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タイトルが大事で、タイトルがすべてで、タイトルがダメだとほんと意味ないよね、という話。
7月6日(月)20時〜、タイトルに特化した文章講座を開講します。
タイトルって難しい
タイトル、難しくないですか? noteでも、エッセイでも、小説でも。自分で書いた文章・作品に、いざタイトルをつけようとすると、難しい。
短くさらっとまとめると、インパクトがない。
長く書こうとすると、何を言ってるか分からない。
奇をてらって、狙いに行くと、なんか寒い気がする。
普通に書こうとすると、面白くない。
一瞬でつけられるときもあるけど、意外と読まれない。
ものすごく練っても、結局読まれない。
中身がいけないのかな、と反省するけど、どうも、タイトルな気がする。出口の見えない戦い。いっそのこと、他の誰かがつけてくれればと思うけれど、つけてくれないし、つけてくれたとしても、いまいち納得できなくて自分で変えちゃったりする。
死ぬほど悩んで、結局、すっと降りてきて、それでうまくいく(ほめられたり、読まれたり)と、すごくうれしい。そのタイトルをいつまでも自分で反芻したりする。
タイトルは作品の顔?
タイトルとは、作品の顔であり、名前であり、ひと言で言える中身であり、キャッチコピーです。
タイトルで判断されたくないし、ちゃんと中身を読んでよ、という気持ち、よく分かります。そんなものルッキズムじゃないか、と。
なのですが、この世知辛いご時世、キャッチーじゃないと、みんなの目を、タイムラインを、スマホの画面を、たださらさらと流れてしまう。それでいいのかと言われたらよくないですけど、仕方ない。対応せざるを得ない。読まれたいなら。
タイトルの付け方なんてものはあるのか?
で、そのタイトルの付け方に、なにか法則とか、メソッドとか、ないのか? そういうのがあれば、少しは悩みが減るだろうと思うじゃないですか?
でもないんですよ。あったとしても、すぐに、すたれてしまい、時代遅れになってしまう。ほんと厳しい時代です。
それでも。
それでも、なにかこう、考え方の道しるべというか、よすがというか、こっちよりはこっちのほうがよさそうだ、最低限、こうなってないとダメ、というものはあります。そういうものがあったら、少しは悩みが減るよね、という基本原則はあります。
というわけで、今度、7月6日(月)に開講する「おとなの寺子屋」は、90分まるまるタイトルの付け方についてお伝えします。タイトルと、あと、導入の数行・数段落の書き方ですね。
タイトルが上手になれば中身もうまくなる
言いたいことをひと言で言い表し、読む人の関心を惹きつけ、ついシェアしたくなり、結果、バズる。
そのための、タイトルづけ&書き出し方を身につければ、少なくとも、悩みはひとつ減りますよね。その煩わしさから解放されれば、もっと中身に注力できますよね。
もっと言うと、タイトルがつけられない、ということは、言いたいことがまとまってないということで、バシッとタイトルがつけられるということは、作品の核が決まっているということでもあります。
だから、たかがタイトル、そんなもの、小手先の技術だろう?と思うかもしれませんが、意外と、本質的なところでもあるわけです。まさに、名は体を表す。
千本タイトルノック。
僕自身、一冊の本について、タイトルは、最低でも100個は考えています。多いときは200以上になりますね。あるときは、編集者と悪のりで500個以上考えました。もちろん、使われるのは1個です。でも、そうやって考えてるうちに、見えてくるものが毎回あります。
インパクト、シンプルさ、言いたいことをひと言で言えているか、目新しいか、耳馴染みがある言葉か、売れそうか、読者が欲しいものになってるか。
もちろん、自分が編集者のころから、タイトル・見出しは、それはもう毛が抜けるほど考えてきましたし、ネット記事の編集者の人から、すぐに使えるワザ・コツ・秘訣もたくさん聞いてきました(Yahoo!ニュース、東洋経済オンラインなど、乗ってるサイトは、タイトル付けがうまいです、やっぱり)。
というわけで、当日は僕がこれまで培ってきた「タイトルづけ」のすべてを、惜しみなくお伝えします。
ありそうでなかった、タイトルにだけ特化した、文章講座。
→お申し込みはこちらから。
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