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1年間のニート生活はイヤイヤ期であり反抗期であった

こんにちは。
はじめに申し上げておくと、この記事は、私の1年間のニート生活において「世界一周して人生観が変わった!」とか「猛勉強して資格を取った!」とか「起業した!」とか、そういう意識高い系の話ではありません。すいません。
1年間のニート生活のほとんどは、ひたすらダラダラ過ごしていました。
ラヴィットとヒルナンデスとミヤネ屋と2時間サスペンスの再放送を毎日繰り返し見て、たまに配達員の仕事とTVのエキストラの仕事をして、旅をして、それ以外は流行りのアニメをイッキ見するか、Youtubeをごろ寝しながら見る、という、口にするのも恥ずかしいほどに堕落した毎日を送っていました。
そんな1年でしたが、私にとっては必要だったし、とても意味のあるもので、貴重な気づき、学びなど、得られたことがあったので、この記事では、この1年間のニート生活の振り返るとともにそんなお話をできればと思っています。


ニートになった経緯 

ブラック企業に中途入社、半年で退職

以前記事にもしていますが、私は2021年にある企業に中途採用で入社しましたが、あまりに労働環境が合わず、半年ほどで退職しました。

退職ではなく休職という選択肢もあったのですが、「休職は逃げ」という謎のポリシーがあったのと「いち早く会社との縁を切りたい」と考え、潔く退職を決意しました。

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そもそも世の中のスピードについていけなくなっていた20代後半

私がニートになった最大の原因は、上記の「会社を辞め、無職になった」ですが、根本的に、20代後半を迎えた頃から、世の中のスピードについていけなくなっていたところがありました。
例えるなら、体育のマラソンの授業で、「みんなで一緒に走ろうね♪」って約束して、ずっとみんなと足並みそろえて仲良く走ってたのに、急にみんなに置いてかれて自分だけが周回遅れになる、みたいな。みんなが私を置いていったのか、私がスピードダウンしたのか。

20代後半にも差し掛かると、周りの友人たちは昇格してキャリアアップしたり、結婚して出産したり、何かしらの領域で着実に成長して人生を歩んでいっているなかで、独身の私はなんとなく仕事だけをして毎日をぼんやりと過ごしている‥。
まあそれでも、はたから見たら至極真っ当に生きているようには見えていたと思うのですが、ちょうどその頃コロナ渦になり、人と会ったり外出する機会が減ったことにより、非常に内省的な思考パターンになり、「一体自分の人生って‥」「自分とは‥」「生きるとは‥」ということをひとりで悶々と考えるようになり、自己肯定感が大暴落していました。
自分と周りの友達を比較して落ち込んで、なんだか自分だけ人生遅れてる気がしてしまう、苦しい毎日を過ごしていました。私はコロナ渦のステイホーム期間で、過剰に自分と向き合い過ぎた結果、自分だけすごく遅れて劣っていると感じてしまったのです。

そしてついにイヤイヤ期へ突入

コロナ渦によって変わったのは、「内省的な性格になったこと」だけではありませんでした。外出できず家に引きこもるということは、私にとっては自分の殻に閉じこもるということで、それはつまり自分にとってイヤなもの、ストレスから徹底的に逃げる、ということでした。
在宅勤務によって大嫌いな通勤電車に乗らなくても済むなり、緊急事態宣言によって人付き合いの機会も減りました。もともと出不精で人間が苦手な私が、今までは無理やりにでも耐えていたあらゆるイヤなこと=ストレスから離れた生活を1年ほど送った結果、私のストレス耐性はめでたく0になりました。

そんなストレス耐性0状態でのブラック企業勤務は、本当にストレスフルです。火傷して一層皮がめくれた状態の肌に、塩を塗りこむようなものでした(?)。
自分でも時期尚早とは思いましたが、耐え抜きたい気持ちもありましたが、心身に支障をきたしていたため、「なにこの会社ー!イヤイヤー!」という感じで、半年という光の速さで退職を決意しました。

1年のニート期間の過ごし方

冒頭でも書いた通り、基本的には一日中テレビかアニメかYouTubeを見てダラダラ過ごしていました。ラヴィットとヒルナンデスはほぼ毎日観てました。昔のサスペンスドラマの再放送なども毎日欠かさず見ていました。流行りのアニメもイッキ見しまくって、流行りについていけるようになりました。ええ、つまり誇れるような活動はなにもしていないということです(キリッ)。
ストレス耐性0、そしてイヤイヤが最高潮に達していた私は「この際、イヤイヤ期を極めてやろう、そしてその先には何が待っているのだろうか」と考えました。

イヤイヤ初期=ひたすら引きこもる

ニートになりたての頃は、イヤなものをひたすら避け、ひたすらのんびりゴロゴロし、たまに人に会う、のルーティンを繰り返していました。そもそも心身が限界の状態で退職したので、とにかくストレスを避け、ひたすらのんびり過ごすことを私の心身が自然に求めていたのかもしれません。

イヤイヤ中期=ちょっと社会復帰

ひたすらのんびりすることにより、徐々に英気が養われ始め、単発でのアルバイトや趣味の旅行をするなど、ちょっとアクティブになり始めました。
ちょっとアクティブになった一番のキッカケは、3か月間の職業訓練への通学でした。平日の9時~16時、毎日学校に通い、見知らぬ人たちと一緒に授業を受けるという行動は、しばらく人と接していなかった私にとって、社会復帰の足掛かりになりました。

※職業訓練の記事↓

イヤイヤ後期=また引きこもる

職業訓練は就職準備のための訓練ですので、当然訓練に通いながら就職活動を行うのが一般的な流れなのですが、私はなんだかその3か月間の職業訓練ですら途中で疲れてしまって、なんとか修了した、という感じでした。
なので、疲れた私はなんと、また引きこもり生活に戻ってしまいました。「やっぱりどう考えても就職したくない、はたらきたくねえ‥」「また間違えてブラック企業に入っちまったらどうしよう‥」「なんかフリーランスとかで生きていきたいなあ‥」「自分の人生、どうなることやら‥。孤独死不可避‥」と毎日あらゆる不安が浮かんでは消え、めちゃくちゃ憂うつな毎日を送っていました。

イヤイヤ期から反抗期へ進化!

イヤイヤ期は、とにかく自分のイヤだと思うもの、苦手なことやもの、あらゆるストレスに対してイヤ!と反射的に拒否反応を示し、引きこもる、という感じだったのですが、やがて私はハッキリと「イヤ!」という主張をし、むしろその「イヤ!」を言動として意図的にやるようになっていきました。そう、反抗期です。

私は誰かに自分の意見を言うのがとっても苦手なのですが、この反抗期では敢えて意見してみたり、反発してみたりするようになりました。例えば誘われた飲み会でも、行きたくないものは「乗り気じゃないので行かないです」と言って断ってみたり。
人によっては、別に大したことではないのでは?と思われるかもしれないのですが、今まで世の中や周りの人たちの顔色を気にして、「いかに人に嫌われないか」を大事にしてきた私にとっては、とても勇気のいる言動であり、大きな一歩だったと思っています。
そしてこれは、今まで世の中や周りの人にものすごく従順でいわゆる優等生な人生を送ってきた過去の自分への反抗だったとも言えます。仕事も辞めて無職になって、もう捨てるものが何も無い。「ええい、もうどうでもいい!なんにでもなれ!」という気持ちでした。

思えば私のこれまでの人生には「反抗期」というものが存在しなかったと記憶しています。ちょうどその年頃は、めちゃめちゃ真面目に勉強と部活に励み、親と先生の言うこともきちんと守る、優等生でしたから。30歳にして初めての反抗期でした。

イヤイヤ期、そして反抗期を極めた先にあったもの

①ちゃんと反抗できたという達成感

私はこれまで、常に「~しないといけない」という意識にとらわれて生きてきました。「ちゃんと勉強しないといけない」「ひとに嫌われてはいけない」「ちゃんと仕事しないといけない」など。
そんな私の人生に反抗期は存在しなかったのですから、「1年間ニート」というのは私がこれまで描いていた人生、というより「私の親や友人が思い描く理想の私像」から大きく逸脱した姿であり、それを実行に移すことで周りに反抗するということ、つまりありのままの自分の姿=ニートでどうしようもない自分の姿を解放できた、認めてもらえた、という達成感を得ることができました。
自分のなかに長年存在していた重苦しい殻を打破できたような、そんな感覚を覚えています。

②「働かねばならぬ」という気づき

ニートになった当初は、ニート生活を続けていたら、廃人もしくは山奥の仙人みたいに、良くも悪くも悟りの境地に到達すると考えていたのです。たしかに、自分とひたすら向き合って自問を繰り返し、自分について、人生について、人間について、すこし哲学的な思考に陥ったりしていたので、悟り的ななにかに近づいた瞬間は何度かあり、自分や世の中に対するたくさんの気づきも得ました。
それでも、この情報化社会に生きている限り、常に何かしらの情報に触れて、その度に心を動かされてしまうのです。家に引きこもりっぱなしだったとしても、ぼーっとテレビやYouTubeを見て何かの情報を得たり、「完全に自分の世界の中で生きる」みたいなことは、山奥にこもりってインターネット環境を断ち切らない限り不可能だということに気づきました。最近よく言われる「デジタルデトックス」も試みましたが、普通に不便過ぎて、1時間くらいで終了しました。(いつかリベンジしたい)

情報だけではなく、自給自足生活でもしない限り、人間社会から断絶することは不可能であることにも気づきました。食べ物を求めてスーパーやコンビニへ出かけたり、生きるためには誰かと支え合わなければならないのです。そしてとにかく生きるのには金がかかるのです‥。残念ながら呼吸しているだけで金がかかるのです…。

そうして私は「働かねばならぬ」という結論にたどり着きました。
「なにを当たり前のことをドヤ顔で言うとんねん」と思われたと思います。私もそう思います。
でも、これこそが最大の悟りであり気づきであるとも言えます。衣食住でも情報でも人脈でも、誰かと支え合い、与えられ、そして自分が与えなければ、死んでしまう。当たり前のことではありますし、なんとなく理解はしていたのですが、気づきというよりも「観念した」という感じです。

と、偉そうに言ってますが、繰り返しになりますが、この1年間のほとんどは、生産的なことは何一つしていないです。多分日本人の誰よりもYouTube見ていたんじゃないかと。
世間的に見ればただのクズなのですが、保守的な自分としてはかなり足掻いた(=イヤイヤ期を突き詰めた)結果が「働かねばならぬ」の気づきなので、もうやりつくした、って感じで悔い無くすっきりした状態で社会復帰できそうです。

意を決していざ就活

就活開始したきかっけとなった私の友人

そんな社会不適合者な私ですが、「就活しなきゃ!」と心を動かされる出来事があり、それがきっかけで就活を始動しました。
そのきっかけとは、学生時代の友人と久しぶりの再会でした。彼女は数年前に結婚して出産し、しばらく産休に入っていたのですが、復職後まだ1歳にも満たない子どもがいるにもかかわらず、なんとフルタイムで働いているというのです。もちろん正社員として。
聞けば、朝6時に起きて離乳食の準備をして保育園へ子どもを送り届け、その後フレックス制度を利用して8時から勤務、16時に退勤して子どもを迎えに行く・・・という生活を送っているようです。

「毎日好きな時間に起きて食べて寝て、一日中ぐうたらと過ごし、自分自身をマネジメントするのでさえも精いっぱいな私と比べて、彼女といったら‥なんということでしょう‥!」
以前の私であれば、そういう周りの友人たちの人生の歩みのスピードについて行けず、あっぷあっぷしていたのですが、とにかくその話を聞いたときに受けた衝撃がすごすぎて、「私、このままじゃダメじゃん!頑張らなアカン‥!」と思い、この衝撃が大きな起爆剤となり、就職活動を開始しました。
これまで散々、「ストレスを排除する」「~しなきゃ思考をやめる」とは言ったものの、やはり人間社会で生きていく上では、そういった多少のストレスが無いと、私は一生行動しない人間である、ということにも同時に気づきました。

転職活動状況について

転職活動開始、つまり1年間のニート生活への別れを決意した私は、手始めに1個の転職エージェントに登録したわけですが、まず書類が全く通らない。
20代の頃に2度、転職活動をしていますが、その頃の引く手あまただった転職活動とは打って変わって、書類で落ちまくる。一歩目でつまずいてしまう。
原因は、短期離職と1年間のニート期間と考えています。就活開始当初、エージェントにも、この2点でかなり厳しい戦況になると言われていたものの、こんな悲惨な状態になるとは思ってもみなかったです。語ると長くなるので、また別の機会に記事にしたいと思いますが、状況を超ざっくりまとめると以下の通りです。

この1年を振り返って

やり残したこと

長々と語りましたが、残念ながらやり残したことは実は結構あります。海外旅行行きたかったなとか、もっとたくさん旅して旅系YouTuberデビューしたかったなとか、なにか勉強に打ち込めばよかったなとか。
ただ、1年間自分がしてきたこと、ゴロゴロでもぼーっとすることでも、それはその時の自分が自然に求めていたことに違いない、と思うのです。言い訳じみていますが、その時の自分は体が自然とゴロゴロ過ごすことを求めていたのかもしれないし、なによりも「何もしない」ということが私にとっての精一杯の反抗だったのです。
自分の中での大きな気づき、そしてそれは1年間のニート生活が無ければ一生得られなかった貴重な気づきであると、自信を持って言えるので、後悔は無いです。

さいごに

ちょっと未練がましいですが、「再就職」という、結局落ち着くべきところに落ち着いてしまって、私は未だに、世間体とか社会性とか見栄とかそういう表面的で空虚で大きなものや、将来の不安にとらわれていて、結局そこに回帰するのか、という思いもあります。
そう思うと自分はダサいなと思う反面、やはり定職に就けて、無駄に世間体を気にする必要が無くなって、ほっと安心している自分もいます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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