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#396 「ゆとり」を大切にする教育を

 私の世代は、いわゆる「ゆとり第一世代」に当たります。小学校5年生から週休2日制度が始まり、学習指導要領が大幅に変更になりました。当時は、そこまで「ゆとり」を感じなかったわけですが、今この年になって、上の世代の人から「ゆとり」世代と言われることも多くあります。

 「ゆとり」という言葉を広辞苑で引くと、「余裕のあること。窮屈でないこと。」という意味が出てきます。

「ゆとり教育」と聞くと、私より年配の世代は「甘やかされた世代」とネガティヴな印象を受けつかもしれませんが、そもそも人は「ゆとり」を求めているような気がします。

 コロナ禍をへて、働き方に今まで以上に多様な選択肢が出てきた時代、週5日以上、一日9時間以上の労働が、果たして本質的に必要なのかさえ疑問を呈してきています。

 今教育界では働き方改革が叫ばれていますが、それは教育業界だけの問題ではない。自分の人生によって仕事はあくまで一部にすぎず、昼夜を問わず寝る間を惜しんで(強制的に)働くことが美徳とされる日本的価値観では、逆に人の心の「ゆとり」を奪い、結果として想像力・創造力・生産力を低下させているように思います。

 『ビートたけしが“ゆとり”を失った社会へ直言「効率を追い求めて、道を踏み外す若者たちが心配だ」』という記事を見つけました。

 ビートたけし氏は、あらゆるものが「便利」で「効率」になった結果、逆に人はこころの余裕を無くしていると記事の中で語っています。

 オイラが感じるのは、最近のニッポン人には「ゆとり」がないということだ。
 それはやっぱり「スマホ」の影響が大きいだろう。あらゆる情報がいつでも見られて便利になったけど、“弊害”もある。スマホの「通信障害」で大パニックになったことがあったよな。あの騒動で「つながって当たり前」という世界がいかに脆いモノかが炙りだされた。国民全員からスマホを1日取りあげたらどうなっちまうんだろう。
 昔はそんなものがなくても街をテキトーに歩きながら店を見つけたし、ちょっと寄り道をすることで新たな発見をすることもあった。そういう“ムダ”がなくなっている。

 スマホの功罪について私はここではあまり言及しません。しかし、結局は私たち自身の心の問題。人は今の時代だからこそ「心のゆとり」を求めているのです。


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