「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第四章 東武動物公園(その1)
1
館林駅で鮪吉くんと待ち合わせ、狛音と3人で東武動物公園にいった。
狛音がLINEで鮪吉くんに行きたいとねだられたらしい。どうして狛音に言うのだろうと思ったが、分犬守の暮らしぶりを見るかぎり、両親は連れて行ってくれそうにない。
東武伊勢崎線の上り電車に乗って40分ほどで、久喜駅の2つ先にある東武動物公園駅につく。
東武動物公園は駅からシャトルバスに乗って5分ほどの場所にあり、広大な敷地に動物園と遊園地、プールを併設していた。
ミッキーマウスはいないが、生のカピバラ(ネズミ目)に会える北関東の夢の国だ。
空はうすい雲に覆われており、蒸しっぽいがすごしやすそうだった。20分間隔で運行しているシャトルバスは出たばかりだったので、僕らは駅からゲートまで歩くことにした。
目の前でキャスケット帽がドッジボールのように弾んでいる。鮪吉くんは狛音と手をつないでスキップしていた。
駅前通りを歩いていくと、大きな駐車場に行きあたる。駐車場のあいだの道を抜けると、右手にオレンジ色のゲートが見えた。
狛音のおごりでチケットを買ってなかに入った。園内はヨーロッパ風の井の頭公園といった雰囲気。スワンボートが浮かぶ湖を背景に、カバの親子の銅像が僕らを迎えた。
左手側に停まっていた小さな機関車に気を取られていると、
「見てみて、ペンギンの生首!」
鮪吉くんの叫ぶ声がした。顔をむけると、反対側にはバス停があり、屋根に巨大なペンギンの頭をのせたバスが停まっていた。
「ここめっちゃ広いから、園内にバスとか機関車が走ってるの」
「狛音、来たことあるんだ?」
「……うん。小さいころ家族でよく来てた」
彼女はむつみ合うカバの親子の像に遠い目をむけて言った。「ママと犬彦と一緒に機関車に乗ってるところを、パパがよくカメラで撮ってくれた」
もちろん「ママ」というのは円香さんでなく、東京で入院中のおばさんのことだった。いまでは犬彦くんも部屋に引きこもり、家族はバラバラになってしまった。
がらんとした客車に座っている幼い狛音のすがたが浮かんだ。
ぬいぐるみを握りしめ、不安そうにきょろきょろと視線をさまよわせている。いつのまにか家族とはぐれてしまったようだった。
「いつもあたしだけ変な方向むいて写ってたっけ」
狛音は思い出話をしたあと、すこし落ちこんだように見えた。
もしかしたら、彼女はビリビリになった家族写真を拾い集めるために、ここに来たのかもしれない。
もう元どおりにはならないと感じたのか、機関車から目をそらしながら左の道を進んだ。
右手に湖がひろがる機関車の線路に沿った並木道を歩いていく。ジェットコースターの走る音と悲鳴が聞こえた。
視界の両端にジェットコースターのレールがちらちら入ってくるようになる。左側のレールは木製の骨組みだった。パンフレットを開くと、どちらも水上にあるという。
「ねえ、レジーナ乗ろうよ」
狛音が木製のコースターを見あげ、よからぬことを言い出した。
「ダメだって、鮪吉くんが怖がるから」
たまらず遮ると、鮪吉くんは僕のTシャツを引っぱり、
「ぼく、ぜんぜん平気だよ。レジーナ乗りたい!」
まっすぐな瞳で訴えてきた。僕はパンフレットを見せて、
「俺も一緒に乗りたいけど、ほら、身長が120センチからってなってるじゃん。まだ鮪吉くんはダメなんだ」
「ぼく、もうすぐ10歳だよ。130センチ以上あるもん!」
鮪吉くんは目に涙をためて言った。
「あ、わかった。暢くん、絶叫マシン苦手なんでしょ。ユウちゃんのせいにしてズルイ」
狛音が疑いのまなざしを向けてきた。「しょうがない、メリーゴーランドにしようか」
正面にきらびやかなメリーゴーランドが見えてきたが、近づくにつれて話が違うことがわかった。
それは白馬や馬車がある代わりに、高い天井からいくつもブランコがぶら下がっており、中世ヨーロッパの拷問器具かなにかのようだった。
回転しはじめたら最後、遠心力でどうなることやら。
「こんなのメリーゴーランドじゃない! あっ、アレならいいよ。鮪吉くんにも安全そうだし」
すこし先の生垣のすみに飛行機とキティちゃんのゴーカートが放置されていた。
「もういいよ、暢くん……。動物のエリアに行こう」
狛音はあきれ顔で鮪吉くんの手をひいた。「ごめんね。情けないお兄ちゃんで」
「わあ~、すご~い。シマウマみたいなトラさん!」
鮪吉くんはガラスに顔を押しつけ、東武動物公園の人気者のホワイトタイガーを見ながら声をあげた。ガラスには大はしゃぎでスマホを連写する狛音のすがたが映りこんでいる。
ホワイトタイガーの1頭がガラスに頭突きする音が響いているが、2人とも気にならないらしい。こっちはガラスが割れやしないかとヒヤヒヤしているというのに。
「よし、鏡に貼ろうっと♪」
ホワイトタイガー舎の近くにプリクラのブースがあり、動物園限定のプリクラを狛音に一緒に撮らされた。
なにが楽しくてホワイトタイガーと同じフレームに収まるのか知らないが、鮪吉くんもダブルピースをしていた。
「このゾウさんたち、お姉ちゃんたちみたいだね」
ゾウの説明書きを読みながら、鮪吉くんが無邪気に言った。
2頭のゾウがいて、片方の性格は「好奇心旺盛、おてんば、人懐っこい」、もう一方は「マイペース、人見知りの恥ずかしがり屋」と書いてある。
思い当たるふしがないではないが、ただしどちらも「メス」とあった。
狛音が「好奇心旺盛」というのは本当だ。彼女は飼育員からリンゴが刺さった長い棒を受けとり、柵越しにヒグマにあげていた。
ヒグマの背丈は人間よりはるかに大きく、頭なんて4倍くらいあった。狛音の心臓にはヒグマのような剛毛が生えているにちがいない。
いっぽう僕は、アルパカの記念撮影パネルから顔を出してピースしていた。
もふもふのパネルの絵とちがって、実物のアルパカは首から下の毛を刈られ、見るも無残な姿になっていた。いまどきプードルだってこんな変なカットはしない。
サル山の先にどぶ川が流れており、巨大な犬の足跡のついた橋が架かっていた。橋の上でペンギンの生首バスとすれ違った。橋を渡ったところにレストランがある。
「よし、このへんでお昼にしよう」
狛音のひと声でレストランに入った。レストランというより学食のようで、セルフサービスになっていた。
狛音はカツカレー、鮪吉くんはラーメン、恐怖の連続で食欲をなくしていたので、僕はコーヒーフロートを注文した。
本当はクリームソーダがよかったが、鮪吉くんの手前かっこつけたのだ。カウンターで料理を待っているとき、
「鮪吉くんはキッズプレートじゃないの?」
ゾウのときのお返しで言ってやると、
「ぼくはもうすぐ10歳、背も130センチ以上あるもん!」
むこうもジェットコースターの件を根にもっていたようだ。
ホールはごった返していたが、狛音がすばやく席を確保してくれた。となりのテーブルは親子連れで、母親が娘の口についたカレーをティッシュで拭きとっていた。
「おばさんの具合はどう?」
スプーンでアイスをつつきながら狛音に訊くと、
「なんで急に?」
「いや、この前、お見舞いに行ってたから……」
「心配ないよ。今月中には退院すると思う」
カツ以外に具のないカレーを食べながら、彼女は淡々と答えた。
鮪吉くんは一心不乱にラーメンをすすっていた。3分の1ほどスープに浸かった海苔には、ホワイトタイガーの家族の絵がプリントされている。
あっという間にコーヒーフロートを飲み干し、撮ったばかりのスマホの写真をながめていると、例の貧相なアルパカの写真が気になった。
動物園で飼育されているのに、なぜか首輪をつけており、しかも毛を刈られているのでブカブカだった。
「〝夢丸の首輪〟はあれきりなの?」
スマホをおいて、狛音に訊いた。口さびしさにストローをズーズーと鳴らす。返事がかえってこなかったので、「本犬守の家宝の首輪が行方不明なんだけど、鮪吉くんは知らない?」
と話をふったとたん、分犬守の鮪吉くんに言ってはいけなかったんじゃないかと思いついた。狛音の視線をうかがったが、彼女は黙々とカレーを食べていた。
「う~ん、ぼくわかんない」
鮪吉くんは、どういうわけか曖昧な答えだった。唇が油で光っており、ラーメン鉢はからっぽになっていた。
2
食後はレストランの隣にあるお土産ブースを物色した。
狛音の好きそうな動物のぬいぐるみがたくさん置いてあり、人気のホワイトタイガーやペンギン、ここにはいないはずのパンダのぬいぐるみも並んでいた。
狛音は時間を忘れてぬいぐるみに見入った。綱プーにあげて靴下の替えが足りなかったので、僕もアニマル靴下を手にとっていた。
レストランとはパーテーションで区切られただけなので、ホールのざわめきが聞こえてくる。
そういえば、しばらく鮪吉くんの声を聞いていないな、と思って顔をあげたときには、彼の姿はブースから消えていた。
レッサーパンダの靴下をほっぽり出し、レストランじゅうを探してまわったが、鮪吉くんは見つからなかった。
建物を飛び出し、外のトイレをのぞいてみても彼の姿はない。急いでお土産ブースにもどり、
「狛音、鮪吉くんがいなくなった!」
血の気の引いた顔で伝えると、彼女はバクのぬいぐるみを床に落とした。
「マジ?」
狛音はすぐに電話をかけたが、鮪吉くんは出なかった。LINEを送ってもいっこうに既読がつかない。僕はじっとしていられず、
「鮪吉くんの行きそうなところ探してみようよ」
パンフレットをひろげ、わき目もふらず〝わんこヴィレッジ〟に向かった。
そこは園内のいちばん奥にあり、フェンスで囲まれた広い敷地のなかに、ガラス張りのコンテナが建っていた。「わんこハウス」の看板を掲げている。
「いくら犬好きでも、動物園まできて犬と触れ合うわけないじゃん」
あとから追いついてきた狛音が金切り声で言った。
外から見ると、室内はドッグカフェのようで、プードル、チワワ、パピヨンなどいろんな犬種がいた。
ぐるりとまわって探してみたが、なかに鮪吉くんの影はなかった。たしかにお金を払わなくても家でもふもふし放題なのだ。
「しょうがない、迷子センターに行ってみる?」
狛音が橋にむかって歩き出したとき、LINEの通知音が鳴った。彼女はバッグからスマホを取り出すと、
「ユウちゃんからだ。〈ぼく誘拐された〉って……」
青ざめた唇をふるわせながら言った。
とんでもないことになってしまった……。鮪吉くんから目を離して、お土産選びに夢中になっていた僕らの責任だ。
ジェットコースターに乗れると言い張ってたって、まだ小さな子供じゃないか。なんでちゃんと見ておかなかったんだろう。
狛音が猛スピードで親指を動かしているあいだ、僕は後悔しながら彼女のまわりをぐるぐると歩いた。
〈ユウちゃん、ケガしてない?〉
〈犯人はどんなやつ?〉
〈要求はなに?〉
狛音が矢継ぎ早に質問すると、今度は既読がつき、すぐに返信があった。
〈ケガしてない〉
〈犯人教えられない〉
〈家宝ほしいって〉
犯人の情報を教えられないのは、犯人の隙を見て連絡しているからでなく、その指示に従ってLINEを送っているからなのだろう。
〈あと、警察に知らせたら殺すって〉
それきり返信はとだえた。
「殺す」の2文字が十字架のように重く肩にのしかかる。警察には頼れない。自分たちでなんとかしなければならなかった。
鮪吉くんをここに連れてきたのは僕らであり、保護者としての義務を怠った僕らの責任なのだから。
僕らは途方に暮れて園内を歩いた。空飛ぶペンギンにご執心だった狛音が、ペンギンの餌やりに見向きもせず、鮪吉くんの行方を追っていた。
「あ~、なんで居場所きかなかったんだろう?」
「訊いてもどうせ答えられないって」
鮪吉くんが犯人にLINEを送らされているのが事実なら。
ところで、犯人が要求した「家宝」ってなんだろう? 居場所を訊くよりも、まずはそれがなにかを訊くべきだったのでは。
分犬守の「家宝」といって思い当たるのは、綱吉ご愛用の湯たんぽだが、ゆみ子さんは戦争で供出されたと言っていた。
そもそも、落ちぶれたとはいえ家宝があるような名家だと、どうして犯人は知っているのだろうか。
そこまで考えたところで、犯人は本犬守しかありえないように思えてきた。
狛音を拉致した手口を見ればやりかねないし、「家宝」というのも分犬守でなく本家の宝、〝夢丸の首輪〟のことだとしたら説明がつく。
首輪を盗んだのは分犬守だと決めつけ、鮪吉くんを誘拐して首輪のありかを問い質そうとしているのではないか。
「狛音、ひとつの可能性として聞いてほしいんだけど……」
ためらいがちに僕の推理を伝えると、彼女はさもありなんといった表情をした。
僕らは線路に沿ってもときた道をとぼとぼと歩いた。蒸気の効果音を流しながら、がらんどうの客車を引いた機関車が横を通りすぎていく。
狛音はなにを考えているのだろう? 唇をきゅっと結んだままだった。
「迷子センター、どうする?」
ようやく入口広場にたどり着き、狛音に訊いたときだった。
「あっ、ユウちゃん!」
彼女は声をあげ、急に走り出した。
カバの親子の銅像のむこうに見えるバス停に鮪吉くんがいた。ペンギンの生首バスから1人で降りてきたところで、僕らに気づくと、うしろめたそうに目をふせた。
「……ごめんね、お姉ちゃん」
心臓がとまるかと思ったよ~、無事でよかった~、などと2人で胸をなでおろしていると、なぜか鮪吉くんは謝った。
僕はゲートのほうに目をむけた。ゲートのそばに並んでいるヨーロッパ風のお土産ハウスのうしろで、杉林が風もないのにゆれていた。
歩き疲れたので、帰りはシャトルバスに乗ることにした。
ゲート前のバス停で鮪吉くんに事情を訊いていると、5分ほどで緑の屋根のバスがくる。いちばんうしろの席に彼をはさんで座った。
誘拐は鮪吉くんの自作自演だったそうだ。
「なんでそんなことしたの? 心配したんだよ」
狛音がキャスケットの下の顔をのぞきこむと、鮪吉くんはポロポロと涙をこぼして話しはじめた。
「パパに東京に行ってほしくなくて、ぼく嘘ついちゃった」
「どういうこと?」
「あのね――」
鮪吉くんの語ったところでは、仕事で上京する四郎さんを心配させて家に引きとめようと、誘拐されたと嘘をついて、ペンギンのバスにずっと隠れていたという。
「誕生日プレゼントいらないからおうちに残って、ってお願いしたんだけど……」
「断られて、ついやっちゃったんだね」
「ごめんなさい」
狛音はずいぶんものわかりがよかった。鮪吉くんの話を受けとめると、窓のそとに顔をむけた。いびつな街路樹が洗車機のブラシのように目の前を通りすぎた。
「身代金じゃなくて、どうして家宝だったの?」
僕が問いつめると、鮪吉くんは涙をぬぐいながら、
「お姉ちゃんちの宝物の首輪がなくなったって聞いて、ぼくんちお金ないから、宝物にしようって思いついた」
「〝夢丸の首輪〟は鮪吉くんが持ってるんだね」
鮪吉くんは全力で首をふった。
「宝物っていうのは、ぼくのインベーダーゲーム。首輪は知らない」
首輪の犯人さがしはふりだしに戻ってしまった。工房さんには悪いけど、僕はほっとしていた。
なにはともあれ、鮪吉くんは無事だったし、本犬守が誘拐したというのも僕の考えすぎだった。大事にならずにすんだのだ。
ただ、子供を見守る親の大変さは少しだけわかったような気がした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?