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この夏も、広がっていく平和を祈る

今日、8月9日、長崎への原爆投下から77年が経ちました。
8月6日は広島に、
8月8日には、北九州市八幡での大空襲がありました。

『8.8』は、八幡でより一層の平和を祈る日です。
昨夜、八文字焼が灯されました。

京都の大文字焼きの「大」
小倉の小文字焼きの「小」などもありますが、
八幡に灯される「八」は、八幡の八ではなく、8月8日の八です。

世界で唯一の原爆投下された日本で、ヒロシマ・ナガサキの間に、八幡で大空襲がありました。
ナガサキの本来の標的は小倉だったと聞いたことがあります。
小倉はこの日、雲がかかっていて標的を変更したとの話も聞いたことがあります。
前の日の8月8日に、八幡が焼け野原になっていました。その煙が小倉の空を隠したのでしょう。

当時、ぼくの祖母は、小倉の女学校で爆弾をつくっていたそうです。
『8.8八幡大空襲』がなければ、ぼくは生まれてこなかったかもしれません。

歴史の1ページのことが、自分の命と繋がっています。


今年は参加することができませんでしたが、
毎年、8.8に八幡で、市民手作りの慰霊祭・平和音楽祭が開催されています。

空襲からの避難で逃げ込んだ防空壕の中で、多くの人が蒸し焼きになり亡くなったこの場所です。

多くの人の命を落とした戦争は、この場所にありました。

今年も夏がきました。
ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下。
その両日に挟まれて、八幡大空襲。

末広がりに広がっていく平和への祈りを
八の字に込めて灯されています。


土曜日から甲子園が始まりました。
季節感なのか、甲子園と戦争と平和っていうのは、ぼくのなかで感覚的に繋がっています。

『戦後』と言って良いのか、『戦中』とも言える世界情勢です。
77年が経ちました。
そのとき生まれた方は、喜寿を迎えます。

祈りを実現にしていくために、ぼくたちには何ができるのでしょうか。

過去に学ぶことも大切でしょう。
これからをつくっていくことも大切でしょう。

絶対的に保たねばならぬ、平和の礎を、確実に保っていくためにはどうしたら良いのでしょうか。

今年の夏は、平和への願いがいつもとは違うように感じます。
世界に目を向ければ、大国が戦争をしています。

核を保持していることを盾に、武器にしています。

核には核をとの議論もされています。
共同保有という議論もあります。
非核三原則も脅かされつつあります。

ピストルの銃口を向けられたなら、こちらから銃口を突き付け、
お互いに降ろせと、撃つぞと威嚇し合う。
そんな世界で良いのでしょうか?

やられたらやり返すぞ。
先制攻撃をするのはルール違反だぞ。
そんな約束をします。
殺される、殺してやるの意識・感覚の中で、そんな約束がまかり通るのでしょうか。
現実は今のニュースを見ても明らかです。


ケンカになります。
口喧嘩で済まないようであれば手がでます。
素手で殴り合わずに武器を持ち出します。
圧倒するためにとてつもない武器を出してきます。
でもその武器は、周りにも影響が出ます。

もうケンカはやめよう。
武器自慢するのはやめよう。
どちらも良いことない。

もし、以後の世界の平和が実現するのなら、ぼくの命ぐらいなら丸腰で殺されても良いような気すらします。

狭い地球の中でいがみ合わずに、肩を組んで向きあっていかねばならない敵がいます。

環境対策。
食料対策。
感染危機。


新聞の記事にこんなことが書いていて、とても心に響いています。

日本人として、世界の人と話すとき、
『世界大戦や敗戦について、日本人としてどう捉えているのか?』と問われるということです。

生まれ育った時代からして、
戦禍を生き抜いた当事者ではないことは分かっていても、
世界から見られた日本人は、当事者なんだそうです。

この記事を見たときに、ぼくはハッとしました。
『当事者でありたい』って今までも発信してきました。

世界から、ジャパニーズの一人として、ぼくに問われたときに、その想いや考えを堂々と即答できるでしょうか。
自分を恥ずかしく思いました。


政治的な判断に左右される事柄なのかもしれませんが、
ひとりひとりが考え、発信し、行動し、
絶対的な平和を維持しなければならないと思います。


ぼくが子どもの頃は、夏休みの間に『登校日』がありました。
久々に会う友達も多くいて、夏休みの間の近況報告に華を咲かせます。
この日に決まって実施されるのが、戦争学習です。

会社をやっている実家の事務所には、『戦後50年』という記念誌がありました。よく覚えています。

いまは、77年経ちました。
どう記憶を継承していくのでしょう。
どう悔しさや悲しさをリアルに感じることができるでしょう。

伝えていくしかないのです。
実現していくしかないのです。

歴史は繰り返すと言います。
決して繰り返してはならぬ歴史です。


夏休み、
甲子園、
登校日、

脳裏に流れてくる歌があります。
歌詞はおぼろげですが、書いてみます。

青い空は青いままで
子どもらに伝えたい
燃える8月の朝
影まで燃え尽きた
父の、母の、きょうだいたちの
命の重みを
肩に背負って
胸にいだいて

題名も作者も分かりません、
いつも歌うわけではありませんが、いまだに歌えます。


親になって、一層思います。

青い空は青いままで、子ども達に伝えていきたいです。


今日もご覧いただきありがとうございます。
政治的発言はするつもりはありませんでしたので、そう受け取れる表現があったとしたら、ご容赦ください。
また、添付した写真は、Facebook、Twitter、インスタからいただいたものばかりです。ありがとうございます。

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