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お助けマン

「お助けマン」は私のインナーチャイルド。
私がそう名付けた。

大ボスではなく中ボスくらい。

困っている人の力になろうとする。
人を助け、喜んでもらう、感動を与える。
そうする事で自分自身が満足感を得たい。

さぞや、健全に聞こえるではないか。
実際、人に誇れる健全な動機だと思っていた。

でも、本当に得たいのは「承認」と「愛情」。
底にある不安と恐怖から目を背けたいがゆえの動機。
無意識のね。

仕事で誰もなし得なかった実績を幾つも残せた。
でも、失ったものの方が大きい。
強烈なドライブ感の後に現れる消耗と疲弊、
人間関係のひびや軋轢、
不安定な精神、綻びやすい体調。
繰り返す転職、人間関係のリセット、収入の減少、スキルの分散、一貫性のないキャリア。
信頼。
離婚や別れ。

傷を負ってまで残した実績を誇れるのだろうか。
孤独に戻され続けるような実績には価値があるのか。
そんな思いにだんだんと苛まれるようになった。

功罪併せ持つそういう生き方、辛くなってきた。
幸せなんかではない。
辛く、孤独で苦しいばかり。

仕事で大きな実績を残して、
誰かが幸せになったのだろうか。

いっその事、
輝かしい実績もなく
同じ会社でずっと働いている人の方が立派に見えて、
幸せに生きているように見えてきた。
実際、そうに違いない。
そんな人になりたいとさえ思うようになる。

でも、カウンセリングを通して、
真の原因とメカニズムが分かってきた。

幼少期、暴力を受ける母親を助けたかった。
でも、母に連れられた宗教の影響もあるのか、
素直に気持ちを言えた記憶があまりない。
父への恐怖、宗教の教えへの恐怖。
ダブルだったんだろう。

そんな中で助けたかったんだろう。
特に母を。

そして、その場の環境に適応するために
「お助けマン」がこの時に生まれたのかもしれない。
心の防衛反応、らしい。

結果、助けられなかったのだけど…。

大人になり、
自分の本音とは裏腹に、お助けマンが働く。
埋まることのない寂寥感を埋めようと、
愛情の飢えを満たそうと、
懸命に仕事に取り組んだ。
実績は残せはしたものの…。

お助けマン、
君だったんだね。
働いていたのは…。

今、そんな感じ。

困っている人を見ると放っておけない。
特に、直接相談されなんかすると、なんとかしてあげたいと衝動的に何かに突き動かされる。湧き出る集中力(周りの人が声をかけられないほどのオーラが出ていたらしい)、時間を忘れるほどの強大なモチベーション、思考力が冴え、アイデアが湧いてくる。

でも、助けようとする過程で、
他の人を次々と傷つけてしまう。
成果を出すために、
己にも他の人にも厳しい要求を過度な要求をし続けた。
そうしか行動できなかった。
振り返ったら、いろんな人を犠牲にしてしまった。
自分自身も傷ついていた。

なんという皮肉。

でも、もう分かってきた。

お助けマンはもう1人の自分。

お助けマンは、
不安や孤独を感じることから逃れたいがために
懸命に働き続けてくれた。

そんなお助けマンを慰めて労わってあげたい。