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【永遠の悩み】私たちはいつ自由に英語を話せるようになるのか

2022年1月。
私は決意した。
『今年こそ本気で英語に取り掛かろう。』と。
なにを隠そう私はすでにアメリカ留学1年を経ているわけだが、全くと言っていいほど英語が話せない。
それもそのはずで、私の一番苦手科目は英語でちょっと英語を耳にすると拒否反応さえ出てくる。
それでよく海外に行けたなと思う方も多いと思うが、海外好きと言語が得意は全く別物だと私は思っている。
海外旅行が1番の趣味で毎年ボーナスは全てつぎ込んできたが、そういう人間がみんな英語が喋れる訳ではない。
私もその成れの果てということだが、これは良くあることで皆さんが良く聞く留学したからといって話せるようになるのではないと全く同義だ。
海外生活は意外とそれでも何とかなるもので、あくまで留学生という形であれば拙い英語とスマホさえあれば良くも悪くも何とか乗り切れてしまう。

別に今海外に住む予定とかないからなー。
そんな言い訳をしつつもずっと自分の心の内にあった気持ちはただ一つ。
ー英語を話せるようになりたい本当の理由とは何なのだろう。
私は海外の建築物やファッション、歴史、そして何より思想の違いに興味がある。
欧米やアジアの考え方の違いはどこから来るものなのか、なぜ同じ人間同士で争うことが絶えないのか、豊かな国と貧しい国の違いは何なのか。
曖昧な海外好きの私でも留学先のアメリカでいろんな人に出会うことができた。不思議と英語がお互いはっきりわからなくても、人生経験が助けるもので相手の状況や心理、不安、悩みをお互い発したり理解することができるものである。
特に一番親しかった香港の女の子は家族からの過剰な期待や自身の離婚経験、借金・生活難と非常にハードな日々を送っていた中で人生を変えようと一念発起してアメリカに渡ってきていた。
数ヶ月前まで全くお互いのことを知らなかったもの同士が、なぜか不自由な英語を介して真っさらな自分自身を表現する。
逆に良く伝わらないからこそ真剣に相手の目を見て、感じて、なにを伝えたいのか、なにを抱えているのかを読み取ろうとするし、変に言葉尻などで自分を良く見せようともしない。
私の留学経験は語学向上という意味では不合格だったが、世界を知るには貴重な経験だったと思う。つまり人は国や言葉が違っても同じことで苦しみ、怒り、喜び、悲しむのだ。
私が抱いていた思想の違いとはあくまで構造的な部分のお話で、根っこの部分はみんな一緒。同じ生き物ということだ。

改めて最初に戻るが私は英語が話せるようになりたい。
言葉だけじゃなくても人ってコミュニケーションできるよね。
ここまでは実体験で分かったが、言葉があったからこそ人間はここまでの発展を遂げることができている。
原始時代は武器の作成方法など生きる上で必要な知恵を詳細に不特定多数に伝達しあえたから、シビアな時代を乗り越えることができた。
また言語により、私たちの思想は裏付けられている。
例えば英語は日本語や韓国語で言うところの尊敬語、謙譲語がない。
だからと言って距離感がみんなゼロかと言ったらそうではない。ビジネスや礼儀として敬称をつけて呼ぶこともあるし、よく知らない人やお客様に対しては少し丁寧に質問することもある。
でもその言葉の影響を受けてフランクで合理的な文化が出来上がったことは間違いないだろう。
日本語のように歳上や上司への言葉遣いが異なる場合は、いくら実力主義でとしたとしてもいきなり平等には扱えない。

言語の違いが文化の違い、思想の違いに繋がるのなら私の疑問を解決する手助けになるのではないか。
そう考え始めると嫌いだとさえ思い遠ざけていた言語が急に近く、そしてとても重要なキーのように思え始めたのだ。

思い立ったら吉日という性格なので、さっそくオンライン英会話を初めて毎日30分はマストで英語を話そうと決意した。
人間、目的がはっきりするとやはり強い。
留学までしたのにあまり英語に関心が持てなかった私が1年間ほぼ休みなしで続いている。
詳しい英語学習のヒントは別のエッセイで書こうと思うが、これだけは備忘録として書き記しておきたい。
英語はあくまでコミュニケーションの一つ。英語を使ってなにをしたいのか、話したいのかが重要なのである。
今なんとなく英語話せたら良いなと思っている人はまだ世間の思う英語という枠にはまっているのかもしれない。
もっと自分自身の好奇心に忠実になれば、自由に話せる日が来るだろう。

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