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物事に終わりがあるとすれば、それは忘れ去られた時なのだろうな

出会いとは偶然であるが、別れというものは必然的にやってくるものである。
出会いと別れの繰り返しが人生なのである

そこで躓くのが、自分が死ぬ時ってどうなるのか?という話である。というか、死んだ後ってどうなんの?という話。大半の人はこの手の話を考え始めるともれなく眠れなくなる。僕もその一人である。

よく言うじゃないですか、人は死ぬと少し軽くなるとか、死後の世界とか、転生だとかティルナローグ、ユートピアだとかヴァルハラだとか、天国だとか地獄だとか。
物事に始まりがあれば終わりがある、物は基本有限であり、無限とは即ち無でもあるのだと、虚無。

死んだ後ってどうなるのか、その不安からか人は死を恐れるのだと、多分人類史が存在し始めた瞬間からその恐れが人の生きる原動力として存在してきたのだろうな。

よく言うのが、忘れられることが真の死を意味する。というやつだ。正直ぐうの音も出ない、でもかと言って僕は人の記憶から忘れられた後だって生きてたという証明自体がある役所が実の所、我々にとっての天国なんじゃないかと思うんだよね、思ったよりも人は壮大なシナリオとかじゃなくて、近くにある役所に生きてた頃の記録が残されるということを考えたらなんかバカバカしくなるわけで
結局生きてる間は死ねないんだから、どうにかして今を謳歌することだけを考えて生きていこうと思った。

生きるとは簡単な話である、よく食べて、よく寝るだけ。
忘れられない人になりたいね。

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