本当は間違っている心理学の話 50の俗説の正体を暴く』(スコット・O・リリエンフェルド、スティーブン・ジェイ・リン、ジョン・ラッシオ、バリー・L・バイアースタイン著 八田武志ほか訳 化学同人 2014、pp.123-129)においても、

『認知心理学者が教える最適の学習法ビジュアルガイドブック』(ヤナ・ワインスタイン、メーガン・スメラック、オリバー・カヴィグリオリ著 山田祐樹日本語版監修 岡崎善弘訳 東京書籍 2022、pp.66-68)

研究の進展とともに、それまで確からしいと考えられていた知見は更新されていくのが、科学の本質です。
そのことを上記三番目に掲げた本で、山田祐樹氏が「日本語版監修者あとがき」で次のように説いています。

科学には、科学自身を修正したり修復したりする機能があります。認知心理学や教育心理学も例外ではありません。近年では比較的知られるようになってきましたが、本書は学習スタイルに合わせた学習方法を採用することが特に効果的でないことを明言しています。/しかし、数十年前では、学習スタイルに合わせた学習を行うことが良いとされ、学習スタイルとはどのようなもので、どういった学習スタイルが存在し、どのようにして実際の学習に取り入れていくべきかといったことが多種多様に提案されていました。いま、この考えは研究者たち自身の手によって修正されてきています。

(『認知心理学者が教える最適の学習法ビジュアルガイドブック』,pp.282-283)

活かそうとした理論が誤っていたのならば、理論通りの成果が得られないのも当然のことです。

では、科学的知見に絶対的な信頼性がないのならば、理論に頼ることなしに教師の直観のみによって実践を進め方がいいのでしょうか。

それも同様に危険であることは言うまでもありません。直観が常に正しいとは限らないからです。それがたとえ熟達した教師の直観であっても。
また、せっかく効果があることが実証されている科学的知見があるのに、それを用いないのは、子供にとって不利益であるということもまた、言うまでもないことです。

そこで、科学的知見を実践で用いる際の基本として、教師は次の二点をもっと意識してみてはどうでしょうか。

①具体的な学習の文脈を踏まえて科学的知見・理論知を使い分ける。
まず、「こうすればああなる」という考え方はもうやめましょう。
科学的知見・理論知が一般知であったとしても、とどのつまり蓋然知に過ぎないということは、上に見たとおりです。
ですから、用いる学習場面の文脈に合わせた使い方をすることが必要です。
 
ときには、相反する知見を組み合わせて使うことが求められる場合もあるでしょう。
 
また、例えば、一人一人の子供の学習スタイルに合わせた指導をすることにエビデンスがなくとも、言葉で語って伝えるだけでなく、図示したり実物を提示したりするなど視覚に訴える指導方法が一部の子供の学習効果を高めることを、教師なら経験的に知っています。
 
あるいは、「少人数クラスが常によい学業成績を保証する」という考えが誤りであることもよく知られていますが(上掲した『本当は間違っている心理学の話 50の俗説の正体を暴く』(巻末p.19)などを参照)、例えば総合的な学習の時間における個別の調べ学習の場面では、少人数学級の方が教師の支援が手厚くなって学習効果が高まることも教師は知っています。
つまり、科学的知見・理論知は<使い方>が重要であり、その意味においてまさに、「『理論的知識』は『実践的知識』に媒介されて使用されている」(松崎正治2001、 p.216)のです。
 
②自らの実践知も含めて、科学的知見・理論知を批判的に用いる。
そして、科学的知見・理論知が反証され、更新されていくことが研究の進展であるのですから、検討・検証をしつつ実践で用いていくことが必要だと考えます。
つまり、具体的なあなたの教室の実践場面が、その科学的知見・理論の検討・検証の場となるのです。結果としての子供たちの姿が語ってくれることが、必ずあります。
このことは実践知についても同様です。実践知が常に正しいとは限らないからです。

以上、教育実践において科学的知見・理論知を活かす際の基本と思えることを述べました。

*松崎正治2001「総合学習『平和』について考えよう」井上一郎編『神戸大学教授浜本純逸先生退官記念論集 国語科の実践構想―授業研究の方法と可能性―』東洋館、pp.215-235