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死と愛と魚肉ソーセージの話

魚肉ソーセージを買っていつもカバンに入れています。

出会った猫にあげるためです。

北九州市には猫が多くて、きっと老人が多いこの土地には、餌をあげる人が多いのでしょう。

ねえ、

こんな張り紙をみたのです。
この張り紙の下には、小さなお花とチュールが置いてありました。

猫を飼ってらっしゃる家庭の方は、チュールは、カロリーが高くて一日一本までと決めてらっしゃる方が多いと聞きます。

もう、カロリー気にしなくて良くなったねぇと、思わず語りかけました。

好きな物をたくさん食べられるといいねぇ。

寒いとこで震えなくて済むといいねと思います。

でも、僕自身は、死んだ後は何もないと思っていたりします。

クリスチャンになった私がこんなことを言うのは多分おかしいのですが…。

でも、僕たちは死んだ後も生きている頃の欲をもって永遠に命があると思ってはいけない気がするのです。

誰かに対する愛おしい狂おしい想いも、現世限り。

あんなに泣いて恋慕った相手との永遠の別れも。
今もまざまざと思い出すあの人の柔らかく美しい身体や切ない思いを伝える声も。

いつかまた会えると思って果たされなかった悔しさでさえ、この世限りなのです。

天国なんかない。

あるのは、生きている人の中の思い出だけ。

お葬式も、生きている人のため。

今は亡き人は、愛という桎梏から解き放たれて無になっていくのです。

お疲れ様。
大変だったね、ゆっくり眠ってください。

僕らに言えるのはきっとそれだけ。

さようなら。

大変だったけど僕たち、楽しかったね。
そうやって別れたいと思います。

愛という、生きている限り逃れられない欲から、永遠に死は解放してくれるのです。

きっと、多分。

死は、救いなんだろうと。
この世の何よりも優しい救いなんだと思えてならないのです。

ねえ、だから、あなたは僕よりも先に死なないでください。

赤い月を眺めながら、少し酔った頭でわがままでしかないそんな想いを恥知らずにも祈っていたりします。

おやすみなさい。
皆がゆっくり眠れてますように。

生きてること、生まれてきてくれたこと、出会ってくれたことに、暖かい風が吹くようになった季節に。

目を瞑ると泣きそうになる夜に。
そんなことを想っています。

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