私の、私による、私のための文章を書く喜び【おとなの寺子屋・参加者の声 Vol.14】
1 仲間とわいわい楽しく書ける!
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2 プロの添削アドバイスをもらえる!!
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3 自分らしい文章が書けるようになる!!!
おとなの寺子屋〜文章教室〜は、作家・心理カウンセラー五百田 達成による、文章ワークショップ&コミュニティです。
次回のお試しワークショップは
2月18日(土)19時〜 開催、初回参加無料。
お申し込みは各種HPやSNSからどうぞ!
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こんにちは、いおたです!
今日の東京はだいぶ暖かいです。そういえば雪降ってないなあ、なんて思っていたら、今週降るとか降らないとか。
まだ2月。春は当分先です。。。
さて、今回のnoteは、おとなの寺子屋のご紹介です。
メンバーのひとりである佐藤さんが、「おとなの寺子屋ってこういうところだよ」という、紹介文を書いてくれました!
佐藤さんは、参加当初から持ち前のセンスをびしびしと発揮し、スーパールーキーとして名を馳せていました。
課題のみの参加のときは、「これだけの才気、いったい、どんな人なんだろう(どきどき)」と思っていたのですが、実際にお会いしてみると、とてもフランクな方でした(安心しました)。
初回参加の模様をライブ感たっぷりに書き記してくれた今回の紹介文もまた、佐藤さんらしさ全開です!
次回のお試しワークショップは
2月18日(土)19時〜 開催、初回参加無料。
お申し込みは各種HPやSNSからどうぞ!
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作家やタレントが書いたエッセイを読むと、
「わかる~」「あるよね、そういうこと」と思うことがある。
そんな時私は、これくらい私にも書けるのではないかと思ってしまう。
だって毎日日本語で生活しているのだから、上手い下手は別として、日常のちょっとしたことを書くぐらいのことはできるでしょと。
そしてPCの前に座ってみたり、新しいノートを買ってみたりするのだが、1文字も書けたことがない。比喩表現ではなく、文字通り1文字も。
これは何気にショックだ。
毎日、仕事中も、入浴中も、ベッドの中でも
大量の雑念に囚われているのに、書くようなことは何も無いのだ。
私は空っぽな人間なんだなと落ち込む。
たまたま、大人の寺子屋~文章教室〜を見つけたとき、すぐに入りたいと思った。
https://note.com/iotatatsunari/n/n86da93ae9785
土曜日の7時は参加できないのだが、後から動画を見るだけでもいいと思った。正直に言うと、その方が気楽でいいと思った。
初めて参加したときの講義内容は「文体」だった。
まずはウォーミングアップで「冒頭作文」というものをした。これは本のタイトルと簡単なあらすじだけを聞いて、冒頭の一文を文豪になったつもりで書くというものだ。私も、一時停止などのズルをせずに、やってみた。
次は本題の「文体100本ノック」だ。
これは「買い物しようと街まで出かけたら財布を忘れた」という内容の文章を、指定された文体でどんどん書いていくというものだ。
これもやってみたが、オンラインで参加している先輩たちは、みんなチャットに投稿していくのに、私は全部中途半端になってしまった。
それでも、短い時間で次々と考えているうちに、
脳が興奮してくる感覚を覚え、ちょっと気持ち良くなった。
そして宿題。
なんと、いきなりエッセイを書かなくてはいけない。しかも内容は自由。文体を意識して。宿題は出しても出さなくてもいいのだが、毎回欠席で、宿題も未提出では、居るのか居ないのか分からない人になってしまう。何より3000円がもったいない。
いやいや、そんなことより、興奮状態に陥った脳が書きたがったのだ。
まずは文体を決める。
100本ノックで「括弧を多用してライブ感を出す文体」が一番面白く書けたと思ったので、それに決めた。
次にその文体にふさわしい内容はと考えて、店を始めた頃、毎日遊びに来ていた小学生のかほちゃんが、どんなに可愛らしかったかという話にした。
ライングループのノートでは先輩方の過去作と添削が見られるのでチェックしたところ、「起承転結」が大事ということなので、「起承転結」に当てはめて考えてみたが、うまくできているのかどうか判断できない。
悩んでいても仕方ないので、作文に取り掛かる。
するとこれがびっくりするぐらいスラスラと書けたのだ。
「冒頭作文」でやったように文豪になったつもりで、書き出しはちょっと謎めいた感じにした。
あとは、会話文を入れるように意識しながら、起承転結に従って書き進めていくだけなのだが、途中で脳の興奮がマックスに達し、感極まって泣きながら書いていた。
おかげで出来上がった「かほちゃん」は、かほちゃんが可愛かったということにとどまらず、コロナ禍で大学生になったかほちゃんと、その同世代の若者にエールを送りたいという、ちょっと大きな話になった。
その夜は、すっかり覚醒した脳と、エッセイを書けた喜びを抱えて、朝まで布団の中で身悶えることとなったが、それはその後、毎月繰り返されることとなった。
しかし、これで終わりではない。これからがもっと大変だった。
後日ラインのノートに清書して提出すると、すぐに添削が返ってきた。たくさん褒めていただいた。それまでドーパミン駄々漏れだった脳が大爆発を起こした。
自分の作品を毎日100回は読んだ。自分で書いたものなのだから、読まなくても暗唱できるのだが、読みたいのだ。時間がもったいないし、バカみたいだと思うのだが、やめられない。もう脳内麻薬中毒だ。
あれから8か月がたち、エッセイは7つ書いた。毎月もうこれ以上は書くことが無いかもしれないと思いながらも、なんとか書けている。
書いたエッセイはどれも全部自分の中から出てきたもので、見栄も忖度も何もない。
エッセイを書くと、自分を形作る霧みたいなものの中に、小さな小さな結晶ができるような気がする。
それはあまりに小さくて、有っても無くても変わりはないのだが、自分の人生におけるすべての場面を平等に眺め、使えるピースを探し出し、一見関係無いような事柄を結び付けて、1つのことを説明していく作業そのものが楽しい。
毎月、1週間以上続く大興奮と、その後訪れる静かな満足感。文章を書くことは想像以上の喜びとなった。
大人の寺子屋~文章教室〜の門を叩いたこと、五百田先生に出会えたこと、本当に良かったなと思っている。
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おとなの寺子屋〜文章教室〜、次回のお試しワークショップは
2月18日(土)19時〜 開催、初回参加無料。
お申し込みは各種HPやSNSからどうぞ!
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