茶犬

何を書いてもオチがない

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席を譲るのって、割と自信がいる話 立っているのも困難なご老人であったり、必死につり革を持とうとする子供であったり、妊婦さんだったり、様々な事情を抱えている方であったりと 私は、嫌な言い方になると思いますが総合的に見て譲りたいなと思う人は大体物理的にも心理的にも重たい荷物を背負ってる場合が多いかなと勝手に思っております。 言ってしまえばハンデ、なのでしょう ツーリストでキャリーバッグ程しっかりしているものであれば逆にどうでもいいんですけど(コラ)日常生活の根幹に電車といっ

    • 「大空、ビュンと」

      こんばんは 突然ですが素性の話を、します。 でもその前に感想を言わせてください 2月23日(金) ≒JOY 2nd Anniversary Premium Concert 昼夜共に鑑賞、観劇、もとい体験入学に行ってまいりました。ニアジョイは初参戦でメンバーを生で見たのはそのちょっと前の日にあった対面お話会のトークショーのステージが初でした。 しかし歌って踊ってる姿は至って初見、どんな世界を見せてくれるのか、ワクワクしながらペンライトを紫色にしたあの時間は今も鮮明に

      • ご沙汰で、サタデー

        ≠MEさんの対面お話会に初参加して参りました。 ですが_____ これは決してレポではなく、備忘録でもありません。レポのようなものであり、レポのようなものではないのです。 …ほんとはちゃんとしたレポが良かったのですが、レポではない理由はやはり 『正確にはお伝えできないから』 なんです、 人との会話を保存する上で記憶というものは簡単に都合よく書き換えてしまうもの、なので記憶は決して記録ではないと感じてまして、特に私は他者の発信した情報を己の解釈を通じてしか摂取できない

        • もし死のない世界になったら

          時に、死という概念が遠い未来の先、技術の発展と共に失われた時を考える。 というか不老とセットで、じゃないと蝉になってしまうから (ギリシャ神話のとある人物が不死だけを望んだ事で永遠に老け続けて最後には蝉になってしまうといったお話がある) もしそうなったとしたら、最初の頃はみんなパラダイスなのかもしれない。 少なくとも延命治療がなくなる為お医者さんへの負担は少し減るのかも。などと考えた。 ただ、不老不死になったところで病気は一体どうなるのだろうか? と、考えたところで無い

          行き過ぎた謙遜という毒

          慇懃無礼 うわべは丁寧に見えて、その実、尊大なさま。 のような言葉があるように、時に人は何を思い上がったのか必要以上の謙遜をする時がある なんとなく慇懃無礼という言葉自体は謙遜という趣旨とは外れてる喩えな気がしますが… ○○、凄いですよね〜。と言われて いやいや、全然凄くないですよ自分なんてまだ未熟で〜 とかならともかく いやいや、こんなの全然凄いうちに入らないですよ。自分なんてめちゃくちゃ下手くそですし他の人の足元にも及ばなくて… って言い始めたら、何を思い

          行き過ぎた謙遜という毒

          物事に終わりがあるとすれば、それは忘れ去られた時なのだろうな

          出会いとは偶然であるが、別れというものは必然的にやってくるものである。 出会いと別れの繰り返しが人生なのである そこで躓くのが、自分が死ぬ時ってどうなるのか?という話である。というか、死んだ後ってどうなんの?という話。大半の人はこの手の話を考え始めるともれなく眠れなくなる。僕もその一人である。 よく言うじゃないですか、人は死ぬと少し軽くなるとか、死後の世界とか、転生だとかティルナローグ、ユートピアだとかヴァルハラだとか、天国だとか地獄だとか。 物事に始まりがあれば終わりが

          物事に終わりがあるとすれば、それは忘れ去られた時なのだろうな

          五月蝿い

          人間、いくら正しくても支持を集めていようとも、どこかでエゴを叶えんとすべく汚い部分が見えると うるせえ!!!!!!! ってなるよねという話。 例えば、普段の言動や行いが良い人が変なこと言ってたとしてもその人のことを好きな人が止めたり、なんで普段はあんなにいい人なのにこんなこと言ってるんだろう?って疑問程度で終わるのだが… 普段から口汚くバカにしたような口調の人が正しい口調で何かを主張しているのを想像してみてほしい、正直、くっそムカつかないか?という話である。 なんで

          五月蝿い

          怒りとは持続しないものである。という話

          時に、無神経な発言を見て怒りに狂いそうになる自分を止める作業というものを行う 煮詰まった怒りは発散する場所を無意識的にどこかに求め、生み出された文章の数々は削除でなく下書きを選ぶ。 時に、その怒りを無神経なまでに吐き出す人もいる。そして思うのだ 「大人気ないな〜」 ぶっちゃけ、どんな怒りだろうと反論するやつも同じテンション感でやっちゃってるならなんも変わらない。人間言い方次第では味方にも敵にもなるものなのだ なので、その言い方を選べないほど怒り狂った際には一分ほど考えた

          怒りとは持続しないものである。という話

          始まりはいつも突然だけど別れはいつも必然だって話

          出会わなければ、悲しむこともない 始まりさえなければ、終わりもない 時に、人とは別れを怖がる生き物なのだと思うことがある それもそのはず、断捨離なんて出来るわけない人の方が遥かに多い。 得ることは簡単でも、捨てることは難しい これまで持っていた物を捨てることとか、これまで続けてたことを辞めることってとても勇気が要って、難しいことじゃないですか? それが好きな仕事であればあるほど難易度は増す。何せ今が一番だから、次のステップを考えられない。 しかし、終わり際を見極め

          始まりはいつも突然だけど別れはいつも必然だって話

          肯定の中に潜む否定という毒の話

          日本には、八方美人、なんていう素敵な言葉がある。言ってしまえばどっちにもいい顔して綺麗であり続けるエゴの塊のような人間に対して使われる言い回しだ。 基本、八方美人な人は敵を作らない。いい感じにバランスをとって双方意見が割れていてもどちらにも賛同を繰り返し、周りも評価の高いその八方美人の意見に賛同せざるを得ず、ふわっとした議論が終わっては問題は基本解決もせずにふわふわと浮かび続ける。 目にしたことはないだろうか?争わないが故に解決しない問題が山積みな事態などという状態。 そ

          肯定の中に潜む否定という毒の話

          人によって違う「推し方」

          アイドルグループを推してる身なので、やはり贔屓してる子がいる。というのはよくある話。自分もその中の一人で、所謂複数推しに該当する。 僕の言う推しというのは、憧れていたり、応援していたり、共感したりする子のことを推すことが多い。 あとは、綺麗な人がとても好きなので、綺麗な人が好きです(?) なんて話はどうでもよくて、人によって推すスタンスは変わってくるよねというお話 人によってはこの子をセンターにするために推してる!だとか、もっとこの子を知ってほしい!だとか、色々あると思

          人によって違う「推し方」