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コメディのような現世
批判ではない。
なんて、ひとは矛盾した生き物なんだろうと思った。
震災で、水がない牧畜家のひとのニュースをぼーっとみていて、水がなくなり亡くなった牛もいるというニュース。
黒牛。
餌も食べなくなり、悲痛な鳴き声を出して水を欲しがった。
今は、水が届くようになって、牛も餌を食べるようになり、きちんと出荷できるようになってきているという。
これで一安心です。
ようやく少しは日常的な仕事ができ
感覚のメタ認知の難しさ
疲れてる。
実は、この歳になるまで疲れていることに気づいていなかった。
疲れていることに気づかずに、手がだるいとか、人の目が異様に気になるとか、攻撃的になるとか、そんなことを繰り返していた。
疲れという概念が自分の中に定着していなかったのだ。
気を失うように何かをしている時に寝落ちする状況になるまでは疲れてないと思っていた。
異様な生活だったと思う。
そんなギリギリの体力でよく今までやって
正論はザネリと思うことにしたと言う話
人の話を聴くことが大事だと思うのだけど、聴くことがあまりにも軽視されている気がする。
自分の脳内にある正義や観念的な世界の見え方が先行していて、他者の話の背景にある人生や、経験に基づくものの見方が軽視されているような気がする。
子供を産む女性に対して『これからは子供のために生きなきゃダメよ』という言葉を使う人がいた。
それはそうなんだけど、そのレベルがどのレベんでそういう発言になっているのか
はまいく
かわいい
生田絵梨花
ファンになってしまう…
https://youtu.be/bz1rGR351ek?si=3z8ijTynRvQQofgi
来年はもう生きてなくてもいいなぁと思う。
今年とても綺麗な笑顔をたくさん見ることができたから。
そんなことを折れた肋骨と熱を持った身体を持て余しながら考える。
最後に会いたい人は誰だろう?と自らに問いかけてみて、誰もいないことに気づいた。
集合的無意識と自分とかについて。
これもそれも、あれもどれも。
大きな意識の記憶なのだと思うようにした。
傷も痛みも。
誰かと分かち合うために生きている。
人間という言葉が、人の間に在ると書くように。
たとえ、それが亡くなったとしても。
想いを分かち合い、喪失を悼むことで、心が重くなる。
それは、他者を自分の中に取り込むことだと感じるからこそ、辛さも喜びも自分の中に生きて存在する重みだ。
天国なんてないと、地獄なんてないと。
仕事と、いま考えていること
ホームページは資産としてのストレージ化・及び、企業の文化のメソッドやあり方などを明示する役割になっていくのかも。
えっと…
昔は、アクセス数を集めて、自らのホームページがメジャーな大通りになり、お客さんを引き寄せるステーションになるしかないと言われていました。そのために必要なのが、SEO(サーチエンジンオプティマイズ)という検索順位上位を狙う施策でした。
検索順位上位が獲得するメリット=売上
それ
死と愛と魚肉ソーセージの話
魚肉ソーセージを買っていつもカバンに入れています。
出会った猫にあげるためです。
北九州市には猫が多くて、きっと老人が多いこの土地には、餌をあげる人が多いのでしょう。
ねえ、
こんな張り紙をみたのです。
この張り紙の下には、小さなお花とチュールが置いてありました。
猫を飼ってらっしゃる家庭の方は、チュールは、カロリーが高くて一日一本までと決めてらっしゃる方が多いと聞きます。
もう、カロ
とりあえず、お元気で。いつかまた。
僕には心がないと感じています。
誰に対しても、悲しむような慈しむような感情がないのです。
多分、人の感情は、知識で知っているだけのことだという気がします。
ただ、憤りだけは自分の中で自覚があって、唯一働いてくれている感情です。
自分が思っている通りの仕事ができない時。
仕事を邪魔されそうな時。
集中している時に声をかけられる時。
そんなときに感じる怒り。
自分は何かの仕組みや組織に必要とされる