肯定の中に潜む否定という毒の話

日本には、八方美人、なんていう素敵な言葉がある。言ってしまえばどっちにもいい顔して綺麗であり続けるエゴの塊のような人間に対して使われる言い回しだ。

基本、八方美人な人は敵を作らない。いい感じにバランスをとって双方意見が割れていてもどちらにも賛同を繰り返し、周りも評価の高いその八方美人の意見に賛同せざるを得ず、ふわっとした議論が終わっては問題は基本解決もせずにふわふわと浮かび続ける。
目にしたことはないだろうか?争わないが故に解決しない問題が山積みな事態などという状態。

そう、八方美人とは戦わずして、勝利を得ることも無ければ敗北を喫すこともない腑抜けなのだ。

そして八方美人最大の武器のひとつに、肯定の中に否定を入れると言った特徴を持つ(これは人それぞれだろう)

例えるならば、必要以上に、過剰に褒めるといった行為を指す。

具体的には、元々別に暗くはないグループに対して、最近明るくなったね!と言ったことを言う奴だ。単に前は興味無かったのが、最近興味持ってその自分が興味持ったものに対しての説得力を得たいだけだろ。などとひねくれた自分は思う。

昔からやってることなのに、最近やり始めたかのように言ったり、最近やり始めたことなのに、昔からやってたかのように言ったり。

なんというか、前から活躍し続けてた選手の最新のハイライトプレイだけ見て最近調子良いって言ってるようなもの(伝われ)

所謂、変わってない良さを、変わったことにしてもっと良くなったかのように錯覚させようとしてくる奴が怖くて仕方ない。

なぜか?その間違った情報を否定したらアンチの称号を与えられかねないからだ。

言ってしまえば、肯定意見というものはファンにとっては無条件に受け入れてしまうものだからである。その中にちょっとした出任せを言えば簡単にその毒は広まり、良い情報で塗り固められた虚実が出来上がる

確かに変わったのかもしれない、だがしかし、それを強く言いすぎると、昔から変わってない元からある部分ですら変わったかのように錯覚させる毒となる。

悪意を跳ね返すことはとても簡単だ
悪意のあるデマは真実を突きつければ賛同する者も出てくる。

しかし善意から出た場合、
訂正すること=否定に繋がる気がして、すごく勇気がいる。

ただ、本当に好きであるならば、たとえポジティブな方向性でも嘘であるならば、アンチ活動と何ら変わらないのではないだろうか?

ふと、そう感じたことを思い出しながら書き綴った。

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