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映画『海底悲歌』のクランクアップから1年。


昨日、俳優部やスタッフから、「クランクアップしてもうすぐ一年ですね、元気ですか」という旨の連絡を頂いた。もう少し前には、出演してくださった長森要さんや、生田みくさんも、SNS上で懐かしんでくれていた。少し載せる。

監督としては、懐かしんでくれるのも勿論嬉しいし、プロフィール欄とかに『海底悲歌』と書いてあるのを見つけるだけでも、めちゃくちゃ嬉しい。特に川瀬陽太さんのように、出演作が膨大な数の俳優が、自分の作品を書いてくださっているのもありがたい。彼らの中で、『海底悲歌』の立ち位置は様々だろうが。

『海底悲歌』から1年

さて、本題である。あれから今日でちょうど一年らしい。これを読んでいる皆さんの多くは、オークラ劇場での公開で、『海底悲歌』に触れ合った人が多数だと思うが、私の中ではもう随分前の記憶である。企画を考えだしてから、という計算で行くと2年経つことになる。現在、『海底悲歌』は諸般の事情で、R-15版を鋭意編集中であるものの、いい節目だと思うので、少し現場を振り返ろうと思う。

めちゃくちゃ暑い日々だった。とにかく、現場中はとにかくずっと晴れていて、日中のロケ撮影は、ぶっ倒れそうだった。確か、クランクイン初日の撮影中に、衣裳部のコンちゃんが体調を崩して、いきなり「大丈夫か?」という空気が流れたことを思い出す。ロケセットでの撮影も、大部分が廃墟での撮影だった影響で、クーラーもなく、大量の扇風機でもって、涼をとるという前時代的な対策を講じていた。初日は、取りこぼすことなく、終えられたと記憶している。

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この日は、最初のシーンの段取り前にスタッフみんなでクランクインの写真撮影をした。「さぁ始まるぞ!」という感覚が強くあった瞬間だった。私は現場中にこうやって集合写真を撮ったりするのは、初めての経験で、なかなかいいものだった。クランクインの時は、ぜひ〇〇組クランクインという看板を準備すべきだと思う。「始まる」という感覚は重要だ。


翌日はかなり楽な日だった。昼過ぎからのスタートで、スクリーンプロセスの撮影。車の走行シーンを撮って、夜になったら、主人公・文乃が日記を書いているというシーンを撮った。ページ的には、6ページほどの日で、問題なく終わった。というのも、次の日が生田みくさん演じる梨奈と、小林敏和さん演じる松井の二人の出演シーンを1日で撮り切る必要があり、どう考えてもハードな1日が予測されたためである。

本編ではあえなくカットになったものの、衣裳部のコンちゃんや照明部のヒラタさんがエキストラとして出た撮影は、ほのぼのしていて楽しかった。祭りでもないのに、女の子の浴衣姿が見れて、なんだか非日常だったのを覚えている。


そして生田さんと小林さんがクランクイン。また、この日はフランキーさんと四谷さんもクランクイン。それまで現場で顔を合わせていた燃ゆるさんは、前作からの連投だったので、スタッフも慣れていた。また、長森さんは、映像学科生ということもあり、距離感は近かった。けれど、東京から複数の俳優が来て、スタッフは少し緊張の面持ちだった。特に、AV女優の”生田みく”が来るというのは、学生たちにとって特別だったようで、なかなか緊張していた。

そんな様子も露知らず、彼女は気さくに挨拶しながら現場に臨んだ。すぐにスタッフ陣は彼女の明るく、可愛い様に親しみを感じ、女性のスタッフを中心に休憩中はよく話していた。童貞のスタッフに、燃ゆる芥さんとともにちょっかいを出しているときは、なかなか羨ましかった。

小林さんは、国沢さんのピンク映画にも出ている方で、私はかなり信頼を寄せて、任せていた。松井という役に関しては、それほどの出演シーンはなくとも、確かに存在感を持って演じてくれていたように思う。昼間のシーンを撮り終えると、夜まで待ち時間がかなりあったのだが、長森くんとともに、地域を散歩したりしながら過ごしてくれていたようだった。先輩俳優と新人俳優の交流という感じで、空気感が新鮮だった。

当日インでワンシーンの出演だったが、フランキー岡村さんや四谷丸終さんも二人も作品にインパクトを与えてくれた。前後に別のシーンがあったため、なかなか話す時間には恵まれなかったが、印象深い。生田さんとフランキーさんの芝居のシーンは、1時間足らずで撮り終えた。

最後の最後の河川敷での撮影は、深夜に及んでいた。予定では23:00だったが、数時間のオーバー。しかし、撮り切らなくては予算が続かない。そんな葛藤と焦りの中、生田さんと小林さんは、何一つ文句も言わず、「何時間かかってもいいです。楽しいので。」と二人で私に話してくれた。

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物語のファーストシーンは温泉街での撮影と間違われるのだが、実は、あのシーンは温泉なんてひとつもない、ただの奈良の田舎町の河川敷で生まれている。小さい橋にお手製の提灯をセットすれば、意外とそう見える。このシーンを終えると、生田さんから集合写真を求められる。私は少し照れながら、「じゃあ隣で」と彼女の横を陣取った。本当はサインをもらいたかったけれど、監督としての威厳を守った(笑)

翌日からの連日連夜の地獄の日々の中、助監督や他のスタッフたちが、「生田さんと小林さん、また来ないかなぁ」と寂しがっていたのが印象的だった。小林さんも生田さんも、学内上映にまで駆けつけてくれたので、スタッフ陣は印象に残っているのではないだろうか。


続いて、ようやく真打登場。川瀬さんのクランクイン。勿論、学生諸君は『川瀬陽太』の名前をいやでも印象に残っているわけで、しかもみんな「怖そう」というイメージを持っていたので、かなり緊張していた。私と撮影のサイコくんだけは、現場での共通言語を持ってくれている川瀬さんに安心しきり、楽しみ続けていた。特段、説明を詳しくしないでも、テストをやって、「もう少しこうしてください」というだけで、バッチリとフレームに収まる様は、やはり経験の差を感じた。

川瀬さんの絡みのシーンでは、その日出番のなかった長森くんが、わざわざ見学に訪れ、モニターを食い入るように凝視していたのが印象的だった。この日の撮影終わりに、廃校の職員室で、川瀬さんと酒を飲んだ。

金田監督から「俺が下元さんや大杉漣さんと初めて仕事した時と同じです。信頼してもらうのは監督の大事な仕事です。撮影終わりに飲みにいったりして、話を聞くのもいい勉強になりますよ」と連絡が来ており、

「金田さんもこう言ってますから飲んでください!」と頼んだのを覚えている。

金田さんからは現場中、連日メールが届いており、心配してくれているのが嬉しかった。確か、生田さんが現場の話をツイートしていた時も、「生田みくがTwitterで楽しかった!と。ほっと一安心です」とメールが来たり、「クズさん(なぜか金田さんはずっと燃ゆるごみを燃ゆるクズと覚えている)を美しく撮るんですよ。前作よりもっと綺麗に」とメールが来たり、ありがたいお言葉だった。

川瀬さんは憧れの俳優だったので、緊張しつつも、結局いつものピンク映画談義に花を咲かせた。獅子プロの雰囲気が好きで、最近はオークラしかなくて寂しいだとか、”ピンク映画とは”みたいな話をすると、「お前は生まれる時代を間違えたよ!!」と茶化された。「あぁ、こんな幸せなことがあるのか」と思いながら、卒業後の話をしたり、川瀬さんの新作の話や空族の話をした。とにかく楽しくて、今一緒に住んでいるサイコくんや桂くんと私と四人で飲んだのだが、みな楽しそうだった。飲み終わりに、「新たな戦友ができた」と呟いているのをTwitterで見て、大喜びしたのを覚えている。


酒の影響なのかなんなのか、古川くんは翌日の撮影に向かう道中で事故を起こし、キャメラマンが現場に遅れるという事態になり、スタッフから大目玉を喰らい、その日の撮影も大変なことになるのだが・・・(笑)


休日を挟んで、ついに廃校のシーンに着手。桜木さんや住吉さんを迎えたものの、車両事故の影響で、現場は押しに押し、ついに初めての撮りこぼしが確定。この日は、うまく絡みが撮れなかったり、深夜の廃校に灯りが灯っているのを見てセコムがやってきたり、色々大変だった(笑)連日の疲れが一気に押し寄せ、スタッフ一同の動きも鈍重になっていた。

その撮影も深夜まで粘った影響で、助監督たちが大疲弊。次の日も朝が早いということで、我々は廃校の職員室に宿泊することになるのだが、撤収から撮影までロクに眠れない、こういう事態をよしとはしない助監督たちが「辞めたいです」と私に話す。一人は前作からずっと参加してくれていた同志のような存在で、もう一人も大きな存在だったので、私は大慌てでスケジュールを調整する。「しんどいんでどうにかなりませんか」と緊張しながら直訴する助監督を見て、「どうにかする。だから一緒に最後までやろう」と話すと、二人は大泣きした。

本当に残ってくれてよかった。そして直訴してくれてよかった。翌日の撮影は、朝から行わず、ナイトシーンからのスタートで、そのまま朝まで撮るという対処を講じた。予算と俳優部のスケジュールの影響で、もう1日伸ばせなかったのが申し訳なかったが、本当に最後まで残ってくれてよかった。私は、あの日大泣きする助監督たちと過ごした喫煙所の刹那の時間を、きっと一生忘れないだろう。

スタッフたちは、深夜から朝にかけての撮影で疲弊はしたものの、体育館のシーンでは、バスケットボールに勤しんだり、朝待ちの間は、みんなで体育館の冷えた床で眠りこけたりと、今思い返せば、辛くも微笑ましい時間だった。寝起きのサイコくんは、とにかく機嫌が悪くて、私含め誰も話しかけられない空気だったのだが、その分、異常なスピードでカットを重ね、日の出から1時間と少しで3シーンを完遂した。

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これは、みんなが寝る中、寝ずに先輩にプロレスをかます美術助手の姿。こういう夜を乗り越え、朝方の撮影に臨んだ。

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そして、朝方の撮影を終え、翌朝、一同は超重要シーンに挑む。物語のクライマックス、廃墟で主人公・文乃が木村と最後のセックスをし、別れるシーンの撮影である。この日は、私の中学の同級生が差し入れを持ってきてくれた。このうだるような暑さの中、一口で食べれる小袋のアイスは、スタッフ一同大喜びで手にし、ものの数分で完売。私が差し入れたレッドブルとウィダーインゼリーも完売。なぜかこの日は、他のスタッフや俳優部も差し入れを持ってきて、ケータリング大会のようになっていた。

撮影でお世話になっていた市役所の方も、2,30本もの清涼飲水を持ってきてくれ、現場は和やかながらも、真剣に進んでいった。

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ページ数的には多かったものの、ひとつのロケ地のみだったので、比較的余裕を持って撮れた。長森さんや、燃ゆる芥さんは、現場前から、大学でテスト撮影に臨んだり、絡みの段取りの話をしたりと、準備に余念がなかったので、順調に進んだ。

続いて、”漁師の家”という柱書きのシーンに臨む。中岡さんたろうさんと、佐野さんを現場に迎えた。両者とも、経験のある俳優さんで、灼熱の廃屋の中、和やかに撮影は進んだ。佐野さんとは、「人魚伝説のあのシーンのように」なんて言いながら。佐野さんも前作からの連投だったので、他のスタッフも「お久しぶりです!」と楽しげにしていた。中岡さんは、監督経験もあるらしく、私のディレクションや撮影部の機材を見ながら、「勉強させてもらいます」なんておっしゃっていた。恐縮しながらも、中岡さんの背中の印籠を、これでもか、と綺麗に見せるべく苦心していた。

この漁師の家のシーンは、私のおばあさんの実家を用いており、美術部の計らいで、実はその作品内に私の若かりし頃の写真や、家族アルバムが映っていたりする。私も小学生の頃ぶりに訪れた場所なので、懐かしかった。スタッフの一部は、私の小学生の頃に書いた絵を見て、「監督、絵心はないですね」と茶化していた。

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で、撮影は佳境を迎え、奈良での撮影から、和歌山の港町にシフトする。とにかく点々としていたロケ地への移動時間が大変だったが、その全てがロケシーンだったこともあり、ちょっとした小旅行感覚で臨めた。港町は奈良とは違って、風が涼しく、そこまでの暑さを感じなかったのも、気が楽だった。とはいえ、お盆の季節ということで、帰省してきた人が、港で釣りをしたりしていて、予定通りの場所で撮れなかったりというアクシデントはあったものの、自然光や街灯をうまく使えたと思う。事実、初号を見た時も、「あのシーンが良かった」と金田監督が褒めてくれたり、佐々木原撮影監督が褒めたのも、港の夜のシーンだった。

そして、クランクアップのシーン、約束の地、廃トンネルの撮影が訪れる。

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どう考えても、どう撮っても、きっと大丈夫という感覚はあったものの、脚本には、二人が何個とか会話を交わし、その後、トンネルを出ていくという書き方だった。けれど、私はどうも、最後の最後に「話す」というのがしっくりこなかった。キャメラのサイコくんも同様だったようで、相談する前に「1ショットでいい」と話しかけてきた。

照明部的には、画面右側の黒く潰れた部分や、人物が真っ暗になることを嫌っていて、衝突があったのだが、「いや、潰れてた方がいい。これしかない」と、二人で照明を諭したのを覚えている。このシーンは、タンクいっぱいに水を準備して臨んだものの、やはり”時間”という制限があって、そう何テイクも粘れないと事前に言われていた。だから、俳優部も緊張しながら、テストに臨んだ。

そして、「いざ本番!」と叫ぶ。雨降らし用のポンプのモーターが、ウィーーンとけたたましく鳴り響き、トンネルの外に雨が降り始める。節約で消していたライトが一気に点灯し、現場に緊張感が漂う。特機部が慌ただしく走り、チェックと修正を行う。その間、現場のラストショット、映画のラストショット、という自覚が、俳優部にのしかかる。闇に隠れながら、すたっっふも固唾を呑む。震えるような瞬間だった。私は思わず、俳優部二人の背中に手をやり、「これで最後です。もうお別れです」と声をかけた。そして、もう一度、「本番!」と叫ぶ。助監督がカチンコを入れる。「ラスト・・・」とみんながモニターを見つめる。

私はモニターを見ずに、俳優部に声をかける。「全部乗せてください」と呟いて、「よーい!スタート!」と過去一番大きな声を張った。

本当は、もっと早くにカットを切り上げるはずだった。文乃がトンネルを出れば、ストップモーションで終わって、暗転、エンドロールというイメージだったから。けれど、タンクが空になるまで回し続けた。5分経って、「カット!」と大声で叫んだ。トンネルに残された木村と、出て行った文乃、二人の想念が感じられるいいショットだと思った。

クランクアップです、という声で、ようやく終わったのだと、全員が息をついた。

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現場中、全く降らなかった雨が、集合写真ののち、一気に降り始めた。大雨になった。驚いた。「待ってくれたんですかね」と誰かが言って、「絶対そうでしょ」と誰かが答えた。すげぇ瞬間だった。

慌ただしくスタッフ陣が片付ける中、俳優部二人は涙を流していた。「いい映画にしてください」と言われた。何人かのスタッフと握手や抱擁をして、我々は帰路についた。


帰り道、とにかくそれまで耐えていた何かがなくなり、全員車の中で失神したかのように眠りこけていた。私は運転しながら、いろいろなことを思い出していた。「本当に終わったね」と衣裳部が声をかけ、「うん、終わったよ」と答えた矢先、美術部から「明日からの片付け、○時からします」と連絡が来た。「明日くらい休みなさい」と返して、大阪に向かった。



まぁざっくり話すと、『海底悲歌』の現場はこんな感じだった。大小のアクシデントは、これ以外にも様々起こったものの、無事12月に完成を迎えた。そして学内上映でお披露目し、上映中止騒動はあったものの、なんとかオークラ劇場で1ヶ月間上映されることとなった。

最後の最後まで、アクシデント続きの作品だった。けれど、心に残る作品だった。


あれから、1年。


まだ私は、あのトンネルに残ったままなのかもしれない。


木村は、あの後どうなるんだろうか、そういう問いは脚本段階や完成後にも、頻繁に聞かれた。私は、まだうまく答えられていない。それはきっと、木村が私を元にしたものだからだろう。


私はまだあそこにいる。


早く、トンネルから抜け出して、文乃のように、あの雨を越えなければ。


そう、思います。



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