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ルネサンスの再来!?無銭飽食の時代に考える、お金についてのあれこれ。

 ルネサンス期に流行った文学に、嘲笑文学というものがあります。

 世の中の道理というものを、ひたすら虚仮にするという内容なのですが、中でも、ヴィヨンという詩人が主人公の、無銭飽食というお話が面白い。

 これはですね、無銭飲食とはちょっと違いますよ?

 無銭飲食はただの犯罪ですし、大抵はお金に困ってやるものですよね。

 やられた方もたまったもんじゃないから、被害届を出すわけです。

 でも、このお話の中で、ヴィヨンという頭の切れる詩人は、あの手この手で仲間たちにご馳走を振るまうべく、いろんな店から口先八丁で高級食材を無料で手に入れて、豪華な食事を振るまうわけです。

 一文も使わずに。

 やっぱね、ルネサンス期の特徴としましては、食料生産技術の飛躍的向上により、当時の人口動態においては、もはや食料の為にあくせく働かなくてもよくなった時代なんですよ。

 これがね、文化の発展に重要な役割を果たしたわけです。

 その中でね、じゃあうまいご馳走は、本来高いお金を払って手に入れるからありがたみもあるのですが、もう、なんか、きっと余ってたんでしょうね。

 それまでの値段だと余っちゃうくらい高級食材とかもたくさん生産できてしまって、ある種、経済のバランスが崩れかけていたわけなんです。

 そこで現れたこの、ヴィヨンというスーパーヒーロー。

 太宰治も『ヴィヨンの妻』で崇め奉っていたこの詩人は、本来なら厳罰に処されてもおかしくない振る舞いをして、逆に英雄としてあがめられちゃったわけなんですね。

 大衆の人気が凄まじかった。

 まあ、ルネサンス期においては食料が重要なファクターを成していたわけなのですが、現代においては、食料より人々が追い求めているもの、それは娯楽ですよね?

 人はこれまで、主に昭和期ですが、娯楽というものに大変飢えておりました。

 国家の軍事戦略上においても、ハードパワーという軍事兵器による統治から、ソフトパワーという文化的な懐柔政策にシフトチェンジが起こった時代ですよね。

 もう核兵器とか危なすぎて、別の手段が必要だってなって、ハリウッド映画などの文化的ないわば侵略というか、植民地化みたいなことが起こったわけです。

 日本だと、テレビ局の果たした役割は大きいですよね。

 とにかくお金をかけて、ビッグコンテンツとして、大衆の関心を一手に惹きつけて、娯楽を提供してきた時代が昭和という時代です。

 今はどうでしょうか。

 もう、無銭飽食の時代に突入したんじゃないでしょうか。

 ネットです。

 ネットを見れば、大抵の映像コンテンツは無料で手に入るでしょう。

 アニメだって、海外の有志ニキが、もう放映直後から翻訳の字幕付きで、まあいわば違法アップロードなのかもしれませんが、バンバンネットに上げちゃってるわけですよ。

 これはね、本来あまりよくないことなんですけど、マーケットがやっぱり拾いきれてないというか、海外の需要というものに供給がマッチしていないから起こる現象なんですよね。

 今の国内のサブスク型のアニメ配信サイトって、英語字幕がついていないじゃないですか。

 英語学習者としては、アニメを見るにしても、できれば英語字幕付きで見たいなーっていう需要はあるんですよね。

 だから、公式で英語字幕とか付けるようにすれば、絶対マーケットが拡大してビジネスチャンスなのに、現状、海外の有志ニキによる、無報酬労働によって、GDPに換算されない方式で英語字幕が付けられている。

 ここに日本政府はもっと危機意識を持って、クールジャパン政策の名の下に、もっと国際的なマーケットでの国家高揚を掲げたアニメ、カルチャー、文化政策というものを打ち出していくべきなんですよね。

 そうやって外貨をバンバン獲得して、豊かな日本社会を取り戻せば、どっかの伯父が放火して小学生の甥っ子二人を殺害した事件みたいに、生活保護申請がもっと簡単に取得できれば起こらなかったかもしれない事件も未然に防げるわけなんですよね~。

 そこんとこ、ちょ~っと価値観が昭和のままなんじゃないかなぁ~って思っちゃいますけどね。

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