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習慣から外れると『書く』ハードルは途端に上がる

私がnoteを始めて1年と少し経過している。

スタート当初は『毎日更新』をした方が良いのかな?なんて思っていたが、速攻で「いや私には無理ですな」と悟った。

月別の更新を見ていても、始めて数ヵ月は20以上の月もあるが、昨年12月からはキレイに『月10本』。そこから8ヵ月連続でその更新数。
別に「毎月10本は更新しよう!」なんて思っていた訳ではないのだが、なんとなくいつの間にかその数字が目安となっていた。


私が記事を書くのはいつも合間の時間。
noteを書く時間をあらかじめ設定して書いている訳ではない。なんとなく、在宅勤務時に浮いた移動時間分で書いていることが多い。

夜は目が冴えてしまうような気がして、ほとんど書かない。子どもの寝た後は閉店ガラガラ、読書やぼんやりテレビをみたり自分の時間を楽しみたいし、そもそも早く寝たい。そして“朝活”なんてことができるような性分では、残念ながらない。
隙間時間を無理やり見つけて、書いている。

それが叶うのが『月10本』という数字だったんだろう。大体3日に1回は「よし書こう」という気持ちに自然となっていた。
これはマインド面で習慣化できていた、ということだと思う。


ただ今、子どもが夏休み真っ最中。それに合わせて、平日仕事が調整できた日は子どもと一緒に出掛ける予定などを入れることが多い。とにかく夏遊びに全力。


今まで“noteを書くために時間を取る”ということをしていなかったので、途端に「あれ?書く時間が全然ないなぁ」ということになる。1年が経過して、意欲も薄れてきているというのもある。

「8月10本は無理だろうなぁ」

『書く』というマインド面の習慣が薄れてきているのを感じていた。

すると、ある疑念が頭に浮かぶ。

「あれ?私ってなんで書いてたんだっけ?」

習慣化できている時は、『書く』ことに対しての疑念、そもそもなんで?みたいなことはあまり考えずに書くことができていた。(意味などを考えることもあるけれど)

しかし、一旦そこから外れると、そもそもなんで?という気持ちが強まる。これは私自身「そうなるだろうな」と思ってはいたが、1週間も空いていないのにそう感じるんだなぁと不思議な気もした。


誰かに頼まれて書いている訳でもないので、いつ辞めても良い。それでも書き続けたいのであれば、『習慣化すること』って大切なんだなと実感。

『書きたい時に、好きなことを書く』をテーマにやってきていたけれども、一旦離れたら「もういいかな」となるのは簡単なんだろうな。

noteを始めて1年、やりとりさせてもらっていた方が去ってしまったり、更新が止まったりするのを見てきた。悲しい。少しお休みされているだけなのかもしれないと帰りを期待している私もいる。

やっぱり何事でもそうだけれども、続けるのって難しい。


続けるためには習慣化することが1番。
そして習慣から外れると、途端に『書く』ハードルは上がる。

「あれ?なんでnote書いてたんやっけ?」

こうなった時は、

「いや、好きやからやな。勝手に始めて勝手に書いてたんやん」と自分に言い聞かせるとする。


そして、自分で勝手に上げたハードルをよいしょと下げて、無理なく好きなことを書き散らかしていきたい。日記なんて全然続かなかった私が、せっかくここまで続けることができたのだから。
習慣から外れないように、細く長く続けていけたら良いなと思う。


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