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「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第四章 東武動物公園(その2)
父親のことで同情しているのか、狛音は鮪吉くんをいっさい責めなかった。
片や浮気、片や仕事と、原因はちがっても、家族のもとを離れていく父をつなぎとめたい気持ちは一緒なのかもしれない。誘拐騒ぎまで起こすなんて、僕には理解できないけれど。
僕の思いを感じとったのか、帰りの電車のなかで、鮪吉くんはずっとよそよそしく、僕を避けているようだった。
狛音が鮪吉くんを家まで送っていくというので、館林駅の改札口を出たところで僕らは別れた。
うしろ姿の2人は手をつないでいたが、往き道ではドッジボールのように弾んでいたキャスケットが、のろのろとガターを転がるボウリングのボールのように見えた。
本犬守の屋敷に帰ってきた僕は、ベッドに寝転んでぽんちゃんのインスタを見ていた。
ぽんちゃんとは牡のポメラニアンで、150万人のフォロワーを抱える人気のアイドル犬だ。ホワイトタイガーやヒグマの口なおしにながめていると、
「暢くん、ただいま」
急にドアがあいて、狛音が汗まみれの顔を出した。
「おかえり。鮪吉くんはどうだった?」
「ちゃんと送ってきたよ」
「よかった」
「よくないよ」
彼女は部屋に入り、エアコンの下に立った。
「なんでよくないの?」
「ユウちゃんは元気だけど、綱吉様の調子がおかしいみたい。玄関で会ったとき、ゆみ子さんが言ってた」
「ろくなもの食べさせてもらってないんでしょ」
「食べ物じゃなくて、暑さのせいだと思う。毎日、30度超えてるのにエアコンも使えないんだから」
彼女は気持ちよさそうに目を閉じていた。あのサウナみたいな座敷にいたら、たしかに体調を崩しそうだ。
「食べ物でいったら、贅沢してるほうが病気になりやすいって。ゆみ子さんたち食費を切りつめて、栄養バランスのとれたドッグフードあげてるみたい」
「じゃあ、公方様のほうがやばいじゃん。松阪牛とかばっか食べてさ」
「ほんとだよ。暢くんちはどうしてるの?」
「うちは健康に気をつかって、お母さんがいつも手作りしてる。黒米とかあげてたよ」
今朝はどんなごはんをつくったのだろう? また黒米ごはんかな。小次郎のごはんにムカついていたが、想像するとちょっとホームシックになった。
「そうだ」
彼女がパッと目をひらいた。僕のほうを見て、「きょうの公方様のごはん、あたしたちで手作りしよう」
「て、手作り?」
「うん、公方様に早死にしてほしくないの」
狛音の目は真剣だった。彼女の力になってあげたいし、すこしは綱プーに犬らしい生活をさせてあげるのも悪くないと思った。
「やってみようか」
「うちに犬のごはんのレシピあったかな」
「そういや、こんなのあったけど」
ぽんちゃんのインスタに犬用のレシピもあった。ベッドをおりてスマホを渡すと、彼女はプロフィール画面をどんどんスクロールしていく。
「これ、いいじゃん」
「羊と卵納豆のごまうどん」のレシピを見せられた。納豆やいり卵、羊の肉がトッピングされたうどんの写真がのっている。
「なんで納豆うどんなの? 人間椅子さんに『腐ったものなど、上様に食べさせられますか』って怒られるよ」
「公方様はチーズもヨーグルトもしょっちゅう食べてるから大丈夫。それに納豆って、めちゃめちゃからだにいいんだよ」
「知ってるけど……」
「人間椅子なら、あたしが説得するから」
そう言って、狛音は僕のスマホをもったまま部屋を出ていった。
「ちょっと返して」
あわてて彼女のあとを追った。
きちんと毒味するのを条件に、人間椅子の許可がおりた。
スマホを渡された人間椅子は、老眼に手こずりながらレシピの材料表を吟味していたが、「お嬢さまの思いを無碍にするわけにもいきませんな」とついに根負けした。
綱プーの体重が標準より2キロも重いことが決め手となった。小次郎が標準体重なのは母の手料理のおかげかもしれない。
屋敷から10分ほど歩いた場所にあるスーパーに狛音と買い出しに行った。羊の肉はなかったので豚もも肉で代用することになった。
「公方様の夕食はあたしたちがつくるんで休んでてください」
狛音は屋敷にもどると、厨房のシェフたちに言った。人間椅子が話を通していたようで、シェフたちはそそくさと出ていった。
僕は作業台においたレジ袋から強力粉と黒ごまを取り出し、分量をはかってボウルに入れた。計量カップをもって流しにむかう。
「べつに粉からつくらなくても、うどんの麺を買っときゃよかったのに」
水を量ってふりむくと、狛音がボウルをのぞきこんでいた。
「市販のうどんには塩が入ってるんだって」
しこしこの食感をつくるために入っているらしいが、塩分は犬の天敵として知られていた。腎臓や心臓にダメージをあたえるそうだ。僕はボウルに水を入れ、かき混ぜながら、
「でも、一からうどんを打つのは大変だからって、レシピにいい方法が書いてあった。狛音、ポリ袋ある?」
「これでいい?」
どこからか見つけてきた彼女に、袋の角をはさみで切ってもらう。
「ここに生地を入れて、生クリームみたいにしぼり出すんだって」
パン用の強力粉を使っており、塩も入っていないので、生地の粘り気がすごい。
生地をポリ袋に入れるのも一苦労で、いざしぼり出そうとすると、生地の弾力がすごくて袋が破けてしまった。
黒ごまの袋が丈夫そうだったので、かわりに使うことにした。
黒ごまの残りをほかの容器に移し、角を切った袋に生地を入れる。力いっぱいしぼり出そうとしたが、今度は袋が固すぎて手がしびれてくる。
はさみで袋の穴をひろげた。ようやくお通じがよくなり、中身が出てきた。
「なんか太くない? 蛙の卵みたい……」
と狛音の声。顔をあげると、しかめ面の彼女がパックの納豆を食べていた。
「なに勝手に食べてんの。これから使うのに」
「毒味だよ、毒味。あと2パックあるから大丈夫」
豚肉とブロッコリー、かぼちゃをひと口大に切ってゆでた。
それから、粗みじん切りにしたしいたけとぶなしめじを鍋で煮てだし汁をつくる。
そこにゆでた肉と野菜、うどんを入れて煮るのだが、黒ごまの入った太いうどんは、たしかに蛙の卵のように見えた。……ちょっと気持ちわるい。
気を取りなおし、フライパンにごま油をひいて溶き卵を流し入れた。いり卵をつくりながら、
「狛音、納豆ちょうだい」
ごま油の香りが漂うなか、顔をむけると、彼女は2パック目の納豆に手をつけていた。
「また食べてる!」
「毒味だって」
彼女は納豆をかき混ぜながら言った。「人間椅子と約束したもん」
「毒味なら完成してからにしてよ」
毒味なんて言い訳。たんに食い意地が張ってるだけだろう。
僕は最後の1パックをぶんどり、フライパンの卵と混ぜた。だし汁に入れた野菜に火が通ったら、うどんと具を皿に盛り、いり卵と納豆をのせる。
作業台で盛りつけているうちに、だんだん腹が立ってきた。
「だいたい狛音が手作りしようって言い出したのに、手伝いもしないで納豆ばっか食べてさあ」
「あたし、レシピないし。暢くんがさっさと1人で進めるからだよ」
「レシピなら自分のスマホで見ればいいじゃん。それに料理してるあいだに洗い物くらいできるでしょ」
盛りつけが終わり、狛音を見ると、ふと思いついた。
「あ、わかった。自分が納豆食べたいから、納豆うどんにしようって言い出したんでしょ。狛音って、臭いものが好きなんだね。ナンジャタウンでも餃子バカスカ食べてたし。
うちの小次郎みたい。小次郎も子犬のころ、自分のうんこもりもり食べてたよ」
「ひどい、うんこと一緒にして!」
彼女はからになった納豆パックを作業台に叩きつけた。手から箸がとんで、濡れた床の上をころころと転がっていった。
「公方様の夕餉はできました?」
ちょうど厨房に入ってきた虫江さんが箸を拾いあげた。狛音の顔を見るや、「どうかなさいました?」
狛音はそっぽを向き、背中で怒りをあらわしながら厨房を出ていった。
怒りたいのはこっちのほうだ。僕をお手伝いさんの1人と勘違いしているんじゃないか。僕はしゃがんで作業台の戸棚を開けながら、
「なんでもないです」
お膳を出して立ちあがると、できあがった料理をのせて虫江さんに差し出した。皿に目を落とした虫江さんは、かすかに眉根をよせた。
「見栄えはよくないですけど、栄養満点でヘルシーです」
僕が言いつくろうと、「ごくろうさま」とだけ返ってきた。
「腰のほうは大丈夫ですか? よかったら、僕が持ちましょうか?」
〝将軍の間〟にお膳を運ぶ虫江さんについて行った。綱プーが僕の料理にどんな反応をするか気になったのだ。
「心配にはおよびません。だいぶよくなりましたし、エプロンの下にコルセットをつけております」
〝将軍の間〟につき、虫江さんがお膳をもって入っていくと、僕は障子のすき間からなかをのぞいた。
綱プーはいつもどおり人間椅子の膝にすわっている。虫江さんが上の段にお膳をおくと、膝からおりて皿に鼻を近づけた。
見慣れない食べ物に警戒しているのか、綱プーはクンクンと鼻を鳴らしている。ひと口くわえたかと思うと、畳に落としてひとつひとつ吟味した。
やがて肉と卵を口に入れた。むしゃむしゃと食べている。納豆にも口をつけた。独特のにおいに加え、糸を引くので食べてくれるかどうか心配していた。障子にかけた手に力がこもった。
綱プーは皿から顔をあげると、お膳から離れて仰向けになった。畳にくねくねと背中を擦りつけている。
僕の料理が口に合わなかったのだろうか。気になって大広間に足を踏み入れた。
ペコペコ頭を下げながら、お膳の前まで歩いていき、畳に座って下から皿をのぞきこんだ。皿はからっぽで洗ったみたいにピカピカだった。
「上様はご完食され、よろこびの舞いを踊っておられます」
感心したようにうなずきながら、人間椅子が言った。
僕は小おどりしそうになった。自分がつくった料理をよろこばれるのって、こんなにうれしいものなんだ。
いつも料理をつくってくれる母に、「おいしい」と言ってあげればよかったと反省した。
綱プーがムクっと起きあがり、僕のそばに近寄ってくる。キラキラした目で見つめると、僕の鼻をペロリとなめた。もわっと納豆の臭いがしたが、自然と顔がほころんだ。
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