ミュージック・アワー(フォークダンスの思い出)
高校生のときの話。体育の授業が終わって教室の席につくと、私はふり返り、
「ええのう、お前は1番上で。俺なんか小学校のときから1番下の土台で」
ななめうしろに座る友人に膝をさすりながら言った。
体育祭のピラミッドの練習をしたばかりだった。小柄な友人は「バカ、1番上に立って手ひろげるのも怖いんで」と言い返す。
「フォークダンスのステップ覚えた? あたし、ぜんぜん覚えられん」
友人のとなりの席の堀田さんが訊いてきた。
私はうしろを向いて、「俺はけっこう覚えたけど」とうそぶいた。彼女は「すごーい」と微笑んだ。
いまの席になってから私はたびたび友人に話しかけていたが、まもなく堀田さんも加わって3人で話すことが多くなった。
私はしだいに彼女を意識しはじめ、彼女目当てでうしろを向くようになった。
体育は男女別なので男同士でフォークダンスの練習をしていたが、10月の本番では男女で手をつなぐことになる。
私はダンスのときに流されるポルノグラフィティの『ミュージック・アワー』をツタヤで借りてきて、さっそく家でボックスステップの練習をはじめた。
堀田さんをリードしなければならなかった。
体育祭の当日、校庭に大音量の『ミュージック・アワー』が流れるなか、私は得意顔でボックスステップを踏んでいた。猛練習をした甲斐があった。
ところが、堀田さんと踊る順番が近づいてくるにつれ、私の手は緊張で汗ばんでいった。こんな手で彼女の手を握るわけにはいかない。
順番がまわってきて、堀田さんと目が合った。高鳴る胸をおさえながら、さりげなく体操服で手をぬぐう。
ついに手と手をつないだ瞬間、脆くも世界は崩れ、私は天をあおいだ。目の前には秋日和の澄んだ空がひろがっていた。
私は緊張して足がからまり、転倒してしまったようだ。アキヒトのご機嫌なヴォーカルがむなしく響きわたっていた。
――数日後。授業が終わると、
「箱男、きのうの『Mステ』観た?」
ななめうしろの席から友人の声がしたが、私は前を向いたまま、「すまん、観とらん」と話を切った。
体育祭の日を境に、うしろをふり返ることができなくなった。堀田さんに最悪の姿を見せてしまったのだ。気まずくて今までどおり話すことができなくなっていた。
11月に入ったある日、私はツタヤのCDコーナーにいた。左手にはモーニング娘。の全シングルをもっていた。
ゴマキの所属する派生ユニットのプッチモニに手をのばしたとき、うしろから声をかけられた。
「箱男くん、なに借りとん?」
堀田さんの声だった。私はあわててプッチモニの『ちょこっとLOVE』を棚にもどし、
「いや、べつに……」
素知らぬ顔でふり返った。モー娘。をうしろ手に隠しながら、「ビデオ返したついでにちょっと見ただけ。偶然じゃね」
「……うん」
私の背後をチラチラとのぞき見ながら、彼女はうなずいた。「じゃあ」と私は逃げるようにレジに向かった。
一言だけだったが、堀田さんとひさしぶりに会話した。もっと話したかったが、これ以上、カッコ悪いところを見せるわけにはいかない。アイドル好きのミーハーだと思われたくなかった。
家に帰ると、母に告げられた。「堀田さんから電話があったよ」と。
なんでも息子は外出中だと伝えたら、どこに行ったのかと訊かれたので、ツタヤに行ったと教えたのだという。
堀田さんがツタヤにいたのは偶然でなく、私になにか用があったようだ。
翌日学校で顔を合わせても、彼女はなにも言ってこなかった。1日じゅう不思議に思っていると、その夜、堀田さんから電話があった。
「箱男くん、なんかいっぱいCD借りとったよね。録音したら、あたしにも貸してくれん? 交換しよう」
ただでCDが借りたかっただけのようだ。私はとっさに「もう返した」と嘘をついた。モー娘。の全シングルを彼女に渡すのには抵抗があった。
美術の授業で、好きな曲をテーマに絵を描くことになった。
私の頭にすぐに浮かんだのは『ミュージック・アワー』だった。何度もくり返し聴いたので耳に残っていたのだ。
たちまち秋日和の高い空がよみがえり、胸が苦しくなる。ウケねらいで大泉逸郎の『孫』を選ぶことにした。
完成した絵は曲のタイトルとともに美術室に展示された。クラスメイトの絵のなかで、私の絵は大いにすべっていた。
「孫」つながりで『ドラゴンボール』の孫悟空を描いたのだった。孫正義の肖像画ならウケたかもしれないが、当時はまだ知られていなかった。
顔を赤くして順に絵をながめていると、フォークダンスを踊る男女の絵が目に入った。私の顔はさらに熱くなる。
それは堀田さんの作品で、『ちょこっとLOVE』というタイトルだった。
私は後悔とともに、彼女が電話をかけてきた本当の理由に思いをはせた。
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