マガジンのカバー画像

慶応大文学部日本史答案例

18
運営しているクリエイター

記事一覧

2024年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問10
設問要求…空欄Aの法名が家名として選ばれた理由として考えられること
   条件…史料イ~ハを踏まえる
     …80字

史料ハの活かし方が難しい受験生が多かったのではないだろうか。史料イも知識がない受験生には厳しかった印象。私文受験生はともかく、国公立と併願の受験生には難易度が高い。

答案例
 北条時政が将軍の廃位を狙って失敗し失脚したのに対し、北条義時は承久の乱を勝利に導いて

もっとみる

2023年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問10
設問要求…義政の政治姿勢と応仁の乱勃発との関連性
   条件…史料イ~へを踏まえる
     …80字

知識で書かず、史料の大意を捉えたうえで、答案を作ることが求められている。

答案例
 義政は義満・義教にならい将軍権力を強化するため、有力守護家の家督争いに介入して勢力削減を狙ったが、その争いが有力守護同士の権力争いと結びつき、乱勃発に繋がった。(80字)

大問Ⅴ問9
 設問要

もっとみる

2022年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問10
 設問要求…史料ホの内容と関わる時期における政治形態と経済的基盤を
      説明する
   条件…100字

院政の政治形態と経済的基盤を説明すればよい。清水書院『日本史B』P52を参考に作問したのではないかと思われる。あくまで太政官に院の影響が強く及んだのであり、院庁が政治の中心ではないので、注意したい。

答案例
 院政では、皇位継承の決定権を持つ天皇家家長が専制的な権力を持

もっとみる

2021年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問6
 遣唐使やそれに随行した留学生がもたらした唐の知識・文物が日本の政治機構の整備に大きく貢献した。また、官人の教養として漢詩文が重視される中、漢字文化の習熟が進み、このことが国風文化誕生の前提となった。(99字)

太字は指定語句

大問Ⅴ問8
 当時の江戸幕府は財政難に陥っていた。幕府の長崎貿易では金銀が流出したうえ、国内の銅不足により、銅貿易も行き詰まっていた。そのため、幕府は中国や

もっとみる

2020年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問7
答案例
 主な政務は太政官で公卿によって審議され、天皇もしくは摂政の決裁を経て、文書で政策が命令・伝達された。外交や財政などの国政に関する重要事項は陣定で、公卿各自の意見が求められ、天皇の決裁の参考にされた。(99字)

太字は指定語句

大問Ⅴ問8
答案例
 昭和恐慌の影響で兼業の機会が少なくなったうえ、都市の失業者が帰農したことに加え、1930年は豊作のため、米価がこれまで以上に下

もっとみる

2019年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問10
答案例
 荘園制成立に伴い、年貢の積出港が各地に設定され、その後、港町・海運網が発展した。また、代銭納が普及すると、為替による送金が行われるとともに、換金された年貢米は商品として大消費地に送られるようになった。(100字)

大問Ⅴ問7
答案例①…受験生が書ける現実的な答案(最後の一文を入れるのは難しい)
 従来、年貢率の切り替えの際に、年貢を増やしてきたため、今回も年貢が増えると百

もっとみる

2018年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問8
答案例①
 838年の派遣以降、10世紀初頭に唐が滅ぶまでの間、遣唐使は一度も派遣されなかった。唐・新羅の貿易船が日本に来航していたことや894年の派遣決定に際した反対した菅原道真が建議したように、唐の衰退が背景にある。(100字)

答案例②
 9世紀は唐・新羅の貿易船が日本に来航していたことや唐の衰退を背景に、遣唐使は派遣されなかった。9世紀末に宇多朝が派遣を決定するも、菅原道真の

もっとみる

2017年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問10
 将軍足利尊氏が軍事面、弟の直義が行政面を担う二頭政治は観応の擾乱を経て、将軍に権限が集中して解消した。当初、軍事面を担う将軍を補佐した執事は、義満期に鎌倉幕府の執権同様、幕政全般を担う管領に発展した。(100字)

太字は指定語句。

設問分析
設問要求①…室町幕府の管領というポストは、どのような経緯を持つ職か。
設問要求②…室町幕府の管領というポストは、どのような特質を持つ職か。

もっとみる

2016年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問9
答案例①
 受領への就任を希望する中下級貴族は、自らの妻・娘を天皇の外戚で官吏の任免権を持つ藤原摂関家の娘に、仕えさせた。こうした女房の中に文学的才能を持つ者が多かった。(79字)

答案例②
 女流文学は、天皇の外戚で官吏の任免権を持つ摂関家の娘に仕えた女房によって、担われた。中下級貴族は自らの妻・娘を女房として奉仕させることで、受領への就任を狙った。(80字)

太字は指定語句

もっとみる

2015年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問10
 当初、天皇を敬っていた武士は承久の乱を契機に、皇位継承問題などで自らが優位にあることを示し、南北朝時代に実力主義の風潮が強まると、天皇を軽んじるようになった。(79字)

解法
①…史料の把握がどうしても必要になるが、本問題以前の問いがそのヒントとなる。
 史料イは承久の乱の際の北条義時・泰時父子の会話。
  史料文5行目の「君の御輿に向ひて、弓を引くことは、いかがあらん…」から、

もっとみる

2014年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問9
 在京し、室町幕府の政治に関与していた大名たちは、公家などの文化人と日常的に交流していたため、応仁の乱を契機に任国に下った後も、中央の文化に憧れを持っていたから。(80字)

 駿台・河合塾ともに設問要求・史料文を踏まえた解答作成ではない。まず、「公家が大名の保護を求めて下向した」というのは、大名たちが文化を摂取した「背景」ではあっても、「理由」ではない。また、「分国統治の権威づけ」と

もっとみる

2013年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問7
 藤原京は儀式や政務の場である大極殿・朝堂院を備えた宮に天皇が住み、その周囲に条坊制を持つ京が設立され、王族や貴族たちが集住する中央集権国家を象徴する都であった。(80字)

太字は指定語句

大問Ⅴ問7
 物価の高騰を背景に借金に関する訴訟が増えため、相対済し令で金公事を禁止し、当事者同士での解決を命じることにより、奉行所の負担軽減を狙った。その後、不当な借金をめぐる訴訟は受けつける

もっとみる

2012年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問6
 嵯峨天皇の時代は薬子の変を受けて、蔵人所・検非違使などが設置され、天皇権力の強化がはかられた。また、日本の実情に合わせた律令制の改編が進み、弘仁格式に代表される法典の編纂が進んだ。(90字)

太字は指定語句。自分の答案が「嵯峨天皇の時代の政策説明になっていないかどうか」を確認したい。政策の説明をした答案は0点である。

大問Ⅴ問7
 第2次伊藤博文内閣は下関条約の締結により、朝鮮に

もっとみる

2011年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問6
 江戸時代、貨幣の使用は東日本では金遣い、西日本では銀遣いが一般的で、両者の交換比率は相場により常に変動していた。江戸幕府は長崎貿易で銀を輸入し、それを材料に計数貨幣の明和五匁銀・南鐐二朱銀を鋳造し、交換比率を固定することによって、金貨を基準とする貨幣制度・市場の統一をはかった。(139字)

太字は指定語句

* 問題の性質上、史料イ・ロを踏まえていることを示す必要がある。そのため、

もっとみる