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「休憩」の取り方がわからない話① 他の皆みたいにストイックになれないあなたへ

●はじめに:ストイックになれない人にふさわしい生活


私は現在大学院生で、修士論文の追い込みの時期に来ています。

が、どのくらい論文を書くべきで、どのくらい休憩を取ったらいいか、いまいちわからないのです。

「そんなの、自分の論文の仕上がり具合だろ」と言われればそれまでなのですが、論文の仕上がり具合もイマイチ分かってない状況です。だめじゃん?

そしてこの時期になって、私は「そもそも忙しい日々ではどう生活したらいいかわからない」と悩んできた過去を思い出し

「自分にふさわしい勉強法」「自分にふさわしい休息法」についてよく考えるようになりました。


●他の人みたいにストイックになれない


私は、中学受験、大学受験、大学院受験、と、それなりに「試験に向かって1年頑張る」という経験をしてきました。

しかし私は、「ゲームを封印し、受験に向かって1日10時間勉強する」みたいな生活が一切できない人間であり、ある種のストイックさを持てないことをずっとコンプレックスに感じてきました。


・中学受験時代の思い出


私は小学5年から中学受験の塾に通っていましたが、端的に言って塾でしか勉強してませんでした。

小学5年の時は、出された宿題を家でやる程度のことはしていましたが、受験前の小6の時期になると宿題が出なくなったので、本当に塾で授業を受ける以外の勉強をしていませんでした。

おそらく当時は「勉強をしなきゃいけない」という概念自体がなく、模試の見直し?何それおいしいの?みたいな生活。当時からピアノを本格的なレッスンで習っており、どう考えてもそちらに生活の重きが置かれていた、という理由ならあります。しかし、私は「●●のために努力する」というような、未来計画を立てること自体がかなり苦手なきらいがあるのだと思います。

私は勉強のことを、「ケータイの勉強アプリでクイズを解く」「国語の成績を上げるためにオリジナル小説を書く」ことだと半ば本気で思っていたので、

同じ中学受験をする同級生が「毎日3時間勉強している」と話していた時、「あれ、私ってもしかして社会不適合なのでは?」と子供ながらに感じました。

・大学受験時代の思い出


高校3年時、音大受験のために毎週2回レッスンに通っていました。

ここでも、練習自体はレッスンに向けて真面目に行うものの、「出された課題だけやってる」感があったと思います。

少なくとも、高校2年の時点で「休日は朝9時から夜22時まで図書館or塾の自習室にこもって勉強してる」と言ってた同級生のような気概はゼロでした。

ある意味のほほんと受験対策をしていたのですが、1月に行った、受験に対するリハーサルのような本番で見事に演奏がボロボロになってしまいます。

それで1月から受験本番の2月半ばまで、ここではマジで毎日涙目になりながら8時間以上の練習を行なっていました。1日8時間以上練習する、というようなストイックな生活を少しでも送れたのは人生でこの一ヶ月ちょっとだけです。

・大学院受験時代の思い出


大学院受験の時期は冬だったのですが、大学4年時は6〜7月に教育実習があったため、受験のために火がついたのは8月の後半でした。8月の前半?遊んだ。

入試では筆記試験と実技試験があるのですが、「実技試験はヤバイけどどう考えても筆記試験、あと研究計画書がヤバイ!!!」と火がつき、週2くらいで国会図書館に通って勉強する日々が続きました。

ここでの私は本当に真面目だったと思います。筆記試験の英語がアホみたいに難しかったので、大学院受験専用の英語テキストを買って勉強しました。

筆記試験も、教科書を読みながら音楽史の流れをまとめたノートを作り、ひたすら過去問を何周も解きました。研究計画書を書くために、正直本当に必要だったかイマイチ不明な部分はありますが、ひたすら国会図書館やサイニーで論文を読んでいました。

気持ちの上では、初めて自分の意思でストイックに1つの物事に取り組んだ経験だったかもしれません。

ですが。

ですがですよ?

私は実生活で辛いことや大変なことがあると、その分「楽しいこと」をしてバランスを取らなくちゃいけない体質なようです。

具体的に言うと、私は受験と同時進行でパソコンの某ゲームにどハマりし、ひたすら攻略サイトを見てゲームをプレイする日々を送っていました。

前代未聞でしょ?

夏頃までは平均して1日2時間プレイしていました。そして、秋が深まり受験本番の時期になると、平均して1日2時間じゃさすがに勉強する時間なくね?と感じ、

2日に1回プレイ、1回のプレイ時間の上限は2時間と決めました。

2日に1回、勉強した後の夜はパソコンに向かってゲームプレイです。ここでの私も真面目で、ちゃんと携帯で2時間のタイマーを入れてプレイしてたし、タイマーが鳴ったら概ねそこでキッチリプレイを止めていたと思います。

時間泥棒と名高いあのゲームを、ちゃんと2時間でやめられること自体奇跡に近いのではないかと内心思っております。

ただ、たまーに何かが爆発して深夜寝ないで夜通しプレイする日も2、3回ありましたね。それはそれでストレス発散だったかな・・・


大学院には無事合格したのですが、私はこんなふうに「大学院受験生」と「ガチゲーマー」の2足の草鞋を履いた生活を送っていました。


(・・・あ、よく考えたら、受験当日二週間前に、所属している音楽サークルの本番に出場していました。


●そんな自分がコンプレックスだった


私は、そんな自分をずっと、人間のクズだと思っていました。

中学受験の塾でも、受験前の12月になると、先生が「まーさかこの時期になってゲームを封印してないやつはいないよなー?」と授業中に言い、クラスのオタクっぽい男子が「お前ゲームやってんじゃないのー?」とからかわれていました。

一方その頃私は、クリスマスプレゼントに親からDSをプレゼントされていたのであった。

塾の先生には、私が勉強をしていないことがバレていたみたいです。「真面目そうに見えるけど、全然勉強してない奴がこのクラスにいるんだよ」と授業中嫌みに近いことを言われたことがあります。クラス全員に伝わるようにそんなことを言うのなら、せめて私に直接「勉強すべきだ」と伝えて欲しかったとしか思いません。


思えば、大学受験前の1日8時間ピアノ練習をしていた一ヶ月も、ずーっと練習しっぱなしじゃメンタルが持たないので、

2時間に一度くらいは休憩して、アブさんのどうぶつの森実況を見ていました。

練習→どうぶつの森実況を見る→練習→どうぶつの森実況を見る→おやつ→練習、というような訳の分かんないルーティンを送っていたなぁ。「受験のために1年間SNSを、ゲームを封印しました」というような言葉を聞くたび、異世界の出来事かな?と思っていた。


また、とある怖かった出来事を書くと、大学4年時に公務員受験をしていた同級生がいました。

彼女は非常に真面目で、実際娯楽をほとんど封印しストイックに勉強し続けていたと思います。一緒にご飯を食べに行った時も、ご飯が運ばれるまでの間ずっと教科書を読んでいました。

ただその彼女、タピオカが大好きで、受験期間中もインスタグラムに定期的にタピオカの写真をあげていました。

それで周囲から、「あの子、勉強してるしてるって言ってる割にタピオカ飲んでるよね」「タピオカ飲む時間はあるんだ」「本当は結構遊んでるんじゃない?」と言われていたことがあったのです。

怖かったです。タピオカを買って飲むなんて、長蛇の列に並んだりしない限りたかが長くて30分くらいの休憩でしょ。それなのに、タピオカを飲んでいるというだけで周りから「遊んでる」判定をされなくてはいけないんでしょうか?


●生活に、休憩や楽しみはやっぱり必要だ


彼女は、忙しくて辛い勉強の日々の中で、タピオカを飲むことが楽しみだったのだと思います。

タピオカを飲んでインスタグラムに写真をあげていくことで、日々に潤いをもたらせ、気分転換になってより勉強を頑張ることができていたのではないでしょうか?

実際、タピオカも飲む時間がないくらいにノンストップで勉強の日々を送るのだとしたら、それはもはや奴隷生活ではないかと感じます。


受験の体験記などを読むと、「1日10時間脇目も振らずに勉強を続けた」などと言う人は山のようにいることがわかります。

ゲームを1年間一切封印してしまう人もいます。

そのような人々は、それだけ勉強を楽しんでいるか、試験に受かった未来を想像することを楽しんでいるか、勉強以外の友達とのおしゃべりのようなものを十分に「楽しむ」余裕がどこかにあった可能性が高いのではないでしょうか。

決して辛い思いを封じ込めて、奴隷のように10時間無理を重ね続けていたわけではないはずです。


そして、自分がより勉強を頑張ることができたら、ちゃんと結果を残せる自信があるのなら、娯楽の種類を無理に制限する必要はないのではないかと私は考えます。

インターネットのように、一度踏み込むとズブズブになってしまう危険性の高い娯楽はあります。そのような娯楽を扱う際は自己責任が必要です。

だけど、受験勉強だって、好きだった娯楽を完全に封印しながら苦行のような生活の中で行うより、

ストレス発散を行なって、心身ともに健康、前向きな状態で取り組めるのがベストなはずです。


私は最近、様々な「休息」に関する本を読んでいます。

それらで学んだのは、いくら大変な日々があっても、

私たちは受験生だとか修論前の院生だとか言う前に「生活を日々送っている一人の人間だ」ということです。

人間生活を日々今も送り続けているのだから、ご飯は3食栄養の良いものを食べた方がいいし、

身嗜みもキッチリした方が気分が良いし、服は買わないと無いし、

定期的に休息は取るべきだし、きちんと家事も行いたいし、たまには楽しいことをしてパーっと遊ぶこともきっと必要です。

私たちはそんな生活から決して逃れられないから、受験期だけスーパーマンになれる、というようなことはおそらく幻想なのです。


●コンプレックスを抱えていた昔の自分へ


あの日々で、私はゲームをキッチリ1回2時間でやめられていて、

さらに2日に1回プレイという制限まで自分で考えて設けられたのだから、

受験勉強に集中できて、さらに大学院に合格することができたんだと思います。


人間は生物なので、体質も性格も一人ひとり詳細に違っています。

受験期にはSNSを完全封印する方が集中する生物もいるでしょう。

そのような生活上の制限を設けず、あくまで自由でやった方が快適に感じる生物もいるでしょう。

私は最も集中していた日々でも、日々の計画は特に立てずに勉強したいときに勉強するスタイルを取っていましたが、

午前中9時から12時まで数学、んで13時から15時まで生物、みたいな1日のスケジュールを全く決められず、また決めても一切守れないに近いことにずっと劣等感を抱いていました。

そんな自分は下等生物なのではないかと感じたことも。

本番までに自分が何をどれだけできるのか考えて、それに応じて大まかなスケジュールは作る必要性は絶対あると思いますが、

やっぱり大切なのは、自分が快適な日々を過ごしながら目標に向かって集中していくことですよね。


ちゃんと、考えてくださいね。

自分がどうしたら目標を達成できるのか。

自分が今どんな体調であって、そんな体調の時には何を行なったら良いのか。

その目標は、何がなんでも達成しなきゃいけないものなのか。

それとも、「できたらいいか」みたいなノリのものか?自分のための目標か?それとも他人のための目標か・・・。


人生は、やっぱり幸せになるためにあるもので、日々抱く目標も自分を幸せにするためのものであるべきだと思うのです。

世間一般の勉強法に振り回される必要性は一ミリもありません。なぜならあなたは人間であり、生物であり、他の人とは少しずつ違っているから。

何事も、今この時を楽しんでいきたいですね。












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