東大に入った後の話 ~燃え尽きと諦観~
東大に入れば毎日が輝くと思っていた。
でもそれは幻想だった。入学時の賞賛の声はすぐに鳴り止み、今度はすぐに「いい就職先」を求められるようになってしまった。よく考えれば当然なのだが、大学に入った後も日常は続いていく。「ハレとケ」のハレの日はすぐに終わってしまうのだ。
東大に入っても日常が光り輝くとは限らない。友達が多く、やりたいこともあればまた別だろうが、入試で燃え尽きて友達作りも苦手な輩が大学を楽しめるわけはないのだ。
「勉強ができる」という唯一のアイデンティティも失った。周りはもちろん頭のいい東大生、それに燃え尽きた自分のわずかな努力では優秀な成績を取ることなど夢のまた夢だった。留年しないので精一杯、友達も大していない、もはや東大には何も期待すまい。
ならば就活で超一流企業に行けばいいのではないかという声が聞こえてきそうだが、それは(私の中では)あまり正しくない。というのも東大を受験するとき、東大を何かゴールのようなものだと捉えていた。学歴を掴めば何かが変わるだろうと、そう思っていた。実際には何も変わらなかった。周りのレベルが上がって、必然的に求められるレベルが上がっただけ。東大に通っているという誇りは、低迷する成績の前にあっけなく散った。結局、入試を突破するために努力した大変な日常の辛い後味だけが残り、ゴール地点には何もなかった。強いて言えば、マイナスだった自己肯定感がほんの少しマシになった程度である。(ただし、マイナスなのには変わりがない。)就活も同じで、一流企業に入ったところでまた一からのスタート、加えて同期との競争、厳しいノルマ、年収マウントが待ち構えている。私は体力が飛び抜けてあるわけでもない。結局長続きはしなさそうで、就活へのやる気が削がれるばかりである。ただ、両親への恩もあるので真剣に就活しようとは思う。
もはや、山奥の空き家で隠遁生活を送った方がよっぽどいいように感じられてくる今日この頃である。
2023年10月23日
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