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映画業界 ハラスメント体験記【奴隷日記#9】

激動の一日、それぞれの空

前日の酒も覚めぬまま、「今日はクランクイン」と、意気揚々と起床した。散々な仕込み期間を終え、ようやく訪れたクランクインだ。

が、私は前日から「次の場所の仕込みの買い出し」をナカと共に仰せつかっていた。買い出しとはいえ、朝の6:00に店は空いていないので、ナカはまだ寝ていた。名古屋までお使いを頼まれていたハチ子も、同じくまだ起床の必要はなかった。J太郎とアキさんと恋ちゃんは現場組だったので、私は彼らを送るために同じ時間に起床した。

 

アキさん凡ミス、戦々恐々のナカ

無事に彼らを送り届けたあと、もう一眠りというわけにはいかず、ハチ子を駅に降ろし、ナカと共に麗しの”キンブル”へ出発した。予定の家具をあらかた見終わり、私とナカは数点の写真をアキさんに送る。我々が選んだ家具をアキさんがOKかNGか判断するのが、いつものルーティンだったのだが、この日は返信が嫌に遅かった。

ナカ「多分機嫌悪いですよ、絶対」

私「J太郎、大丈夫かな」

ナカ「J太郎さんまた殴られたりしてるかも」

と気が気でなかった。既読がつくも返事がないまま30分が経つ。いいのがなければ次の店へという指示が前日出されていたので、どうしようかと二人で話し合う。「既読で返事がないってことは、ダメってことやろ?」「でも勝手に動くと怒りますし」「まあそうやな」と、返事を待つことにした。1時間待機。「さすがに動かん?」「そうですね、さすがに1時間経ったので」と、ようやく次の店へ行こうかとした矢先、突然、電話が鳴る。

アキさん「今どこや」

私「返事がなかったので予定通り、次の店に向かうところです」

アキさん「俺が何も言わんってことは待機や。勝手に動かんとってくれ」

さらに30分待機する。怒りを抑える。これも助手の仕事と呪文のように唱える。電話が鳴る。

アキさん「今から現場きてくれ。なるはやで。30分!」

訳もわからず現場に戻る。何も買うことなく。待機場所から現場まで1時間はかかる。もうつく?と度々連絡が来る。アキさんは明らかに苛立っていた。私とナカは冷や汗をかきながら、爆速で向かった。

到着すると走ってこちらに向かってくるアキさん。ついに私も殴られると覚悟したが、身に覚えがない。車に乗るアキさん、

アキさん「すぐ出してくれ、この辺で雑貨屋、どっか知ってるか?」

知るわけがない。私は奈良県民だ。よくよく聞けば、アキさん担当の小道具に漏れがあったようで、現場にJ太郎を残して、急いで買いに行かなくてはいけなかった。その小道具が次のシーンで使われるらしい。彼は決して自分のミスとは言わなかったが。ナカが付近のイオンモールを見つける。

アキさん「ナカ!何分かかる?」

ナカ「ここから30分ほどです」

この30分が命取りになる。お昼の渋滞に巻き込まれた私たちは、目的地にたどり着く頃には1時間が経過していた。どんどん苛立つアキさんは、ナカをチラチラ見ては睨んでいた。

ナカ「すいません、本当に」

私「渋滞は仕方ないよ」

アキさん「これで(該当シーンに)間に合わんかったら、ナカ。わかってるな?」

ナカ「すいません」

私には、間に合わなかったら何をするのかよくわからなかったが、この頃2代目J太郎になりつつあったナカは戦々恐々だったろう。J太郎で止まっていたパワハラも、ついにナカに到達した。この文言は、もはや脅迫ではなかろうか。

結局、数点の雑貨屋を駆け足で巡り、行きとは異なる迂回路で現場へ向かった。時間に余裕があると分かったアキさんは、後部座席に寝転び、就寝を始めた。私たちは彼のミスで、愛知を右往左往させられ、昼飯も食わずに奔走したというのに。「当の本人が眠そうにしてんなよ」と殴ってやろうかと思った。道中、J太郎が「アキさんこのまま戻らせんでもいいよ」とラインを寄越したので、何とか自我を保てた。

 

再び陥る三人体制

アキさんを送り届け、ロケ地の清掃や主人公が乗る自転車のメンテナンスなどに奔走していると、ハチ子が名古屋から戻ってくる。駅まで迎えに行き、合流した刹那、またもアキさんから電話が鳴る。

アキさん「今どこや」

私「予定通り、ハチ子を乗せました」

アキさん「緊急で探してほしいもんがある。15分で頼む。詳細ラインで送る」

送られてきたのは菓子の包装紙。これも買い忘れであった。「紫か白で、老舗のもの。タダで頼む」現場まで10分かかる為、リミットは5分。にしては細かすぎる注文だったが、幸い、駅前に和菓子屋は多かった。ここだ!と通りすがりの和菓子屋に入り、「包装紙ってもらえますか。タダでお願いします!映画で使わせていただきたくて!」と交渉する。地元で映画が作られることを新聞で知っていたのか、店主は、我々の鬼気迫る様子に「大変だねぇ、下の子たちは」と何枚も渡してくれた。

慌てて車に飛び乗り、タイムリミットに間に合った。アキさんが降りてくる。

アキさん「おう、これこれ」

と一言だけ残し、持っていこうとする。「私が持っていきます」とハチ子。現場を見たかったのだろう。あと数時間で帰る予定のハチ子やナカにとっては、現場を見る最後のチャンスだった。アキさんも許し、ハチ子は入って行ったと思う。程なくして、ハチ子と、現場に入れてもらえた恋ちゃんも車に戻ってくる。ハチ子やナカが、羨ましそうに「どうだった?」と質問攻めしていたのが印象的だった。

私は、息つく間も無く、彼女たちを宿坊に送り、住職に挨拶を済ませ、駅まで送った。ちょうど17時頃だった。私は申し訳なく感じていた。愛知まで呼んで、ロクに現場には入れず、金ももらえない。こんなことなら、ハチ子やナカを呼ぶべきじゃなかった。「ごめんな、巻き込んで」と謝り、「いえいえ」と何でもなさそうにしていたが、きっと後悔が強かったろう。最後に「一番大変なのはドウモトさんですから。送迎も全部させてしまってすいませんでした」と逆に謝られてしまった。なんと素敵な後輩を持ったことか。ありがとう、ハチ子・ナカ・恋ちゃん!

とにかく元の三人体制に戻ってしまった。美術助手のナガサワさんは、アキさんのせいでハブられていたし、現場付きのオシオさんは、当然現場を離れる訳もなく、J太郎は主にオシオさんの手伝いで忙しかった。当のアキさんは、仕込みに集中するはずが、現場にいないと不安なのか、仕込みには手をつけなかった。残る私は、当然一人では家具さえ運べず、また、緊急の買い出しに備え、車を離れることもできなかった。

結局、現場の隅の駐車場で、待機する他なかった。

 

雨の三月、極寒の車内

ハチ子たちと別れた私に待っていたのは、孤独そのものだった。「一旦駐車場で待機しといて。また連絡する」と言われた私は、現場の端に駐車する。アキさんは「すぐ出るからエンジンつけっぱなしで」と言ったが、すぐに録音部からバツが出る。エンジンを切り、待機する。雨が降り始め、陽が傾き、どんどん車内は寒くなっていく。20:00、待機から3時間後、笑顔で戻ってくるJ太郎。「堂ノ本くん、ずっとここいたん?」と心配そうに話す。車内の温度は、5℃の表示。死にそうな私は、笑顔のJ太郎に安堵した。

夕食休憩の時間だったが、私を心配したJ太郎は、飯よりまず煙草に付き合ってくれ、「ご飯取ってくる」と駆け足で戻っていった。彼の優しさが染みたのは、そのあとのことだ。

戻ってきた彼の手には、弁当と共に、制作部からクスねた缶ビールがあった。運転手の私にあげるものではないが、何か渡したかったのだろう。その気持ちが嬉しかった。「後で宿坊の喫煙所で一杯やろう」と話すJ太郎の手元には、私の分のビールしかなかったのが、彼らしかった。こうして、私は約24時間ぶりの食事にありついた。冷え切った焼きサバの骨が鬱陶しかったが、もはや食えればなんでもよかった。楽しげに話しながら食っていた。時間にしておよそ5分。

アキさんが、コツコツと近寄ってくる。ハイエースの窓をゴンゴンっと叩き、私は窓を開ける。

アキさん「早飯、現場の鉄則」

と太々しく呟き、ズカズカと車に乗り込んでは、「どうせなら3人分のビール取ってこいや」と悪態をつき、「5分寝るから静かにしろ」と寝入った。私とJ太郎は二人で顔を見合わせたが、おそらく二人とも「殺してやろうか」と思っていたに違いない。

 

初日、終了

結局、夕食後も私は、駐車場待機を命じられる。当初の「すぐ出るからエンジンつけっぱなしで」などという会話は、もちろん忘れている。待機中、私を俳優部のマネージャーと勘違いした制作部が、わざわざコーンポタージュを持ってきてくださった。「いや僕、美術部なんです」と断ったが、「こんなところに何時間も待機させられて。君も大変だね」と1時間に1本持ってきてくださった。コーンポタージュで繋がった車輌部は、煙草片手に、酷い現場の体験談をしてくれた。まさにアキさんのような上司の話で、「一緒ですわ!」と盛り上がった。

結局、その日現場が終わる24時まで極寒を耐え抜くことになる。7時間駐車場にいると、寒さで眠気が訪れる。現場が終わり、車内にアキさんが戻ってきた時、私はウトウトしていた。

アキさん「なんで寝とんねん」

アキさんは冗談のつもりだったろうが、私は忠犬ハチ公ではない。主の帰りを、姿勢良く7時間も待てない。待つのは構わなかった。映画は時間がかかるものだから。ただ、なんの説明もなしに、今どのシーンを撮っているかもわからぬまま、「一旦待機」で7時間も待たされるのは、おかしい。なぜ私が怒られたのか、未だに理解できない。  


クランクイン2日目

この日も早朝から現場は始まった。起床予定より早めに起きたアキさんは、なぜかJ太郎の頭を踏んで起こした。その光景は、とても愛のある感じでなかった。寝坊でもないのに、眠っている人間の頭を踏んで起こすなんてのは、およそ常人のすることではない。J太郎は、「なんでですか?」と朝から不機嫌だった。

私はと言うと当然、今日こそ現場に入れるとばかり思っていたのだが、この日も「駐車場待機」を命じられる。私は、演出畑の人間で美術部ではないので、仕方ないとは思ったが、恋ちゃんが現場に入れて、私が入れないのは、もはや嫌がらせ以外の何者でもない。J太郎も納得いかない表情だった。

私「現場入れないなら、ここ来た意味ないんですけど」

アキさん「コロナで人が多いとあかんから」

私「じゃあいつ入れるんですか」

アキさん「そんなに怒るなって。ドウには、演出の気合入ってるシーンとか、画的に重要なところで、しっかり入れたるから」

と諭される。J太郎のお荷物になるわけにもいかず、仕方なく受け入れる。

アキさん「とりあえず昼飯までは待っててくれ。そこから仕込みに向かうから」

こう言い残して、ハイエースを後にした。

 

破られた約束、極寒の車内

待てど暮らせど、そんな約束は守られなかった。

13時の昼飯まで、7時間待機した。J太郎が今日も飯を運んできた。刑務所にいる気分だった。朝から南中までの日の動きを見て、刻一刻と減るスマホを消しては、台本を読み続けた。暇すぎて、般若心経を台本に書いていたのを覚えている。8回書いた。

昼飯が終わり、「もうちょっと待ってて」とアキさん。

結局、それから4時間経った。合わせて11時間の待機だ。何度も言うが、私は車輌部ではない。現場に入る前提だったので、衣服は軽そうだったし、ブランケットの類もなければ、充電器なども準備していない。極寒と暇のダブルパンチ。死ぬ。

辺りは暗くなり始め、私は痺れを切らしていた。「もうどうでもいい」と、現場からほど近い公園に向かった。子供たちが砂場遊びをする横で、不機嫌にタバコを吸っては、コーンポタージュをジャンキーのように飲み漁った。「もう勝手にしろって思いますわ」などと車輌部と談笑していると、横で遊ぶ子供を見守る母親がコチラを見ている。どういうわけか私をじっと見ている。

私「すんません、大きな声で悪態ついて」

と母親を見ると、何やら既視感がある。それどころか、向こうが手を振ってくる。

母親「敬太くん?やっぱり敬太くんやん!」

なんと、中学時代の元カノだったのだ!そんなバカなことあるかと、近づき見つめたが、やっぱり元カノだった。

母親「こんなとこで何しとん?土木かなんか?」

私「ちゃうちゃう、映画でな」

母親「すごいやん!ちょっと家寄って行きよ」

中学以来、再会を果たした元カノのこの言葉に、妙に期待した私がいた。当然、愛知に入って以降、自慰の一つもマトモにできていないのだから、人妻になって子持ちの元カノなんていうシチュエーションには、ビンビンである。

母親「やっぱなし。旦那帰ってくるわ」

私の淡い期待は、たったの一言で、見事に打ち砕かれた。不謹慎だが、この時は「離婚しろ!」などと言ってしまった。ごめんね。

 

公園から見える現場の景色

公園のベンチからは、J太郎が何度も現場とその下の支度部屋を上り下りする姿が見えた。J太郎に申し訳ない気持ちになった。

きっとあのタイミングで、彼女と出会っていなければ、また違った未来があったかもしれない。私はとにかくJ太郎の真剣な姿を見てしまい、「待たされるくらい耐えて当たり前や」と考えてしまった。

車内に戻り、程なく夕景が差し込む駐車場。夕食を持ってきたアキさんとJ太郎が、車内へやってくる。アキさんは、特に何をいうでもなく、普段通り食事にありつき、J太郎にお茶を持って来させ、食べ終えたゴミを捨てにいかせた。いつも通りの嫌な光景に辟易したが、隣の車では、私の憧れの女優も食事を済ませていた。彼女が車外へ降り立ち、現場へ颯爽と歩きながら、視線に気づいたのか私の方へ振り返り、微笑んだ。軽い会釈だったろうが、その様子が、どうしようもなく映画のようで、私は嬉しくなった。引きの画だったはずなのだが、彼女が振り返った瞬間の光景が、なぜかアップで思い出される。私は、まさしくあの瞬間”女優”を見た。

 

現場終了

この日は結局23時近くまで、撮影が及ぶ。私は駐車場で17時間待機した。もちろん、アキさんへの憎しみと腰の疲れは異常なものだったが、元カノとの再会と、”女優”を見た衝撃、この二つで1日耐えられた。

私は日の出から日の入までを車内で眺め、極寒の中を耐え抜き、またしてもアップのタイミングで電池切れしてしまう。そんな私にアキさんは、またしても「ドウはよく寝るなぁ」などと小言を呟いた。もはや怒りが出ないくらいには疲れていた。J太郎も連日現場で殴られ、オシオさんとアキさんの違いを実感し、疲れていた。二人で、「喫煙所で今日も一杯やろう」と話したのを覚えている。

アキさんはそれを良しとはしなかった。

 

安息地・立ち入り禁止命令

風呂に入る前に、我々は喫煙所へ向かった。宿坊近くのコンビニで夜食と缶ビールを買って、今日の出来事を振り返る。これは愛知に来てから恒例になっていた。アキさんに酒を付き合わされた日は、缶ビールなしだったが、我々に取ってその時間は必要なものだった。

24時間プライベートなく、そのほとんどを嫌な上司と過ごさざるを得ない環境において、アキさんが寝静まる深夜こそ、ユートピアだった。恋人と電話をして声を聞き安心する。ゆっくりとタバコを吸って虫の鳴き声を聞く。卒業制作の展望を話し合う。そんなふうに、ゆっくりと過ごす時間だった。

この日も同じように向かったのだが、いつもと違うのは、疲れ切っていたこと。愛知に入って以降、起床は5:00、宿坊に着くのは1:00超え当たり前と言う感じで、連日の激務に疲れていた。疲労の限界だった私たちは、いつもは行う芝居をしなかった。いつもは「風呂入ってきます」と嘘をついて、喫煙所に向かっていたのだが、それが面倒なほどに疲れていた。

部屋に戻ると、明らかに怒っているアキさんの姿があった。

アキさん「休める時に休めっていつも言うよな?」

J太郎「はい」

アキさん「遊びに来てるんちゃうんやぞ。甘すぎや。休める時に休めってのは、お前らのためじゃない。俺のために休めって言うとんや」

とぶちぎれる。その論理は理解できなかったし、我々にとって、あの場こそ唯一の心休まる場所だった。何より、今朝、まだ起床時刻でもない時間に、J太郎の頭を足で踏んで起こした人間が、「休める時に休め」とは、笑い草である。

アキさん「お前、明日は現場入らんでええ」

とJ太郎に言い残して、風呂も入らず、着替えもせず、寝に入った。

結局、それ以降、喫煙所は立ち入り禁止になった。これは、確実に我々の精神と自由を蝕んだ。正真正銘24時間行動を共にするというのは、気が触れてしまいそうになった。

結局翌日になっても「現場入らんでええ」という言葉は撤回されなかった。私は、まるで現場に入れないことが罰ゲームのように放つ彼の言葉に違和感があった。前日17時間駐車場で待った自分の立場が、ほとほとバカらしくなった。この頃には、ハッキリと「帰ろうかな」とJ太郎に口にしたと思う。

J太郎も、オシオさんとの仕事の中で、「アキさんが異常なだけ」と認識し始め、また、アキさんの度重なるミスやおかしな行動から「美術としても人としても異常な人間に、なぜついていく必要があるのか」と話していた。この日あたりから、アキさんとの決別を、確実に意識し始めた。これまでの「一応先生だから」「世話になったから」という感情は、全くなかった。


次回予告

似たような状況がずっと続き、数日が経った後の話を書きます。

私は相変わらず、駐車場で連日朝から夜まで待機する日々が続き、J太郎とアキさんは現場につきっきりだった。クランクインして間もなく、いよいよコロナが蔓延してきた、となって、制作部から正式に外食禁止令が発令された。

その禁止令が出たすぐ後の「涙の1000円事件」を描きます。

この事件の翌日、#0で書いた奴隷宣言が発布され、我々はついにその翌日、アキさんの元を離れることになるのだが・・・

残る奴隷日記は、

#10 涙の1000円事件

#11 お前らはタダで動く奴隷

#12 奴隷日記完結

 #13 今回の総括

の以上、4本で終了予定です。最後まで、ぜひ読んでください。

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