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「変わる」ということ3

アパレルセレクトショップからおみやげ屋さんへ

今から8年前2016年にいろはや出島本店を出店しました。
今日はその時のことを話したいと思います。

長崎の出島の後ろ門から新地中華街に向かう途中にある「九州みやげいろはや出島本店」



当時本社がある島原市で2店舗、長崎バスがが運営しているショッピングセンター「みらい長崎ココウォーク」で1店舗アパレルの店を経営していて、それなりに順調に行っていました。

ただ、その足元で長崎が人口減少とともに少しずつ地域の消費力が弱まっていくのを肌で感じていました。またアパレル業態もインターネットにおされてて、地方のセレクトショップがどのようにして変容していくのか。まだ急激な変化は無いまでも、将来的な不安をぼんやりと考えていました。


「九州みやげ いろはや出島本店」オープン前日の比


ポートランドで自分と向か合う時間。 



そんな折にアメリカのポートランドに行く機会がありました。ポートランドは当時「全米で最も住みたい街」と言われおりました。NIKE,コロンビアなどアメリカのスポーツ、アウトドア企業がポートランドに本社を移すほど魅力的な街でした。

ポートランドで有名なホテル。エースホテルのロビーにて。

ポートランドは自然豊かで人々が素朴で地味。僕も行ってみて感じたところですが、ニューヨークやシカゴみたいにマッチョなアメリカではなく、どことなく日本的で穏やか。そしてどこにでもあるローカルの小さな街でした。しかしながらポートランドに住む人々は一様に地域愛に溢れ、人々が贅沢ではなくても豊かに暮らしている。そんな暮らしを目の当たりにしました。


刑務所をリノベーションしたフードコート。
ポートランドにはリノベーションが盛んで古いものを大切にする文化があります。


その中でpdxというショップのオーナーに話を聞く機会がありました。社長はポートランド愛にあふれるとてもかっこいい青年でした。PDXのセレクトショップの軸はずばり「ポートランド」。

ポートランドで作られた服。
ポートランドで描かれた絵。
ポートランドで作られたステレオ。
ポートランドでみんなが食べている加工食材。
ポートランドで煎られたコーヒー豆。
ポートランドで作られた家具。


廃高をリノベーションしてコワーキングスペースにリノベーション。
体育館や講堂なども当時の面影をそのままに有効活用されている。
この学校の卒業生がこの場所で起業する例も。


 
PDXには地元の方、観光客の方が途切れなくご来店され数々のセレクトされたアイテムを通じたお買い物。バイヤーとの会話、生産者がふるまうコーヒーなどを楽しんでおられました。
「自分たちはこの街を愛し、この土地を守るそのためにこの店をやってるんだよ。」
社長からそんなコメントをいただきました。
 
そのポートランドのPDXの社長の言葉をなんども反芻しながら飛行機で帰途につきました。

自分たちが今できることはなんだろう?
 


創業160年の歴史。
長崎県内にすべて事業所があること。
小売業であり、アパレルの販売のノウハウがあること。
季節感あふれる売場創り・・
自分たちの持っているリソースを考えながら今のいろはやに何ができるかをずっと考えていました。


ポートランドの朝ごはん。


「自分たちはこの街を愛し、この土地を守るそのためにこの店をやってるんだよ。」
なんども耳の奥でこだまするPDXの社長の言葉。自分の仕事に誇りを持ち、いきいきと躍動する表情。そしてお店という媒体を生かして地域が静かににつながっていく在り様。。。。
 

八女市での自分との会話。


 話は変わります。
ポートランドに行くちょっと前。八女市に市の街つくりの視察で行ってきました。そこのとあるお茶屋さんに行ったことです。


八女市のお茶屋さん

そこは創業300年と言う八女の中で最も古いお茶屋さん。存在感のある木目調の大きな看板の下をくぐると体全体が茶葉の香りに包まれて、なんとも気持ちの良い空間が広がっていました。
静かなんですが、気が溢れてるような空間。


昭和初期。資生堂の冊子にここの八女茶がとりあげられていました。


 
さぞかし売り上げも順調なことだろうと聞くと、
「実は中山さん、とても苦しいんです」
と言うような言葉が。

その理由は卸先である街のお茶屋さんが後継者不足でどんどん衰退し減少・廃業していき、なおかつ急須でお茶を飲むという文化がペットボトルに押されて、年々消費量が減少しているからだと言うことでした。

またそのような由緒ある生産者は大手量販店などに大量に作っておく事は生産の背景から難しい。

自分たちのやり方や伝統があるがためにいまのマーケットの実体に沿わなくなってきていました。


このままでは素晴らしい茶の文化も。
地域を代表するお店も。
長い歴史も途絶えていくのではないか。
そういう危機感を覚えました。



戦前に掲載された資生堂の冊子。


このような地域の生産者が生き生きと活躍できるようにするためにはまずはビジネスとして持続可能なものにしなければならない。そのためにも正規の値段で適量に流通し売上を確保する必要があります。


いろはやの置かれている現状。そして未来。


 
(株)いろはやが事業所を展開している地元長崎の市況はどうでしょうか。
人口減、そして社会減(高校卒業後、県外に就職し戻ってこない人口群)もありながらも長崎の魅力の一つ。それは観光だと思っていました。長崎のこれから増えていくであろうインバウンド需要。観光客の増加。そんな追い風も感じていました。


月に何隻もクルーズ船が訪れる長崎の松ヶ枝埠頭。


(株)いろはやは人口減少でも地域を守る存在でありたい。
そしてその礎となりたい。
 
自分たちが今まで培ってきたアパレルでの知見。
長崎の今後伸びるである大きな観光ビジネスとしての方向性。
そして何より後継者不足や生産者が困っている社会問題。

これを全て何かしら解決の導きができないものか。そういう思いでアパレルでのMD力や知見を活かしたお土産屋さんをつくろうと思い「九州みやげ いろはや出島本店」を2016年に長崎市出島町で立ち上げました。


現在のいろはや出島本店にある波佐見焼。
厳選された釜本さんを中心に物語(ストーリー)のある商品をセレクト。

仕入をする「意味」はあるか。

販売させていただく「意義」はあるか。


 
アパレルのセレクトショップバイヤーは自分たちがほんとにいいと思ったものをセレクトしてきます。そのセレクトショップバイヤーよろしく、社長である私がどんな現地でも赴き、探し、直接生産者と話をして、我々が取り扱う「意味」がそこにあるのか。そしてこれお客様に販売させていただく
「意義」はあるのか。

そんなことを喧々諤々。商品を一つ一つ仕入してきました。


九州みやげ いろはや出島本店


私たちが扱う商品で大切にしている事。
それは「そこに物語があるか」という事です。

歴史。地域への想い。土地への愛着。家族愛。つながり。
規模や価格ではない部分。大量生産ではない何か。
そんな心が揺れるものを今も探し続けています。
 

今ではいろはや出島本店とともに、長崎街道かもめ市場の中に「いろはや長崎駅店」もあります。2018年にはマレーシアのクアラルンプールの伊勢丹にPOPUP出店しました。まだ地域の商品が海外にいくのは稀な時代に海外で売れていく仕組みができたらどんなに生産者とその家族に喜んでもらえるだろう・・そんな夢を胸に出店しました。

未来へ想う。小売店の役割。老舗企業の役割。 


これからももっとたくさん仕入れて。たくさん売って。
そしてたくさん支払う。


そして生産者が元気になる社会を作っていきたい。そしてその生産者のご家族の方が「いつかお父さんお母さんみたいに後を継ぎたい!」そう思ってもらえるような世界に。農業。加工業。昔からあった地域での生産者としての仕事が夢のある産業になるように。そんな地域の文化を持続可能な産業にして残していきたい。
そんな社会を迎えに行きたいと思っています。


自分たちの知らない世界に挑戦する。そこに変革の種はある。


 
松下幸之助さんがこう言いました。
「伝統は革新の連続である」

変化をただ受け入れるのではなく、自らが変革を起こす。
そして自分たちが知らない世界にしか変革の種はないように思います。

最後に。

最後までお読みいただきありがとうございます。
子どもたちが「いつかお父さんお母さんみたいに後を継ぎたい!」
そういってくれる世の中へ。

私たちの挑戦にお付き合いいただける方はぜひご連絡ください。ともに未来を創ってまいりましょう。

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