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#383 教える側と教えられる側の垣根を越えることの大切さ

 学校教育の意義は、長い人生における多種多様な学びを支えるためにあると言えます。教科・科目の学びは、その分野の知識・技能・思考を深めることもそうですが、学ぶ過程を経験を通じて、他の分野における学びを進めることができるようになる観点も必要だと言える。つまり、学校を卒業しても、学び続けられる自立的学習者になる支援をすることが、その本質にあると言えるでしょう。

 株式会社学情(本社:東京都千代田区)が、2025年3月卒業(修了)予定の大学生・大学院生を対象に行ったインターネットアンケートでは、就職活動において、企業の研修・教育制度を「重視する」と回答した学生が9割を超えたという記事を見つけました。

 記事の中では、研修制度に対する関心が高いよう。未知の業界に対する新たな学びを進める上で、各企業の学習支援に対する需要は高いようです。

 前提として、私はいかなる企業においても充実した研修制度は必要だと考えています。企業にとって社員は一番の資源であり、彼らの業務に対する様々なスキル磨く土壌が社内にあれば、それだけ生産力を高めることができる。社員はそんなシステムの中で切磋琢磨し、より専門的な知識を学ぶことで、その会社に対する愛着も沸くでしょう。

 一方で、これだけ研修制度を求める就活生がいる結果は、日本の学校教育が「自立的学習者を育てる」という観点を軽視していることを表しているのではないかと思う。小〜高の12年間、ある意味では教科・科目を学び続けてきた彼らが、これだけ企業の研修システムを求めるのは、「誰かに教えてもらう」ことが当たり前の感覚が染み付いていることを表している。

 教員は「教える人」、児童・生徒は「教えてもらう人」という感覚は広く浸透しています。教員の仕事が「与えること」と同義となり、ある意味過保護状態。児童・生徒は「与えてくれて当たり前」で自ら動こうとしない。それでは決して自立的学習者にはなれない。与えない価値を考える必要があるのだと思います。


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