見出し画像

コーヒーとわたしの話 1

直火式のエスプレッソメーカーをもらった。

銀色のポットみたいな形をしていて、真ん中の部分をぐるんとひねると二つの容器+コーヒー豆を入れるところに分解される。下のポット部分は水を入れるところ。内側の金具のあたりまで水を入れる。そしてコーヒー豆をひく。豆をひく、といってもミキサーだけれど。ろうとみたいな形になっている容器にすりきりいっぱい分の豆を入れたら、下のポットにセットする。そして最後にポットの上部分を乗せ、ひねって連結させる。あとは火にかけるだけ。

火にかけてしばらくすると、お湯の沸く音が聞こえ始める。ふしゅふしゅふしゅ、と柔らかい音が台所に響く。それが済むと、しゅごごごごごご、という何かを吸い込むような音。最初この音を聞いた時、このメーカー、本当に大丈夫だろうか・・・?と疑ってしまった。一体中で何が起こっているのだろうと思って蓋をぱかぱかしてみたけれど、大丈夫。真空状態になったポットの下部分から水が送り込まれ、コーヒーを抽出している音なのだ。上のポットから湯気が出始める。それと同時にコーヒーのいい香りが漂いだす。火にかけてからおおよそ4分。
しっかりした香り漂う、エスプレッソコーヒーの出来上がり。


コーヒーをはじめて飲んだのはいつだったかもう覚えていない。でも、実家で父親が淹れたコーヒーを飲んだのが一番最初だった気がする。
ある日突然、父親はコーヒーに凝りだすようになった。それまで、そんなに父親がコーヒー好きだったという記憶はない。きっかけがなんだったのかはわからないけれど、いつの間にか家には様々なコーヒー用の用具が揃っていた。コーヒーメーカー、カップ、ポット。どこそこのコーヒー豆が美味しいと聞けば隣の県までそれを求めに行ったし、一杯ドリップ用のポット売り場を見つければ熱心にそれを見ていた。クレマの立ち方がどうだとか、お湯の淹れ方がどうだ、とか。当時わたしはそれを「ふーん」と聞き流していた。当時コーヒーよりもミルクをたっぷり入れたミルクティーの方がわたしは好きだったし、コーヒーの香りは好きだけれど、何より牛乳と砂糖を入れなければ苦味に耐えられなかった。

そんなコーヒーに対する思いが変わったのは、ある喫茶店に行ったのがきっかけだった。多分とりわけ有名なお店でもなく、目出すお店でもなかったけれど、そこのメニューには「エメラルドマウンテン」というコーヒーがあった。
その豆の名前に聞き覚えがあったわたしは興味を惹かれた。そして値段を見て驚いた。

一杯・・・1000円?

よくよくメニューを見てみれば、「エメラルドマウンテン」は中の上くらいの価格帯だった。その上には一杯1600円、1800円、2500円という信じられない価格のコーヒーがその喫茶店のメニューに載っていた。

「どれにする?」

一杯1000円のコーヒーを試してみたかったけれど、その時はあまりお金がなかった。それでも奮発して800円の「ブルーマウンテン」を注文した。
変哲も無いカップでそのコーヒーはやってきた。白地に青で花柄が描かれた上品なカップ。飲む前にミルクを入れようとしたら止められた。「一度そのまま飲むべきだ」と。まあ確かに800円だし・・・と思いながら一口飲んで、また驚いた。
今まで飲んできたコーヒーの中で、香りも味もバランスも一番だった。
そのあとは、ひたすらおいしい!を繰り返してすぐに飲み切った。お皿に載っているクッキーを食べなくてもコーヒーの味わいだけで十分満足だったし、ミルクを入れなくても、コーヒーをすでに口に含めばミルキーな味わいがした。砂糖を入れなくても、飲んですぐ、舌の先に甘みがじわっと広がるコーヒーだった。それでいて飲み込んだあとはすっきりとした苦味が残る。

コーヒーに対する意識が変わったのは、これがきっかけだったと思う。
あの時行った喫茶店がどこにあったのか、しかも誰と行ったのか、実は記憶にない。高校生の時にその喫茶店を訪れたということは確かなのだけれど、わたしが覚えているのはそのお店の雰囲気と、縦長で二つ折りのコーヒーメニューと、白と青のコーヒーカップ、そしてあのブルーマウンテンの香り。


今わたしはドイツにいる。相変わらずコーヒーを飲んでいる。インスタントコーヒー、フィルターコーヒー、エスプレッソコーヒー。わたしの周りの人たちは、日本人ドイツ人関係なく、もれなくコーヒーが好きだ。誰かと会う時は決まって相手はコーヒーを飲むし、わたしもコーヒーを飲む。チョコレートやクッキー、・・・あるいはドーナツ、をつまみながら飲むたっぷりとしたコーヒーがわたしは好きだ。
それから、誰かの家を訪れた時に淹れてもらう、あるいは淹れるコーヒーが好きだ。豆を計って、お湯を沸かして、淹れる。それだけなのだけれど、お湯を沸かす間におしゃべりしたり、コーヒーマシンがコーヒーを抽出しているところを一緒に見つめて、出来上がったところで拍手したり、「ミルクは?砂糖は?」、「ドーナツお皿に移して!」、「お湯、もうちょっと足しす?」などとやり取りしたり。そんな時間が楽しいし、愛しいと思う。


高校生の時に飲んだ「ブルーマウンテン」は、間違いなくわたしの人生で一番おいしいコーヒーだった。

と、書いたところでスマートフォンに大切な人からのメッセージが届いている。開けば、コーヒーとドーナツのイラストの写真。コーヒーもドーナツも好きなわたしのために送ってくれたらしい。なんという偶然。


・・・高校生の時に飲んだ「ブルーマウンテン」は、間違いなくわたしの人生で一番おいしいコーヒーだった。
でも今ここで大切な人と飲むコーヒーは、インスタントであれ、フィルターコーヒーであれ、エスプレッソであれ、わたしの一番好きなコーヒーになるに違いないのだ。

この記事が参加している募集