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【連載小説】第三部 #6「あっとほーむ ~幸せに続く道~」我が家での穏やかな夫婦生活

前回のお話(#5)はこちら

前回のお話:

祖父の葬儀を終えためぐは、翌日から早速仕事に向かう。店を開けると早速、常連客のかおりがやってきた。そして彼女の後からやってきたのは、何度か店にやってきたことのあるクミだった。クミは自身の赤ちゃんをかおりに抱かせるためにやってきたのだという。赤ちゃんのかわいさを少しずつ感じ始めるめぐだが、今はまだ仕事をしていたいと気持ちを新たにする。

その時オーナーから、誰もいないように見えるカウンター席にコーヒーを出すよう指示が飛んだ。そこに座っているのはなんと「あの世からのお客様」だった。どうやらかおりの亡き兄が妹の様子を見に来たらしい。かおりが「兄に見守られているのを嬉しく感じる」と告げると、かおりの兄はテレビの映像を乱すという形で自身の気持ちを表したのだった。

亡くなった人はそうやって、姿は見えなくとも何かしらの形でそばにいることを表現しようとする――。帰宅しためぐを待っていた祖母も、縁側に腰掛けながらそのようなことを語った。目に見えないものの存在を肌で感じることの大切さを知るめぐであった。

<翼>

 同居を始めて一年半もの間、鈴宮としか書かれていなかった玄関にとうとう野上の表札がついた。祖母が若い人のセンスに合わせるというのでローマ字表記だ。はじめは俺たちの分だけ追加する予定だったが、同じデザインで統一したいという悠斗の希望もあって鈴宮姓の表札も変えた。

 「SUZUMIYA / NOGAMI」の表札は、すでに修繕済みの塀や門とも調和がとれている。外壁や内壁、水回りも現在進行形で改修中。それもこれも祖父母宅の跡地が無事に売れたおかげである。

 建て直すわけじゃないから家の骨組みはそのままなのだが、工事が進めば進むほど悠斗の思い出の家は姿を消していく。祖父母の家の解体時には俺でさえ胸を締め付けられる経験をしたからちょっと心配だったけど、悠斗はむしろそれを望んでいるようだった。

「おれは今、ワクワクしてるよ。家が更新されるたびにおれ自身も若返ってく気がするし、今更だけど新生活が始まるみたいな感じがして。まぁ、日常は何も変わんないんだけどな」

 その凜とした表情や堂々とした態度を見るにつけ、彼はもうまったく過去を振り返らなくなったのだ、と知る。そして実際、五十歳近い年齢であることを感じさせない容姿を見て、俺もこんなふうに年を重ねていきたいと思うのだった。

◇◇◇

 それぞれがそれぞれの時間を過ごし、時間があえば食事を共にし、談笑し、時にめぐちゃんと愛し合い……。祖父亡き後の「我が家」での暮らしは、これまでよりもずっと穏やかに過ぎていく。おそらくは家族全員が、何気ない日常こそ有り難く、大切にしなければならないのだと改めて知ったからに違いない。

 しかし穏やかなのは家の中だけ。一歩外に出てみれば園での仕事が待っている。入園シーズンを迎えれば年少児の対応に追われるし、それが落ち着いたかと思えば、家庭訪問などの行事が目白押し。おまけに今年は、結婚している同僚の先生の妊娠ラッシュ。そのせいでなぜか俺まで妙なプレッシャーをかけられる毎日だ。

「つばさっぴ先生のところはお子さん、まだでしたよね」
 今日も、職員室で後輩の女性教諭と話していたらそんな質問が飛んできた。

「こういう仕事をしているし、私なら結婚したらすぐに子どもを作るけどなぁ。……って、これはもうすぐ三十で彼氏なしの人間のひがみですけど。奥さん、子どもが欲しいっていいません?」

「奥さんが、今は仕事が楽しいって言ってるからそれでいいかなって」

「あ、それ分かります。私がそうですもん。でも、そう言ってるうちに出産適齢期を逃して後悔する女子は多いらしいですよ。私も、このまま仕事を続けていたら子どもが産めなくなるんじゃないかって、今から焦ってます」

「ご心配なく。俺の奥さん、今年で二十歳だから」

「うっそ! 若いって聞いてはいたけど、そんなに若かったんですか! でも、そんなに年の差があったら、奥さんが子どもを欲しいと思ったときには、つばさっぴ先生のほうがいい年に……」

「余計なお世話!」

「あっ、すみませんっ……!」

 そこへ俺たちの話を聞いていたらしい映璃えり先生がやってきて会話に加わる。
「カナ先生? 私の娘婿にちょっかい出すの、やめてもらえる?」

「……え? 娘婿?」

「つばさっぴは私の娘と結婚したのよ。知らなかった? それとね、世の中には子どもが産めない女性もいるってことをお忘れなく。……さぁ、おしゃべりはこの辺にして仕事に戻りましょう?」

「あ、はい……」
 カナ先生はすごすごと自分の席に戻っていった。

「……エリ姉、サンキュー。ナイスフォロー」

「あの手の話にはトラウマがあるのよ。若い頃は私もずいぶん悩んでいたから……」

「そうだよね……」

「カナ先生の言っていたことを気にする必要はないわ。ご縁があれば子どもを迎えられる。その日がいつになるかは誰にも分からないけれど」

「……そういえば、エリ姉が養子を迎えようと決めたきっかけってあったの? 例えば誰かに言われてとか、年齢的なこととか」

 エリ姉は思い出すように天を仰ぐ。
「……二人の気持ちが一致したのが三十歳の時だった、ってだけの話よ。でも、あの時はとりつかれたように足が動いたのを覚えてる。その結果、めぐと出会えた。私たちにとってめぐとの出会いは運命そのもの。もしあの時行動していなかったら、そしてちょっとでも時期がずれていたら翼くんもめぐと出会うことはなかったし、きっと別の人生を歩んでいたでしょうね」

「つまり、直感的に動いたのがよかったってこと?」

「そういうことになるかな……。まぁ、周りの言葉は気にせずに、自分たちの思うとおりに行動すればいいと思うわ。ただし、二人でしっかり話し合うこと! 私も、アキとは何度も話し合いを重ねた上で決断したから」

「そうするよ。ありがとう、エリ姉」

 会話が一段落したところで目の前の電話が鳴った。一気に現実に引き戻される。電話を取った後はエリ姉との交わした話も忘れ、仕事に忙殺されたのだった。

◇◇◇

 結婚生活が三年目を迎える前に、めぐちゃんが二十歳になった。以前から「三人で外飲みしたい」と話していたが、今日からは堂々とそれが出来る。俺と悠斗は行きつけの『バー・三日月』に予約を入れておき、そこで数日遅れのバースデーを祝うことにした。

「いらっしゃいませ。お誕生日おめでとうございます」

 入店すると、店主のバーテンダーがわざわざカウンターの向こうから出てきてめぐちゃんを祝福した。

「いつものお席へどうぞ。本日は奥様がお誕生日と伺っておりますので、ささやかではございますが、カットフルーツをサービスさせて頂きます」

「あ、ありがとうございます……!」

 めぐちゃんが緊張した様子で答えた。バーテンダーがカウンター内に戻ると、彼女はほっとした様子で椅子の背にもたれた。

「ふぅ……。この薄暗くて静かな店内にいるだけでドキドキしちゃうよ……。まず、どんな顔をしていればいいか分かんないもん。注文の仕方もさっぱりだし」

「もっと気楽にしてて大丈夫だよ。ここはそんなに肩肘張らずに過ごせるバーだから。なぁ、悠斗?」

「ああ。おれなんて大学生の頃からの常連だぜ? ここはどんな酔い方をしても許してくれるからホントに有り難いバーだよ。……で、最初の一杯はどれにしようか?」

「どれって言われてもなぁ……」

 めぐちゃんはメニュー表を指で一通りなぞったが、俺もそうだったようにカクテル名を見ただけでは決められないようだ。彼女はしばらく悩んでいたが、突然「あっ!」と声を上げた。

「二人とも、それぞれ思い出のカクテル、あるよね? わたし、それにする!」

 彼女の言葉を受け、悠斗に連れられてこの店で初めてカクテルを口にした日に思いを馳せる。

「俺はやっぱり、悠斗のことを深く知るきっかけになったウィスキーのロックかな……。あの晩の飲みがなければ、たぶん今の俺はない。そのくらい思い出に残ってるよ」

「奇遇だな。おれもその日を思い浮かべていたよ。家族についておれ自身も深く考えるきっかけをもらった日だ」

「へぇ。悠斗ならもっと若い頃の……それこそ、ここに通い始めた頃の方がいろいろと思い出もあるのかと思ってた」

「その頃のおれの延長線上に今のおれがいるのは確かだよ。だけどおれは、お前らと一緒に暮らし始めたときに一度、人生リセットしたつもりでいるから。家だって今はまるっと更新しちまって原型残ってないし。だから、おれの思い出のカクテルも翼と飲み交わしたカクテルだよ」

「本当に、過去とはすっかり決別したんだな……」

「やっと、って感じだけどなぁ。ま、今が一番楽しいよ」
 ってことで、ウィスキーのロック三つ。悠斗は、カットフルーツの小皿を運んできたバーテンダーに飲み物を注文した。

「いきなりウィスキーかぁ。しかもロック……? なんか大人ーって感じ! わたしの知ってるカクテルのイメージとはだいぶ違うけど」

 めぐちゃんが早速カットパインを口に放り込みながら言った。その様子を悠斗と二人で微笑みながら見つめる。

「ロックも水割りも立派なカクテルだからな。ま、めぐはそのうち好みのカクテルを見つけていけばいいさ。二十歳になったばっかりなんだから」

「うん」

 程なくして三人分のグラスが運ばれてきた。それぞれにグラスを手に持って掲げる。

「めぐちゃん、二十歳のお誕生日おめでとう」

「四年越しの三人飲みに乾杯」

「ありがとう! かんぱーい!」


使用AIのモデルチェンジをしたので、以前と雰囲気違いますが悪しからず!


「……ゲホッ! 喉が焼けるっ!」

「ほら、水」

 俺がチェイサーを差し出すと、彼女は一気に半分ほどを飲み下した。悠斗一押しのウィスキーは十二年ものだ。その熟成された酒を、氷を入れただけの状態で飲んだのだから当然の反応だ。

「二人とも、普段こんなに濃いお酒を飲んでるの? 信じられない!」

「なぁに、すぐに慣れるさ。翼なんて一回限界知ったら、次からおれと同じ量を飲めるようになったもんな?」

「……おかげさまで」

 確かにその日は同量のアルコールを摂取したかもしれないが、以降、酒癖の悪い悠斗のペースで飲まないよう気をつけている。言われるがままに飲み続けたら最後、家に帰り着けなくなってしまう。しかし、当の悠斗に自覚はないのか、恐ろしい発言をする。

「めぐもいつか、自分の限界知ってみる? おれが付き合ってやるぜ?」

「おいおい、めぐちゃんを酔い潰すのだけはやめてくれよ。飲み相手が欲しいだけなら俺が付き合う」

 思わず睨み付けると悠斗はたじろいだ。
「冗談だって。……そんなに怖い顔すんなよ」

「酒が入った悠斗は本音しか言わないんじゃなかった?」

「……そんなこと、言ったかな?」
 悠斗ははぐらかすようにウィスキーのグラスを傾けた。

 それからショートカクテルを一杯ずつ注文し、軽い食事を取りながら小一時間ほど他愛ない話をして過ごした。悠斗はもっと飲みたそうにしていたが、今日の主役はめぐちゃんだ。俺と彼女とで示し合わせて席を立ち、悠斗を店の入り口まで引っ張っていく。

「何だよぉ、付き合い悪いなぁ。めぐはもう二十歳なんだから、好きなだけ飲んでったっていいんだぜ? おれがおごるよ」

「あはは……。もう十分いい気分だよ。また今度ねぇ」

「今度って、いつだよぉ? すっぽかされる前に予約しとかなきゃ。いつなら空いてる?」

「鈴宮様。そのことでお話が」
 レジの前で悪態をつく悠斗に、店主が申し訳なさそうに口を開いた。
「実はわたくし、今月でバーテンダーを引退することに決めまして。ですから、こうしてお目にかかれるのはおそらく本日が最後になります。今までごひいきにして下さってありがとうございました」

「えっ……」
 悠斗がさっと真顔になる。
「それって、店を閉めるってことですか?」

「いえ。店は私の一番弟子が引き継ぎますのでご安心を」

「だけどどうして急に……? 引退を決めた理由って何なんです?」

 悠斗の問いに、店主は微笑みながら答える。

「今まではお客様の思い出を作るのが仕事でした。しかし最近になって気づいちゃったんです。ひょっとしたら、私は私個人の思い出を作ってこなかったんじゃないかって。……きっかけは、少し前に孫が生まれたことです。自分の子育て期には余裕がなくて気付きもしませんでしたが、赤ちゃんの微笑みの可愛いこと可愛いこと。それを見て、これからの人生は孫子まごこと過ごしたいと思うようになったんですよ」

「孫、ですか……」

「すべては鈴宮様のおかげです」

「おれ……?」

「ええ。はじめは一人でいらしていた鈴宮様ですが、今ではこうしてご家族で飲みにいらして下さる。それも、終始笑顔でいらっしゃる。その変化を見て、次は私が変わる番だと思いましてね」

「……おれが変われたのは彼らのおかげです」

「ええ、存じております」
 笑顔でうなずく店主を見て悠斗もうなずいた。

「……今月中はまだいらっしゃるんですよね? 近々、彰博あきひろを連れてまた来ます。あいつもマスターにはずいぶん世話になったし、最後に挨拶したいと思うんで」

「はい。またのご来店をお待ちしております」
 店主は深々と頭を下げた。

 真夏の夜道を歩きながら家路につく。この身体の熱さが酔いのせいか気候のせいかは分からないが、ちょっと風が吹くと汗が冷えて心地よい。

 飲み控えたはずだが、ふらりふらりと左右に歩く悠斗が危なっかしくて見ていられず、めぐちゃんと二人で左右から手を取る。思いがけず、昔みたいに三人で手を繋ぐ格好になってちょっと気恥ずかしくなるが、悠斗は「ほろ酔いってのも悪くないなぁ」と言って嬉しそうにしている。

「それにしても、孫かぁ……。出会ったばっかりの頃は、マスターも三十そこそこだったのに。……それもそうかぁ。翼が三十過ぎちゃったんだもんなぁ」

「もしかして、愛菜まなちゃんが生きていれば自分にも孫がいたかもしれないって思ってる?」
 俺が問うと、悠斗は困ったような顔をした。

「……あんな話を聞かされたら昔の記憶もよみがえってくるよ。今が一番幸せなのに。酒のせいかな……」

「俺が思うに、悠斗はあのバーでそうとう負の感情をばらまいたんだろうな。だから酒を飲むと、あの場に行くと、そういう記憶が引っ張り出される。……本当は忘れたくなんかないんだと思うぜ。だって、若い頃の頑張りや苦しみがあったから今の悠斗がいるんだろ? 口には出さないけど、悠斗はそれを誇りに思ってるんじゃないの?」

「……翼のくせに、いいとこ突いてくるな」

「くせにって、何だよ?」

「そのまんまの意味」
 悠斗はそう言うと、繋いでいた手を離して、俺とめぐちゃんの肩に腕を回した。

「他人から見ればおれの過去は失敗だらけで、若気の至りじゃとても片付けられないような人生だろう。三十前後のおれもそう思ってたし、自分には生きる価値がないとさえ思ってた時期もある。だけど頭の片隅では、頑張ってきたのにどうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだって思ってもいた。そりゃあそうさ。二十数年、がむしゃらに水泳に打ち込んできたおれは、こんな思いをするために生きてきた訳じゃない。華々しい、誰もが羨む成功者になるために頑張ってきたのに、何だよこの仕打ちは、ってな」

「うん……」

「……だけど彰博やお前たちが、その過去を価値あるものに変えてくれたんだ。こんなふうに穏やかに懐古できるようになったのはつい最近だよ。そういう意味では、年を取るのも悪くないって思ってる」

「語弊があるかもしれないけれど、わたしは悠くんがそういう人生を歩んでくれてよかったと思ってる。だって違う人生だったらこういう形で出会ってなかっただろうし、ましてや一緒になんて暮らしてないと思うの。結婚はしなかったけど、悠くんはわたしにとってなくてはならない人。家族以上に大切な人だから」

「ありがとな、めぐ。お前はホントにいい女だよ……」

 俺の肩に回していた腕をほどいた悠斗は、その身体をめぐちゃんに預けた。酔っている彼女も彼女で抵抗せずにじゃれ合いを楽しんでいる。

「おい、悠斗。酔っ払ってるからって、そのくらいにしといてくれよ」
 念のため釘を刺すが、二人の世界に浸っているのか返事はない。

「悠斗ってば!」
 肩を掴んで振り向かせると、今度は俺に寄りかかってきた。

「なぁ……。そろそろ抱かせてくれないか。お前らの子どもを」

「は……? えっ……。何、言ってんの……?」
 あまりにも突然のことに動揺を隠せない。悠斗は続ける。

「前から言おうとは思ってたんだ。でもこの際、言うよ。確かにおれはお前らの結婚を後押ししたし、こうして一緒に暮らしてもいる。だけど本音を言えば、お前らと一緒に子育てがしたいんだ。二人の夫婦生活に外野が口を出すもんじゃないのは分かってるよ。分かってるんだけど、おれたちの家に小さな子どもがいる生活も悪くないんじゃないかって最近強く思うんだ……」

「悠斗……」

「なぁ。お前らはどう思ってるの? 二人の考えを、今、ここで、聞かせてくれないか」

「…………」
 俺は口をつぐんだ。が、めぐちゃんは悠斗の問いに答えるように口を開く。

「……実はわたし、最近になって子どもを持ってもいいかなって思ってるんだよね。というのも、仕事場で知り合ったお客さんの連れてくる赤ちゃんがかわいいんだ! 会うたびに成長を感じられるのも、他人ながら嬉しくって」

「めぐちゃん……?! それ、ほんと?!」
 想定外の言葉に息が止まりそうになる。彼女は「うん」とうなずく。

「わたしも言おう言おうと思いながら、なかなかタイミングが合わなくて……。でも、さっきバーテンダーさんの話を聞いて、今夜家に帰ったらちゃんと話そうって思ってたとこだったんだよね」

「なら、話は早いじゃねえか。翼も子どもは欲しがってたし。なぁ?」

 悠斗に笑顔を向けられる。が、ついにその時がやってきたのかと思ったらドキドキしてしまい、返事ができなかった。

「どうした? ここは喜ぶところじゃないのか?」

「そうなんだけど……。子どもを作ろうかって意識したら、何だか緊張しちゃって……」
 本音を漏らすと悠斗は立ち止まり、再びめぐちゃんに寄り添った。

「ほう、いざとなったら萎えたってわけか……。情けねえ野郎だ。なら、おれがめぐの相手をしよう。幸い、今日のめぐはご機嫌みたいだし、おれもおれで気分がいい。二人きりになりさえすれば、あっという間にいい雰囲気に持って行ける。……どうだ、めぐ?」

「わぉ! 今日の悠くんってば、大胆ー!」
 見つめ合った二人は今にもキスしそうなほどに顔を近づけている。さすがに見ていられずに割って入る。

「あまりにも度が過ぎるだろ! 仮にもめぐちゃんは俺の奥さんなんだ、手を出してもらっちゃ困る!」

「困る、だと? 甘いんだよ、お前は。おれだって男だ。仮にも一度愛した女と一つ屋根の下で暮らしていて何も感じないとでも思ってんのか? めぐさえその気になればこっちのもの。寝取ることなど造作もないんだよ。なにせ、おれには女を誘うテクニックがあるからな」

「……悠斗!」

「お前は頭で考えすぎてる。身体で感じろ、女の雰囲気を。流されろ、その場の空気に」

「簡単に言うなよ。俺がこれまでどれだけ計画的に子どもを作らないように、、、、、、、してきたかも知らないくせに」

「じゃあ聞くが、これまでの人生で計算通りにいったことがどれだけあったってんだ? 少なくともおれは、二十二で子どもが出来て結婚する予定なんてなかったし、その子どもが五歳で水死して離婚するとも思ってなかった。ましてや三十八で母親を亡くすなんて夢にも思っていなかった。

……だけど同じ予定外でも、母親の病気がきっかけでこの地に戻った結果、彰博やめぐ、その後にはお前と出会えたのも事実だ。十年連絡を絶っていた親元に今更帰れるか、と意地を張っていたら、こうはなってなかったってわけだ。

……皮肉なことだが、思い通りの人生を送ってやろうともがき続けた前半生で待っていたのは不幸だった。ただ生きていればいいやと肩の力を抜いた後半生には幸せが待っていた。……この意味が分かるか?」

「本能の赴くままに生きろって言いたいのかよ……。めぐちゃんのこともそうやって抱けと……? 俺は悠斗とは違う。俺には、無理だ……」

「そうか……。なら、仕方がないな。めぐ。家に戻ってシャワーを浴びたらおれの部屋に来い。おれならお前の気持ちに応えられると約束しよう」

 悠斗は言うなり、めぐちゃんにキスをした。以前にも見た、吸い付くようなキスだ。あろうことか、めぐちゃんがキスを拒む様子はない。誘惑に負けているのか、あるいは悠斗の術中にはまっているのだろうか。悔しい……。なのに、一ミリたりとも動かない俺の手足に嫌気が差す。

(俺は何をしている……? 目の前でパートナーの唇を奪われているってのに、何の行動も起こせないのかっ……!)

 怒りにまかせて人を殴っちゃいけないとか、本能は抑えるべきだとか、そんな理由を並べ立てては俺を動けなくしている脳みその信号を無理やり断ち切り、非力な拳を突き出す。

「この野郎っ……!」

 とっさに避けきれなかった悠斗は俺の拳を食らってよろけた。しかし彼は笑っている。
「いいよ、その顔。おれはお前のその顔が、女を奪われまいとする男の顔が見たかったんだよ」

「なら、もっと見せてやるっ!」

「二人とも、やめて!」
 拳が悠斗の元に届く直前でめぐちゃんの待ったがかかった。

「悠くん、ありがとう。もう充分だよ」

「へ……?」

「……ったく。何でおれがこんな芝居をしなきゃいけないんだ。まぁ、久々にめぐとイチャイチャできて楽しかったからいいけど」

「し、芝居……?」
 何が何やらさっぱり分からない。ぽかんとしているとめぐちゃんがおれの手を握った。

「実は、ママから話を聞いたんだ。最近、人手不足でお仕事が忙しいんだってね。頑張ってる話を聞いたら、とてもじゃないけど心境の変化を伝える気になれなくて……。でも、それじゃいけないと思って悠くんに相談したら、芝居を打ってみるかって話になってね……」

「…………」

「翼くんのお仕事に余裕があるうちに子どものことを考えられたらよかったんだろうけど、それが出来ずにごめんね。だけど、お待たせしました。ようやくわたしも前向きに考えられるようになりました。……だからって、焦るつもりは全然ないよ。二人の気持ちが一致したらその時に……ね?」

「めぐちゃん……」
 彼女の優しさが身にしみる。じーんと感じていたところへ、悠斗が余計な言葉を継ぐ。

「本当は今日実行する予定じゃなかったんだけど、それもまぁ、臨機応変に対応したってやつだ。……おれたち、マジでベッドインしそうな雰囲気だっただろう?」

「……ああ、本当に嫌な気分を味わったよ。悠斗はともかく、めぐちゃんの演技力には参ったぜ。もう、これっきりにしてくれよなぁ」

「なら、仕事で忙しくったって、ちゃんと夫婦の会話を持つことだ。先生だって有給休暇を取る権利はあるんだろう? 平日に休みを取るのも手だと思うぜ」

「ただでさえ人手不足なのに?」

「んなこと言ってると、今日の芝居が現実のものになりかねないぞ?」

 さっきの二人の会話を思い出して背筋が凍る。
「……ああ。前向きに検討してみるよ」

*(⚠以下、シャワーシーンあり♡)


 それから一週間ほどが経った。俺はめぐちゃんと休みを合わせ、一日ゆっくり過ごす日を作ることにした。家には悠斗も祖母もいない。本当に二人きりってのは、実は今までなかった。それもこれも悠斗が気を利かせてくれたおかげだ。

「ホントにどこにも行かなくていいの? バイク、出すよ?」

 昼頃までは扇風機を回しただけの部屋でごろごろしていたが、さすがにじっとしていられなくなって家の中をうろつく。しかし、何度聞いてもめぐちゃんの返事はNOだった。

「今日は普段忙しくしている翼くんの身体を休めるのが一番の目的だもの。出かけちゃったら意味ないよ」

「だけど、せっかくの休みなのに」

「……ねぇ、こっちにきて」
 めぐちゃんははにかみながら俺の手を引き、風呂場に導いた。
「せっかくの休みって言うなら、私は翼くんと二人きりのおうちタイムを満喫したいな」

「……二人きり」

 呟いてみて、そうか、今日はこの家には俺とめぐちゃんしかいないんだと再認識する。同時に、今まではなんだかんだ言って同居人の目を気にしていた節があったと気づく。思えば一緒にシャワーを浴びたことさえなかった……。

 結婚してもうすぐ二年。これまで何度となく肌を重ねてきたが、こう言うシチュエーションは初めてだ。

「……何だかドキドキするよ」

「わたしも……」

 互いの気持ちを確かめ合い、自然な流れで汗ばんだ衣服を脱がせ合う。浴室に入ってシャワーを浴びながらどちらともなく身体を求め、息が乱れる。頭が痺れ、自分が何をしているのかも分からなくなる。そのうちに身体の感覚さえなくなって、気づけばめぐちゃんと一つになっていた。

 俺たちを隔てるものは何もなかった。彼女の体内に俺のすべてを送り込んだのは初めてだったが、不思議と余計な考えは浮かんでこなかった。

 自然な形で愛し合うとはこういうことか、と思い至ったのは、冷房の効いた部屋で昼寝した後だった。

「おはよう、よく眠れた? おやつにする?」
 俺の目覚めに気づいためぐちゃんが傍らにやってきて座った。

「いや、大丈夫」
 寝ぼけ眼で起き上がり、彼女の肩を抱く。
「……気のせいかな。今日のめぐちゃんはいつもよりずっと綺麗に見える」

「ふふ……。ありがとう。翼くんが愛してくれたおかげ、かな?」

 寄せられた唇にキスをしようとしたとき「ただいまー」と玄関先から声がした。夕方になって悠斗と祖母が帰宅したのだ。まだ靴も脱いでいないうちから悠斗の暑がる声が聞こえる。

「あー、あちぃ。ちょっと外に出ただけで汗だくだぜ。シャワー浴びていいか?」
 シャワーと聞いて、昼間の出来事が脳内再生される。めぐちゃんも同じことを想像したのか、頬を染めてうつむく。

「……今日のことは内緒ね」

「もちろん。でも……また機会があればしたいな」

「……だね」

「どうだ? ちゃんと仲良く過ごしたか?」

 居間でささやき合っているところへ祖母と悠斗が入ってきた。俺たちが見つめ合うと、祖母が思いも寄らないことを口にする。

「あら。二人から石けんのいい匂いがするわ。もしかして二人で一緒にお風呂に入ったの?」

「…………!」
 年のせいか、祖母には恥じらいのかけらもないようだ。

「オバア、ナイス!」
 無遠慮に大爆笑する悠斗の脇で、俺たちは顔を真っ赤にしてうつむくしかなかった。



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