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この時期になるといつも思う

私の亡き父は、長崎県出身です。原子爆弾が落ちた時は島原に疎開していて、被爆を逃れました。でも、あの「きのこ雲」は見たそうです。実際、親戚には、被爆者手帳を持っている人がいると言っていました。

私の誕生日は、8月9日。長崎に原子爆弾が落ちた日です。予定日は15日だったそうで、終戦記念日の予定が、長崎原爆祈念日に生まれたわけです。父はこれを因縁だと思っていたそうです。

父はきのこ雲を見ただけではなく、アメリカ軍機に機銃掃射されたこともあると言っていました。思わず伏せた顔の10センチ横くらいを弾が走ったそうで、恐ろしさに腰が抜けて、しばらく立てなかったそうです。もしあと10センチずれていたらと思うと、想像しただけでも恐ろしいし、私も今この世にいないことになります。

埼玉県にある平和資料館に連れていってもらったことがあります。父は戦争の恐ろしさを伝えなければという思いがあったのだと思います。この資料館には、空襲を体験できる教室があるのですが、その中に入った時、父は具合が悪くなり外に出て行ってしまいました。戦争体験がトラウマになっていたようです。それほどまでに強烈な体験だったのだなと、その時にも思いました。

私自身はもちろん戦争体験はないですが、父を見ていて、戦争は本当に恐ろしく酷く悲しく辛く、そしてとてつもなく惨いものだと思います。二度と起こしてはならないと、心から思っています。平和であることに感謝しつつ、それがこれからもずっと続くことを願っています。

終戦後、父の家族は長崎市内には戻らずに、そのまま島原に住み続けました。なので、父の故郷というと島原で、小さい頃に何度か遊びに行きました。今はもう当時の家もないのですが、父がいなくなった今、私にとっての心の故郷にもなっています。ここ何回か、長崎、島原の写真をアップしましたが、また行きたいなといつも思っています。