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頻脈とゴッホの絵

ソファで本を読んでいると、いつものようにApple Watchの「呼吸」アプリが起動した。計測すると脈拍が100近くになっていた。通常は70〜80台なので、念のためもう一度計ったが結果は同じだった。この時は、気になることがあって、どうしても胸のざわつきを押さえることができなかった。おそらくそれが原因だったのだろう。

私は過去に頻脈を経験しているので少しいやな感じがした。頻脈の場合、平静になろうとするとかえって不安が増して落ち着かなくなる。頻脈はコントロールが難しいというより、おさまるのを待つしかないようだ。

今回は脈拍がおさまる過程で面白いことに気がついた。読んでいた本をしまい、ゴッホの画集を何も考えずにしばらく見ていた。パラパラとページをめくりながら絵を見ているだけだった。30分ほどして、脈拍を計測すると70台に落ち着いていた。

ゴッホの絵が脈拍の安定にどう関係しているのかよくわからない。単に時間が経過して脈拍が安定したのかと思ったが、絵を見ているうちに気持ちが徐々に落ち着いていくという感覚は間違いなくあった。私の精神が、ゴッホの絵と相性が良かったのだろうか?

ゴッホの絵と私の脈拍の関連を考えるヒントが、次の引用の中にありそうだ。

私の実感から言えば、ゴッホの絵は、絵というよりも、精神と感じられます。
ルノアールの平静の完璧な作品は、後の人々に、何一つ目立った影響を与えなかった。影響されようにも、その手がかりがなかったが、ゴッホの絵は、非常な影響力を持った。影響を受ける手掛かりが多すぎたのだ。
彼の傑作はみなこの「目のくらむような」視点の表現であった。

以上、『ゴッホの手紙』小林秀雄(角川文庫)より。

この3つの引用から、ゴッホが自分の病気と向き合い、ギリギリのところで持ちこたえながら、絵の中に自分の生を描き込んでいたことがうかがわれる。その描き込んだものは何か強烈なもののように想像されるが、私のようなごく平凡な人間には程よいヒーリングパワーになるよう昇華されているいるのではないかと考えるようになった。

このことは私の勝手な思い込みかもしれないが、ゴッホの絵によって私の脈拍が安定したという事実は残る。


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