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#412 善意だけに任せない大切さ

 以前、教育は資本であるというコラムを書きました。

 よりよい教育を求めて生まれたサービスは、その価値のもとに利益を生み出す。現在、民間企業が生み出した教育コンテンツは多く存在しますが、それらは、誰かの学びを支えるという社会的意義と、民間企業自体の利潤を生み出すというウィンウィンの関係にあると言えます。

 一方、資本主義経済の中で暮らす私たちは、各家庭の経済的格差によって、受けられるサービスの「質」が変わる。教育サービスもまた、その質が高くなり需要が上がれば、それだけ価格も高騰し、結果として教育格差が生まれるのです。

 この問題を解決する手段は大きく分けて2つあると個人的には考えています。1つは、資本力の高い大企業(例えばToyotaやSonyなど)が、社会貢献活動の一環として低価格で質の高い教育サービスを提供すること。2つ目は、公教育の質の底上げです。

 『笑い飯・哲夫「金持ちしか賢くならへんやん」の真意、子どもたち全体の学力を底上げする投資の「格安塾経営」を10年目で公言』という記事を見つけました。

 哲夫さんは漫才コンビ・笑い飯として活躍すると同時に、小・中学生向けの補習塾「寺子屋こやや」を運営する教育起業家。経済的に裕福ではない子どもたちの将来を案じ、2014年から塾の活動を始めています。

「高すぎると思いました。金持ちしか賢くならへんやんけと。一部の人間だけが賢くなる『置いてきぼり教育』は嫌やなと思ったんです」

と哲夫氏は語っています。

 彼の教育観は個人的に思うことはありますが、教育をなんとかしたいという根源的な気持ちは私も同じ。哲夫さんの活動は、教育格差是正に対して私が提案した前者に当たると考えています。

 しかし、善意「だけ」に任せていいのか。それは結局教育システムの依存状態を作りだし、その根本的解決にはならないと感じる。私が今活動している「次世代の教員養成」は、公教育活動を充実させるためにあります。

 教育分野に関わらず、資本主義経済の中で生きる私たちは、その経済力によって、多くの「格差」が生まれていきます。しかしこと教育格差が問題提起されるのは、皆がやはり教育が大切であるという認識があるから。教育は私たちが幸せに生きていく「土台」として機能し、質の高い教育を担保することは、国民のより多くの幸せを担保することと同義であると言えるのです。主義・主張は多少違ったとしても、今の教育に対する憂慮をもち行動を起こしている哲夫氏を見習い、私も頑張りたいと思っています。


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