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海の日にツアーファイナルをして夏の新曲を披露するやつ、ズルすぎる
朝礼のようなもの
7月15日(月)
海の日の祝日にツアーファイナルやって新曲(しかも夏曲)やる≠ME、あまりにも狙いすぎてるはずなのに気づかない自分の鈍感さ、
近くにありすぎて気づかなくて、ふと気づいた時にはかけがえ無いものになってるだけの日常を "青春"
と便宜上呼んでいるだけにすぎないと思い知らされる
青春はいつだってやり直せる。5周年で聞いた言葉は自分の心に刺さって抜けない杭のような
もし死のない世界になったら
時に、死という概念が遠い未来の先、技術の発展と共に失われた時を考える。
というか不老とセットで、じゃないと蝉になってしまうから
(ギリシャ神話のとある人物が不死だけを望んだ事で永遠に老け続けて最後には蝉になってしまうといったお話がある)
もしそうなったとしたら、最初の頃はみんなパラダイスなのかもしれない。
少なくとも延命治療がなくなる為お医者さんへの負担は少し減るのかも。などと考えた。
ただ、
行き過ぎた謙遜という毒
慇懃無礼
うわべは丁寧に見えて、その実、尊大なさま。
のような言葉があるように、時に人は何を思い上がったのか必要以上の謙遜をする時がある
なんとなく慇懃無礼という言葉自体は謙遜という趣旨とは外れてる喩えな気がしますが…
○○、凄いですよね〜。と言われて
いやいや、全然凄くないですよ自分なんてまだ未熟で〜
とかならともかく
いやいや、こんなの全然凄いうちに入らないですよ。自分なんてめち
物事に終わりがあるとすれば、それは忘れ去られた時なのだろうな
出会いとは偶然であるが、別れというものは必然的にやってくるものである。
出会いと別れの繰り返しが人生なのである
そこで躓くのが、自分が死ぬ時ってどうなるのか?という話である。というか、死んだ後ってどうなんの?という話。大半の人はこの手の話を考え始めるともれなく眠れなくなる。僕もその一人である。
よく言うじゃないですか、人は死ぬと少し軽くなるとか、死後の世界とか、転生だとかティルナローグ、ユート
怒りとは持続しないものである。という話
時に、無神経な発言を見て怒りに狂いそうになる自分を止める作業というものを行う
煮詰まった怒りは発散する場所を無意識的にどこかに求め、生み出された文章の数々は削除でなく下書きを選ぶ。
時に、その怒りを無神経なまでに吐き出す人もいる。そして思うのだ
「大人気ないな〜」
ぶっちゃけ、どんな怒りだろうと反論するやつも同じテンション感でやっちゃってるならなんも変わらない。人間言い方次第では味方にも敵にも
始まりはいつも突然だけど別れはいつも必然だって話
出会わなければ、悲しむこともない
始まりさえなければ、終わりもない
時に、人とは別れを怖がる生き物なのだと思うことがある
それもそのはず、断捨離なんて出来るわけない人の方が遥かに多い。
得ることは簡単でも、捨てることは難しい
これまで持っていた物を捨てることとか、これまで続けてたことを辞めることってとても勇気が要って、難しいことじゃないですか?
それが好きな仕事であればあるほど難易度は増
肯定の中に潜む否定という毒の話
日本には、八方美人、なんていう素敵な言葉がある。言ってしまえばどっちにもいい顔して綺麗であり続けるエゴの塊のような人間に対して使われる言い回しだ。
基本、八方美人な人は敵を作らない。いい感じにバランスをとって双方意見が割れていてもどちらにも賛同を繰り返し、周りも評価の高いその八方美人の意見に賛同せざるを得ず、ふわっとした議論が終わっては問題は基本解決もせずにふわふわと浮かび続ける。
目にしたこと
人によって違う「推し方」
アイドルグループを推してる身なので、やはり贔屓してる子がいる。というのはよくある話。自分もその中の一人で、所謂複数推しに該当する。
僕の言う推しというのは、憧れていたり、応援していたり、共感したりする子のことを推すことが多い。
あとは、綺麗な人がとても好きなので、綺麗な人が好きです(?)
なんて話はどうでもよくて、人によって推すスタンスは変わってくるよねというお話
人によってはこの子をセンタ