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【連載小説】第三部 #7「あっとほーむ ~幸せに続く道~」生と死の狭間で

前回のお話(#6)はこちら

前回のお話:

祖父亡き後、鈴宮家での四人暮らしは穏やかに過ぎていく。一方で、人手不足から仕事が忙しい翼は、妻のめぐとゆっくり話す時間をとることが出来ずにいた。

そんな折、めぐが二十歳になった。かねてから三人で行こうと話していた行きつけのバーにめぐを誘い、ウィスキーグラスを傾ける。ほどよく酔ったところで精算を頼むと、バーテンダーから今月限りで引退すると告げられる。聞けば今後は孫子との時間を大切にしながら過ごすという。

夏の夜風を感じながら帰路につく。そのとき悠斗が翼とめぐの子を抱きたいと言い出す。急な話に戸惑う翼だが、聞けばめぐも、最近になって子どもを持ってもいいと思えるようになったというではないか。

しかし翼は、いざその時がやってきたらかえって気持ちが萎えてしまった。二年近く避妊生活を続けてきたせいだ。消極的な姿を見た悠斗は情けないと一蹴し、それならおれがめぐと子どもを作ると言い出す。めぐもめぐで乗り気な様子だ。混乱した翼はなんとか勇気を絞り出して悠斗に殴りかかる。

ところがそれは、忙しい翼となんとか話をするために二人で考えた小芝居だった。「仕事熱心なのもいいが、夫婦の時間や休暇を取るように」と言われた翼は、悠斗の厚意もあって、自宅でめぐと夫婦水入らずの一日を過ごす。そして自然な形で愛し合ったのだった。

<悠斗>

季節は巡り、今年も残すところわずかとなった。

 暖冬とは言え、日に日に寒さが厳しくなっている。庭の手入れのため部屋着のまま外に出たら思いのほか寒くて身震いする。

「めぐは職場で温かくしているんだろうか……」

 秋に妊娠が分かってからと言うもの、おれは誰よりもめぐの身体を気にしている。まるで自分が父親になったかのような心持ちなのだ。そのせいで翼には「まさか俺のいない間に関係を持ってないよな?」と疑われているが、断じてそんなことはない。

 めぐのお腹にいる赤子が愛菜の生まれ変わりなら、もうすぐ再会できる――。

 そう思ったら、赤子の成長を気にしてしまうのは仕方がないことだ。めぐの妊娠を機に一度も愛菜の夢を見なくなったのも大きい。仮に赤子が愛菜の生まれ変わりじゃなかったとしても、おれはめぐの子どもを我が子のように愛し育てるつもりだ。それが、愛菜を死なせてしまったおれの責務だと思っている。

「悠斗君、そんな格好じゃ寒いわ。これを羽織りなさい」
 開けたままの居間の窓から震えるおれが見えたのだろう、オバアはコタツから這い出して自分の着ている袢纏はんてんを差し出そうとした。が、その動作は危なっかしく、今にも転びそうだ。思わずこっちから部屋の中に飛び込む。

「おれなら大丈夫。ちゃんと自分の上着を着ますから、オバアはそのままで」

「でも……」

「オバアにはいつまでも元気でいてもらいたいんですよ。だから、無茶しないでください!」

 ちょっと強めに言うと、オバアはしゅんとしてコタツに座り直した。申し訳なさを感じつつもまずは一安心する。

 最近のオバアは毎週のように病院へ通っている。大抵はおれがタクシーで付き添っているのだが、以前より回数が増えたこともあって正直、休む暇はほとんどない。仕事を休めないニイニイからは「そろそろデイサービスの利用や老人ホームへの入所を検討しよう」と提案されているが、この家での暮らしが気に入っているオバアをこっちの都合で追い出すのは気が引けた。おれだけじゃない。めぐも翼もオバアとの暮らしが一日でも長く続くことを願ってる。ならばここは頑張らねばなるまい。日中手が空いているのはおれだけなのだから。

「ただいまー」
 その時、明るい声が聞こえた。めぐが帰宅したようだ。慌てて玄関に赴く。

「歩いてきたのか? 帰るときは迎えに行くから連絡しろって言っただろ?」

「すぐ近くだもん、大丈夫だよ」

「だけど、お腹には大事な赤ちゃんが……」

「もう! 悠くんは心配しすぎ!」
 めぐは腰に手を当ててハリセンボンみたいに頬を膨らませた。

「つわりもないし、わたしはお仕事もバリバリこなせるくらい元気だよ! 心配なのは悠くんのほう。おばあちゃんの通院回数が増えてからお疲れに見えるよ? パパや伯父さんの言うように、そろそろ家族以外の人の手を借りてもいいんじゃないかってわたしも思うよ。職場のオーナーに聞いたら、認知症を患っていたおばあちゃんが最終的には介護施設のお世話になったって……」

「オバアは頭もしっかりしてるし、身の回りのことはまだ自分でできるじゃないか! そんなオバアをどうして施設に預けられる?! それとも、おれじゃ頼りないっていうのか?!」

「そ、そういうわけじゃ……。わたしはただ無理をして欲しくなくて……」

「おれだってまだまだ動ける。老人扱いしてもらっちゃ困るな!」

「……ごめんなさい」

 カッとなってまくし立てると、めぐはさっきのオバアのように頭を垂れ、自室に行ってしまった。

 我に返って反省したおれもひとり、自分の部屋に引っ込む。
(参ったな……。いったい、どうしたってんだ……? まるで昔のおれに戻ったみたいじゃないか……)

 ふぅと息を吐き、椅子に腰掛ける。冷静になったところで思考を巡らせる。

 最近、家族と適切な距離をとれなくなっている。おれが変わったのか、めぐたちが変わったのかは分からない。いずれにしても話そうとするとギスギスしたり、イライラしたりしてしまうのは確かだ。

 めぐの言うとおり、疲れているせいなのだろうか。いや、そんなはずはない。子どもの頃から今日に至るまで水泳をし続けていて体力は十分にある。病院の付き添いくらいで疲労が蓄積するとは思えない。

(とにかく泳いで気晴らししよう……)

 大抵のことは泳げば解決する。そう言い聞かせてバイクのキーを持つ。なんとも表現しがたい胸の痛みを感じながら、今日も水泳コーチの仕事に向かう。

 ところが、仕事を終えても胸のモヤモヤが晴れることはなかった。泳ぎが足りないのかもしれないと思い、スポーツクラブが閉館するまで泳いでみたがダメだった。こんなことは初めてだ。

 九時を回ってから帰宅すると、オバアの就寝を手伝っていたらしい翼が出迎えてくれた。
「やけに遅かったじゃん。仕事が長引いたの?」

「いや、気晴らしに泳いできたんだ。……まぁ、気は晴れなかったんだけど、そういう日もあるよな」

「気晴らしはいいけど……。あんまり身体を酷使するなよ? 夜だってちゃんと寝てないみたいだし、休めるときに休まないと」

「翼までおれを年寄り扱いか?! 余計な心配するなよっ!」
 乱暴に靴を脱ぎ散らかす。酷くイライラする。何かに怒りをぶつけたい衝動を感じながら部屋に上がろうとした、その時だ。

「うっ……!」

 目の前の景色が歪み、胸に激痛が走った。胸を押さえて膝を折り、必死に呼吸をしようと努めるが、どうしても息を吸うことができない。そのうちに起きていることもできなくなって倒れ込む。

「悠斗、どうしたんだよっ……!? め、めぐちゃん! 救急車を呼んで! 悠斗が倒れたんだ!」

「えっ!? 悠くんが……?!」

 遠ざかる意識の向こうでかろうじて二人の声が聞こえる。もしかしたらこのまま死ぬかもしれない……。そんな思いが脳裏をよぎる。

(めぐと翼の子ども、見たかったな……。ごめん、愛菜。どうやらこの世で再び会うのは難しそうだ……)

 胸の内での呟きは二人の耳には届かない。死を意識したとき、たびたびおれの前に姿を現してきた亡き家族のことを思い出したが、おれがこんな状況だって言うのに彼らが迎えに来る気配はない。

(薄情な親たちだ……)

 妙な孤独感に打ちひしがれながら一人、死を覚悟した。

◇◇◇

 気がつくと真っ白な場所にいた。胸の痛みも息苦しさも今はない。

(おれは……死んだのか……?)

「おとーさんは死んでないよ」

 心の中で呟いたのに、否定された。

愛菜まな……?」
 そこには、生前と同じ姿の愛菜がいた。これまでとは違い、声も姿もはっきりしている。まるで肉体がそこにあるかのようだ。

「……死んでないなら、どうしてはっきり見えるんだ?」
 疑問をぶつけると愛菜が答える。

「……生と死の間にいるって言った方が正しいかな? だからこうして同じところに立っていられるんだよ」

「生と死の間……。やっぱりおれは死ぬのか……」

「死なせないよ。愛菜が、そうさせない」
 そう言うと愛菜は勢いよく駆けてきた。無意識のうちに膝を折り、その身体を抱きしめる。

 懐かしい抱き心地にもかかわらず、体温は一切感じられなかった。腕の中にいるのは血の通った人間ではない……。おれも愛菜も異次元にいるのだと思い知らされる。

「……そうさせないって、どういう意味だ?」

「……愛菜がおとーさんに命を渡すの。そうすればおとーさんはこの先も生きていける」

「それって、もしかして……」
 嫌な予感がした。おれが最後まで言わずとも分かったのだろう、愛菜はうなずく。

「現世でおとーさんと再会するつもりだったけど、予定変更。おとーさんのいない現世に生まれても愛菜はあんまり嬉しくないからねー」

「そんなのはダメだ! めぐを、翼を悲しませるなんて……!」

「このままおとーさんが死んじゃっても二人は悲しむよ」

「…………」
 オジイがなくなる前後の二人の様子を思い出して口を閉ざす。愛菜は続ける。

「おとーさんが苦しんでるのを知ったら、いてもたってもいられなくなったの。胎外に出るまではまだ魂のままでいられるし、自由に動き回ることもできる。命を渡すことも……」

「……おれは愛菜に生き直して欲しいよ。おれはもう十分幸せに生きた。だから今度は愛菜の番だ。違うか?」

「ありがとう……。だけど、もう決めたことだから」

「愛菜っ……!」

「……また、会えるよ。おとーさんが生きていれば絶対に。だからその時まで自分の身体を大切にしてよね?」

「だけどっ……!」

「それじゃあ、元気でねー」

 直後、抱きしめていた愛菜の身体が光り出した。目の前が再び真っ白になる。

(もうすぐ愛菜に会えるって、楽しみにしてたんだよ……。なのにどうしてまた遠ざかってしまうんだ……)

 悔しさのあまり唇を噛む。しかしおれが死んでしまっても愛菜を抱くことはできないと気づく。現世で再会するにはやはりおれが生を繋ぐしかない……。

(生きて幸不幸を体験するのが、おれに課せられた使命だとでも言うのか……。それともおれは、早くに死んでいった愛菜や両親の分まで生きることを運命づけられているのか……。誰か教えてくれよ、なぁ……?)

◇◇◇

 まぶたを開けると同時に胸の痛みを感じた。痛み……。それはおれが生きていることを意味する。

 カーテンの隙間から太陽の光が差し込んでいる。周囲に時計はないから正確な時刻は分からないが、日差しの感じからして今は朝だろうか。

 見覚えのある病室。どうやら、父親の死後に倒れたときと同じ総合病院に運ばれたようだ。

 ボタンを押して看護師を呼ぶ。目が覚めたことを伝えると、看護師ではなく医師がやってきた。

「すぐに精密検査をしましょう」
 聞けば丸三日寝込んでいたという。確かに身体が重い。三日の間に筋力が衰えてしまったに違いなかった。

 早く体力を取り戻さなければ……。その一念から、診察室まで自分の足で歩くと主張したが取り合ってもらえなかった。

 仕方なくわずかな距離を車椅子で移動する。看護師に押してもらわなければ行きたいところにもいけない……。酷くもどかしかったが、冷静に考えてみれば、三日も寝込んでいた人間が健常者のように動けるわけがない。もし家族がおれのように発言、行動しようものなら絶対に止めるだろう。

(おれはおれの身体を大事に扱っていなかったんだな……)

 心身共に若いつもりでいた。それ故に身体の異変を見逃してしまったと、胸に手を当て反省する。

 心臓が規則正しく動いている。この、どうしようもないおれを生かすために。

 結果が出たのは午後も遅い時間になってからだった。結果を見た医師はまず眉をひそめ、それから口を開く。

「前回同様、過労が原因と思われますが、今回感じた胸の痛みは狭心症によるもので間違いないでしょう。幸いにして手術の必要はありませんが、ご家族の話では、寝る時間も満足にとれていない日々が続いていたそうですね。心筋梗塞を引き起こさなかったのが奇跡的なくらいです。健康を取り戻したいのであれば、これを機に生活を見直したり、仕事を辞めて休養することをおすすめします。身内に心疾患で亡くなった方もおられるようですし」

「……水泳コーチの仕事は生きがいです。簡単にはやめられません」

「同じ生活を続けていれば、次にお目にかかるときはこうしてお話しすることができない状態かもしれません。それでもいいのですか?」

「…………」

「……ちょうどご家族がお見えになっていますから、私から容態と今後のことについてお話ししましょう」

 医師は呆れたようにため息をつき、一度部屋を出て行った。おれはベッドの背に身を預け、点滴をしていない右腕を天井に伸ばした。

 空を掴んでは離す、を繰り返す。意識したとおりに指が動き、力を込めれば拳を握ることもできる。また呼吸に意識を向ければ、肺に空気が出入りするのも感じられる。

(これは、現実だ。おれは、生きている。いや、生かされてしまった……)

 医師の診断が正しければ、おれも母親と同じ病で倒れていてもおかしくはなかった。それが一時的な胸の痛みで済んだのは、間違いなく愛菜のおかげだ。

 しかしおれの意識下で起きた、およそ説明できない現象によって救われたと言ったところでどれほどの人間が信じるだろう? たとえ事実に反していても、医師が適切な処置し、投薬したから助かったと説明した方がよほど多くの人を納得させられるに違いない。

 見えない世界に住む人々の存在を信じているめぐなら、あるいはおれの話を信じてくれるかもしれないが、懐疑的な翼にはどう話したらいいものか……。

 思いを巡らせていると、医師と共に翼が姿を現した。その表情はいつになく険しい。

「……いろいろ、ごめん」

 謝ってはみたものの、翼の表情は硬いままだ。重苦しい空気を断ち切るように、医師が淡々と症状や入院日程、投薬について説明するが、翼の耳には届いていないようだ。説明が終わり医師が部屋を出て行く際も、まるで金縛りにでも遭っているかのように動かなかった。

 あまりにも無言が続くのでこっちから声を掛ける。
「久々に顔を合わせたんだ、もうちょっと喜んでもいいんじゃないのか?」

「……まだ信じられないんだ。こうして悠斗と生きて対面できてることが。……俺が夢を見てるわけじゃないんだよな? ちゃんと……生きてる……んだよな?」

「ああ、血は通ってるよ。ほら」
 手を差し出す。翼は恐る恐る握り返したが、温もりを感じたのかほっと息を吐いた。

「そんなに心配だったのかよ?」

「ったり前じゃないか! 医者から、夕べが峠だって言われたら誰でも怖くなる。……あの先生、メッチャ驚いてたよ。一晩でこれほどの回復力を見せた患者は未だかつて見たことがないってね」

「そのことなんだが……」
 翼が信じてくれるかどうかは分からない。それでも真実を言おうと決めて息を吸い込む。

「おれが生還したのは、めぐの胎内に宿っていた愛菜が自ら命を絶ったからだ……。おれがいないこの世に生まれても嬉しくないからと言って、その命をおれに……」

「…………!」
 翼は目を見開いて再び黙り込んだ。

「……信じちゃくれないだろうな。だけど、本当のことだ」
 沈黙に耐えかねて言葉を継ぐと、翼がようやく口を開く。

「……すべてが繋がったよ。めぐちゃんの急な流産も、悠斗の奇跡の生還も。もちろん、にわかには信じがたいけど、それが真実だってことにすれば全部納得できる」

「……やっぱり、流産したのか。……めぐはどうしてる?」

「ここに入院してる……。母体に問題はないらしいけど、赤ちゃんが亡くなったのは自分のせいだって酷く落ち込んでるんだ……」

「そうか……。心配だな……」

「死にかけた悠斗が言うと滑稽だぜ……」
 翼がツッコミめいたことを言ったが、今日はまったく笑えなかった。

「仕事も休んでるんだろう? いろいろと迷惑をかけて済まない……。一日でも早くお前と漫才ができるように、入院中はしっかり養生するよ」

「ああ、待ってる。……そうだ、動けそうならめぐちゃんにも顔を見せてやってよ。彼女も悠斗の安否を気にしてるから。会ったら生還するに至るまでの経緯を話してやって。そうすれば、赤ちゃんを亡くして落ち込む気持ちも少しは楽になるかもしれない」

「なら、今すぐめぐのいる部屋に連れて行ってくれ。医者が今日一日は自力で歩くなって言うんだ。車椅子に乗れば一応移動してもいいことになってる」

「オーケー。案内するよ」

 翼に介助を頼み、車椅子で移動する。部屋は同じフロアだから、傷ついためぐに掛ける最適な言葉を思いつく間もなく着いてしまった。しかし、すぐに連れて行って欲しいと頼んだのはおれだ。たどたどしくてもいい、とにかく伝えようと意を決し、部屋に入る。

「悠くん……!? 本当に悠くんなの……? あぁ……無事でよかったぁ……」

 おれの顔を見るなり、めぐはいつものように弾んだ声で言った。つかの間安堵するが、ベッドに横たわったままの姿をみて、彼女もまた安静にしなければならない身体なのだと悟る。

「めぐに言わなきゃいけないことがあるんだ。そのためなら這ってでも来る」

「……翼くんと一緒ってことは、流産の話は聞いてるってことだよね? 言わなきゃいけないことってもしかして……?」

「ああ……」
 返事はしたものの、すぐに話し出すことができなかった。沈黙が続き、嫌な空気が場を支配する。長い間静かな時が流れたが、ようやっと覚悟を決めて口を開く。

「……めぐの言うとおりにすればよかったんだ。自分の体力を過信せず、ちゃんと休息をとるべきだった。おれが間違ってた。本当に済まない……」

 やはりまずは謝るべきだと思った。こんなことをしてもめぐの赤子が戻ってくるわけではないが、そうせずにはいられなかった。おれは続けて言う。

「死の淵をさまよっていたとき、愛菜が現れたんだ。そしておれを助けるために命を差し出してくれた……。愛菜はおれに『生きろ』と言った。だけど正直、分からないんだよ。おれの命が、新しい命より重いのかどうかが……」

「そう……。愛菜ちゃんが……。わたしのお腹の中の命が悠くんを救ったんだね……」
 ありがとうね。めぐは誰もいない自身のお腹を優しく撫でた。続いてその手が「こっちへおいで」と手招きする。翼に車椅子を押してもらいそばまで行くと、両腕でそっと抱かれた。

「やっぱり悠くんはあったかくなくちゃ。……生きててくれてありがとう」

「怒らないのか……? おれのせいでお腹の子が亡くなったかもしれないってのに」

「怒るわけないじゃん! ……悠くんの顔色がどんどん悪くなっていく様子を見て、このまま死んじゃうんじゃないかって本気で心配してたんだよ? どうか悠くんを助けて下さいって、ずっと神様に祈ってたんだから!

 ……だけど、わたしの願いを聞き届けてくれたのは神様じゃなくて愛菜ちゃんだったんだね。この腕で抱くことが叶わなかったのは残念だけど、そう思ったら愛菜ちゃんには感謝しないとね。悠くんに命を分けてくれてありがとうって」

「めぐ……」
 潤んだ瞳を見て、今回のことはやっぱりおれの自信過剰が招いた災厄だ、と後悔する。しかしめぐはさっぱりとした口調で言う。

「……実は、お医者さんに言われたんだ。赤ちゃんがいるんだから、これまでと同じように力仕事をしたり、寒いのを我慢したりしちゃいけないって……。それを聞いて、悠くんが自分の体力を過信していたように、わたしも若さを過信してたんだって反省したよね。何気なく重たい荷物を運んでいたし、夜更かししてたし、寒いのにオシャレ重視の格好してたし……。そういう配慮のなさが残念な結果に繋がったんだと思ったら自分が許せなくって、さっきまで落ち込んでた。悠くんの話を聞いてもまだショックを引きずってるけど、うん、少しは落ち着いてきたよ」

「そうか……」

「悠くん、これからも元気でいてよね? これは、愛菜ちゃんを含めたみんなの願いでもあるんだから」

 この命が自分ひとりのものではないことを知る。大した特技も稼ぎもないおれだけど、家族は、おれが生きてここにいる、それ自体に意味があることを改めて教えてくれた。

 めぐは今度は翼を手招きし、抱きしめた。

「……次は翼くんが倒れないようにね? 夕べは寝てないんでしょう? わたしたちのことは大丈夫だから、今夜は家に帰ってしっかり休みなよ?」

「そうするよ。正直、今にも寝れそうなくらい眠いんだ……」
 翼は言いながら大あくびをした。

「二人をいっぺんに失うんじゃないかと思ったら一睡もできなくて……。めぐちゃんと結婚するときにも言ったけど、俺には二人が必要なんだ……。

 人はいつか必ず死ぬ、それは充分理解してるつもり。だけど、日頃の行い一つで残りの人生が長くも短くもなるのだとしたら、身体の声には耳を傾けるべきだ。……見栄なんか張らなくていい。生きることに貪欲だっていいじゃん? みんなで細く長く生きていこうよ」

「生に貪欲なおれ、か……」

 最近はめっきり声を聞かなくなってしまったが、おれの中の一人は生きることへのこだわりが人一倍強い。一時は恨んだこともあるが、翼が同じようなことを考えていると知り、「あいつ」の発言も間違ってはいないのだと今更ながらに思う。

「……そうだな。おれほどしぶとく生き残ってきた人間もそう多くはいるまい。だったらこの先はいっそ、徹底的に長生きすることを考えてみるのも悪くないかもしれない。どうやらおれは、いるだけで有り難がられる人間らしいから」

「そうそう、悠斗はそれでいいんだ」

「……ありがとう、翼。ありがとう、めぐ」

「いやいや、こっちこそ生き延びてくれてサンキューな。……愛菜ちゃん、ありがとう。悠斗を生かしてくれて」
 翼が天井に向かって声を放った。

「愛菜の魂の存在を信じてなかったんじゃないのか……?」

「今回ばかりは信じざるを得ない……。俺の負けだ」

「目に見える世界がすべてじゃないんだよね……。わたしも彼らの姿は見えないけど、祈りはちゃんと届いたと思ってる。氏神様が翼くんを守護してくれるように、亡くなった人もわたしたちを見守ってくれている。そしていつでも助けてくれる。今はそう思えるんだ」

「うん、俺にもやっと分かってきたよ……。氏神様も、いつもありがとうございます……」
 翼は今度は神に祈った。

 換気のために開けられた窓からやさしい風が入り込む。真冬だというのにどこか暖かいその風に、おれは神を感じた。おれたちは見えない存在に見守られながら今日も生きている。

「ありがとうございます……。この命、大事にします……」
 胸の鼓動を味わいながらおれも神に祈った。


※ 今回のAIイラストは見出し画像のみです。
(本編にイラスト化できそうなシーンがありませんでした💦)

(続きはこちら(#8)から読めます)


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