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#255 GIGAスクール構想は教員に彼らのフィロソフィーを問う

 昭和末期に誕生した私が小学校低学年の時に初めてのパソコン教室に興奮してから約30年。
 ニンテンドー64やプレイステーション2の3Dゲームの衝撃、ガラケーで好きな相手とメールをするドキドキ、クラスで初めてipodを購入した友人の先見の明。急速な技術革新の進化と共に私たちの世代は人生を過ごして来ました。

 時は令和という時代を迎え、教員として働き始めた私の前に、以前までは娯楽としての技術が仕事を助けるツールとして身近なものとなります。特にコロナ禍をさかいに、今まで注目されてこなかった技術に日の目が当たる。zoom、google education、Edtechに代表されるITCは、今では学校教育の「当たり前」と捉えられ、「GIGAスクール構想」という名の下、日本の学校教育を支えるための様々なサービスが誕生しています。

 ICT教育ニュースでは連日新しい技術が紹介され、自分自身のアップデートに苦労することも多々。

最近注目を浴びているのは『ロイロ・ノート』

 資料のやりとり・思考の可視化・意見の共有を直感的に行えるサービスで、2023年7月には、導入校12,000校・1日の利用者数230万人を突破したと言われています。

 一方でGIGAスクール構想を実現することが、教育の「目的」になってはいけないこともまた事実。先日、以前の職場の先輩教員と飲む機会があり、最近入ってきた若手の先生が「定期試験」の自動採点の導入を訴えてきたそう。自動採点を行うには、複雑な記述などを削除しなければならないので、どうしても問題形式が単調になる。先輩によれば、色々話を詰めていった結果、若手の先生が自身の楽を優先したいことが目に見えたとのことでした。

 全ての技術には良い点・悪い点が存在し、結局はその使い方次第というのは、当たり前の話。以前生成AIの誕生によって、いわゆる「無駄」な部分が削られることで、より本質的な「学び」に焦点が当たるのではないかという記事を書きました。

 技術の発展は、私たちが「できたらいいな」という理想を体現していくれる非常に便利なツールです。だからこそ、その本質には教育における理想や哲学が存在しなければならないのだと。児童・生徒の学びにとって意義があるかどうかという観点から、様々な技術を使うことが大切です。


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