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【ウィーン】フランス革命とモーツァルト【旅行記】

2022年夏、小生は音楽の都・ウィーンの地に足を踏み入れた。

現実生活からの逃亡、という意味合いがとっかかりで始まった1ヶ月以上にも及んだ計6ヶ国を巡る欧州旅行。山崎育三郎の'モーツァルト'の鑑賞で関心を持ち、'18月組エリザベートの鑑賞で決定打となったウィーンという場所への憧れから、その旅の中継地点にこの地を選択したのは必然だったのかもしれない。

楽友協会・黄金のホールでモーツァルト・コンサートを鑑賞

帝国劇場で目にしたあの時の興奮を肌で感じたい、その欲求からモーツァルトを巡るウィーン旅行が始まった。

マリオネットで上演された「魔笛」

炎天下で屋外劇場での鑑賞はキツい笑

夏はウィーンオペラのシーズンオフ。スケジュールが空白になっていたウィーン国立歌劇場は内観ツアーだけ企画されており、オペラの上演は中断されていた。

歌劇場の鑑賞はできないけれど、市内には子ども向けのオペラの上演を観ることができる。そんな噂を聞きつけてやってきたのはシェーンブルン宮殿の敷地内にあるマリオネット劇場。モーツァルトの「魔笛」を鑑賞した。当たり前だがキャストは人形、歌唱は音源の再生となってたため、ソプラノ歌手による「夜の女王のアリア」、パパゲーノの「鳥刺しの歌」の生歌唱を聴くことはできなかったが鑑賞自体はとても満足できるものだった。

鑑賞後、劇場のスタッフに拙い英語で質問してみた「マリオネットでもいいから他のモーツァルト作品も鑑賞したい。特に'フィガロの結婚'などを。何かやらないのですか」。
彼女は言った。「モーツァルトのマリオネット公演は'魔笛'だけ。子どもにとっては他の作品は理解が難しいの」

モーツァルト・トリロジー

フィガロの結婚

1786年初演。18世紀のスペイン・セビリア郊外が舞台。伯爵に自分の妻を奪われそうになった主人公・フィガロによる復讐物語。

ドン・ジョバンニ

1787年初演。こちらも18世紀のスペイン・セビリアが舞台。女たらしの大貴族・ジョバンニに殺された騎士長の石像がジョバンニを地獄に引き摺り込む。

魔笛

1791年初演。舞台は古代エジプト。主人公・タミーノは一目惚れしたパミーナを「闇の世界」から救うべく試練を受ける。試練を潜り抜けたタミーノ はパミーナと結ばれて「光の世界」に迎えられる。

ジングシュピール、という名のキャラ変

上記3部作は今も名高い、モーツァルトによる「三大オペラ」である。しかしその中でも「魔笛」だけは作風の毛色が異なっている。

イタリア語での作詞に、庶民の日常のドタバタをコミカルに描いた「フィガロの結婚」と「ドン・ジョバンニ」とは違い、「魔笛」はドイツ語で作詞されて物語はハッピーエンドを迎える。そして最大の相違点となるのはセリフによって物語が進行していくジングシュピールという形式が「魔笛」にはとられていたことだ。

18世紀後半はオペラ・ブッファ形式全盛の時代。同じ時代を生きたモーツァルトもこのジャンルに属した作品を次々と作り上げた。「フィガロの結婚」や「ドン・ジョバンニ」もここにカテゴライズされる。それではなぜ、モーツァルトはこれらとは違うスタイルの作品に制作に着手したのか。彼の身に何が起きたのか。

変わったのはモーツァルトではなかった。客層だったのだ。

革命のはじまり

モーツァルトはフランス革命の時代を生きた。彼が亡くなる2年前にバスティーユ監獄の襲撃があり、彼が亡くなった年にフランスで初めての憲法が制定されて、彼が亡くなった2年後にマリー・アントワネットが処刑された。

モーツァルトは多くのヨーロッパ諸国と同様にフランス革命の行方を固唾を呑んで見守っていたはずだ。なぜなら同い年の同国出身のフランス王女、マリー・アントワネットに危機が迫っていたからだ。幼少期にシェーンブルク宮殿で邂逅し、以降は王女としてずっとオーストリア国民を沸かし続けてきた彼女の存在をモーツァルトが気にかけないわけがない。

その空気感は作品にも反映される。大貴族の没落を描いた「フィガロの結婚」と「ドン・ジョバンニ」。市民の勃興を予言した「魔笛」。いずれもフランス革命前後に実現した実社会が見事に映し出されているのだ。

フランス革命は現在の民主主義国家のベースとなっている価値観を作り出した。人権という発想、国民主権という考え方、そしてナショナリズム。全てはフランス革命によって生み出された。かつて人間の一生は身分で決まったが、個人の実力次第で出世できる社会になった。国は王様のものから国民のものへ。そこを出発点に王や貴族に代わって資本主義が生んだ富裕層が社会をリードしていくようになった。

オペラ作品と客層の変化

16世紀末にイタリアの宮廷で祝祭劇として誕生したオペラはもともと身分制社会が産んだものである。王候貴族が客層だったフランス革命前、客層が富裕層に変わったフランス革命後。ここを分岐点に上演作品も変わっていった。

貴族たちが主な客層だった時代。オペラ作品は神話古代史が題材のものが多く、音楽はアリアの連続だった。既に前提知識として題材の内容を知っていた貴族たちは物語の展開でハラハラドキドキするよりも、歌手やプリマドンナの妙技に期待した。そして当時は歌劇場は一種の社交場としての側面も持っており、観客はずっと座席に座って鑑賞するのではなく、お気に入りの歌手の歌唱部分だけの鑑賞が主流だった。ボックス席が取り囲むような歌劇場内の設計はこの時の名残である。

革命後、富裕層が主な客層となると作品の内容は予備知識なしで理解できるわかりやすいストーリー、耳あたりのよいメロディが作品の中に取り扱われるようになった。

モーツァルトの先見性

モーツァルトはフランス革命前後の、この客層の変化に敏感に察知した。「魔笛」の作風がこれまでのものと一気に変わっていったのは、その流れを汲んだものと見て間違いないだろう。

教養層をターゲットにした「フィガロの結婚」では登場人物が貴族と召使しかいない。それと比べて大衆向けに作ったと考えられる「魔笛」は貴族(夜の女王)も庶民も登場し、登場シーンが一番多いのは庶民だ。中心となる人物の階級がどんどん変わっていった。ここに革命前後の価値観の変化が重なっていく。

最もその価値観の変化を体現されたのは「恋愛」だった。「フィガロの結婚」では庶民夫婦が貴族の恋愛遊戯に巻き込まれ、「ドン・ジョバンニ」では主人公が身分制を前提とした男女の関係をぶち壊していく。そして「魔笛」では身分高い低い関係なしにそれぞれ結婚を前提に幸せに向かっていく。この変化こそが市民社会到来の預言なのだ。

貴族社会の結婚は「家」のためのもの。貴族男女は結婚してから恋愛を始める。それに対して、男女が互いにときめき結ばれて結婚をする、という形態は庶民階級のものだった。この庶民的な恋愛がオペラの主役になっていったのはフランス革命の後のこと。それはシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」、ヴェルディの「椿姫」が王道作品になっていった過程にもしっかり合致している。

天才という存在の認識

あの夏、シェーンブルク宮殿の劇場スタッフが言い放った、マリオネットオペラの対象作品の収縮化は変わらないはずだ。フランス革命前の貴族社会のしきたりは未就学児には到底理解ができないだろうし、パパゲーノのような視覚的に親しみやすそうなキャラクターがいなければ、そっぽを向かれてしまうだろう。

オーストリアの子どもたちは「魔笛」から天才音楽家の存在を知る。そして年齢を重ねていくごとに彼が作ったオペラを作曲した時間軸とは反対に進みながら天才の生涯を理解していく。

そしてそれと並行しながら'フランス革命'という世界の歴史の分岐点への理解も同時に深めていくのだろう。

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