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とある”トラウマ”について

初めに。

これを読んでいる方で、同じような体験をした方がいたら連絡が欲しい。それほどセンセーショナルな体験ではないような気もするけれども、私にとってはなかなか大きな出来事で、未だに立ち直れていない事が何個かある。今後の自分の創作にも、もはや人生にも影響があるような気がするので、一度自分のために振り返って書いてみようと思う。

※ちなみに今回の記事は、2021年3月31日に前ブログ「我が逃亡と映画の記録」にて書いた記事をガッツリ加筆・修正したものです。見覚えのある方も、新たな記事になってますので、是非。

高校生の頃のお話。

私は、自宅から約1時間半ほどかけて毎朝高校に通っていた。やや荒れた中学生活から一変、一目散に勉学に励む傍ら、時折サボっては映画館に行く、そういう毎日だった。少し頭のいい大学を目指していたせいで、毎日塾通いの生活だった。

毎朝6:00過ぎに起床して、7:00の最初の列車に乗って学校に向かう。学校を終えて、そのまま塾に向かい、23:00台の最終列車で帰路に着く。自宅に着くのが確か24:30とかで、そこから風呂に入り、ご飯を食べて、部屋に上がって映画を2本ほど見る生活。毎日4:00過ぎくらいに寝るという生活だった。自分でも驚くが、この生活を2年続けたのだから、大したもんだと思う。学校のほとんどの時間を睡眠に充てていたおかげでなんとか持っていたが、たまに「授業中に寝るな!」なんて言ってくる大馬鹿者がいた日には、私の体調はどん底まで落ちていた。

とにかく、そういう生活を続けていると、このまま電車に飛び込んでやろうか、みたいな気分になる。当時、たまたま読んでいた本が、そういう本だったからかもしれないけれども。

 

事件は突然に。

その日も、いつものように先頭車両に乗り込んだ。通勤ラッシュの時間だったから、いつも立つ他なかったのだけれども、先頭の運転席の真後ろに立つと、もたれやすくて、いつもそこだった。私は電車に乗るなり、単語帳を出すでもなく、小説を読み始めた。電車が動き出し、10数分経った頃だろうか、事件は突然起こった。

ボワーーーン!

と長く、長く鳴り響く警笛の音。

あまりの長さに思わず振り返ると、列車の目前におじいさんが立っていた。自転車を横に構え、じっとこちらを見ていた。

隣のサラリーマンも気付いて、「おい!!」と叫んだ。近くにいた女子高生も気付いた。時間にして、5秒ほどだったと思うけれども、嫌に長く感じられた。運転手はとにかく、為す術なく、祈るような顔をしていた。

急ブレーキで列車が大きく揺れ、キーっという音と同時に、女子高生が叫んだ。私は、おじいさんが列車の下敷きになるその瞬間まで、目を離すことができなかった。

笑っていた。

薄い水色の作業着を上下に着ていて、きったない帽子ときったない歯をこちらに向けながら、ニヤッと笑っていた。全身に鳥肌が立ったのを覚えている。それから、不謹慎だけど妙な興奮があった。人の死の瞬間を目撃した、あの当時はそんな野次馬根性を抱えていた。ホラー映画でよく出てくる、あの手のシーンはなかなかリアルだと思う。本当に不気味で、「厭」というワードそのものの、不愉快な笑顔だった。けれど、その反面、安堵を滲ませているようなそんな顔をしていた。

ぐちゃぐちゃと自分の足元を何かが通る音が聞こえ、急停車した車内では、「ただいま、猫が絡まってしまい」とアナウンスされた。なんだ猫か、という声が聞こえ、でも私たちには到底猫には見えなかったあの男の顔が離れなかった。横のサラリーマンが猫じゃないですよね、と私に話しかけてきた。私は、はい、と答えた。その言葉を聞いて、またその隣の女子高生が小さく悲鳴を漏らした。彼女は涙を浮かべていて、きっと正常な反応を示していた。サラリーマンは呆然としていて、私は自分が異常な反応を示しているのではないか、と恐ろしくなった。

電車に飛び込む小説を読んでいたときに、電車に飛び込んでみたくなっていた私と、本当に電車に身を預けたおじいさん、全く関連性はないけれども、本当に妙な興奮があったのだ。

何分かして、警察や救急車両が線路付近に来て、運転手は震えるように泣いていて、やはり猫なんかじゃないと周囲も確信した。サラリーマンたちはいつ動き出すのか、と怒り出して、私はなぜか気分が悪くなって、電車を降ろしてもらった。血の匂いはしなかったけれども、近くの踏切は警察と野次馬がいっぱいで、やはり人の死が感じられた。

 

事件以降の私のお話

その件以降、電車に乗るのがトラウマになった、というわけではない。普通に学校に通っていたし、その間、何度もおじいさんが死んだ踏切を超えた。別に大丈夫じゃないか、と思っていた。けれども、それから数週間経ったある日、駅のホームを電車が通過する時、警笛が鳴った。学生が戯れてて、白線の近くにいたからだろう。驚いたのはその直後、動けなくなっている自分に気づいた時だった。動悸が激しくなって、という重大な症状ではなく、単に動けないというだけのこと。警笛が聞こえるたびに、おじいさんの笑った顔がフラッシュバックした。

おかしい。

はっきりとそう感じた。それから、何度か乗っている電車やホームで待っているときに、電車の警笛音を聞いた。その度に、体が硬直するのだ。そして、頭には、あの笑顔でいっぱいになる。呪いか何かの類なんではないか、と思い始めた頃、病院に行った。

医者に診てもらったけれども、時間が薬です、と言われるばかりだった。日常生活の、たとえば車やバイクのクラクション、自転車の鈴の音には全く反応を示さなかったから、特段大きな問題はなかった。けれど、電車だけは、毎度そうなるのだ。だから、高校卒業までは電車では常に、イヤホンをつけて音量を最大にして過ごした。周りの人間は、その音漏れの異常さに、たまに怒ってきたけれど、仕方ないじゃないかと悲しくなった。

大学に入る前に、普通自動車免許を取得した。そこからは、どこへ行くにも車が手放せなくなった。田舎に住んでいたから、問題が大きくならなかったんだと思う。田舎の車社会のおかげで、運転ができる私は、むしろ社会に受け入れられた。例えば東京に行くにも車で行ったり、誰かとの待ち合わせの時も、電車で行くよと言いながら車で行った。けれど、例えば、飲み会だとか車が乗り入れできない場所での集合だとかどうしても車を使えない時が、非常に困った。電車に乗れないわけではないから、周りにも説明しづらくて、私はその都度タクシーを利用した。

で、今現在のお話。

今現在、私はとある病院に入院している。大病ではないのでご心配なく。その病院生活がなかなか厳しいものがあって、この記事を書き始めた。

その病院は、線路にすごく近いというわけではないのだけれど、どういうわけか妙に外の音が入ってくるのだ。田舎だからか、朝や夜は静かで、電車の音がすごくよく響く。そして、なぜか警笛が日に何度も聞こえる。決まって朝の7:00くらいに2度ほど、そして夜の21:00頃に2度ほど、決まって聞こえてくるのだ。

ルームメイトに、いち早くイヤホンを持ってきて欲しいと頼んだが、最初の三日間ほど毎日、あのおじいさんの笑顔を思い出す羽目になった。ここ数年、というか五年ほど、全く電車に乗る機会もなく、乗っても警笛を聞かなかったので、久しぶりに聞いた警笛で、あの笑顔が頭に溢れた時、心底驚いた。「ああ、治っていないのか」と。

久しぶりに思い出した顔は、やはりいまだに鮮明だった。ふと、なぜ彼は笑っていたのか、気になった。どうしてなんだろうか。疲れ果てた人生の終焉が見えて、嬉しかったのだろうか。それとも、痴呆のせいで彼自身でも無意識の笑顔だったのだろうか。病室にいると、嫌でも気が滅入るのに、そんなことを考えていると、自分もそういう状況になったらどうなるか、なんて考え始めた。

私は笑えるだろうか。

よく、死ぬ時は笑って死にたいと、人は言うが、私はそうは思えない。私は、笑って死んでいった男の顔を知っているのだ。あんなものを、人に見せてはならないと、心から思う。


そういえば、最近働いていたバイト先で、あのおじいさんと瓜二つの顔の人が働いていて、驚いた。ぎょとしたというより、親近感と懐かしさを感じたのにも驚いた。今のご時世、石を投げれば老人に当たるくらい、老人が多いのだから、似た顔の一人や二人いるだろうし、この自殺大国において、私の体験はそれほど特別な者ではないのだろう。

けれど、私は今でも警笛が恐ろしいし、自転車を押して歩く老人を見るのはいやだ。青い作業着に身を包む人を見るのも嫌だし、何より、年老いた老人の笑顔は怖い。


皆さんにも、そういう体験あるだろうか。今日は、そんな感じで終わる。

あれ?映画徒然随想日記なのに、映画と全然関係ないや、と思ったそこのあなた、馬鹿にしてはならない。大抵、映画なんてものはトラウマや実体験から企画が始まるのだ。だから、よしなに。

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